老舗の重厚感もポップさも 丸共味噌醤油4代目夫妻のリブランディング
白鳥純一
(最終更新:)
大正時代創業の丸共味噌醤油醸造場(高知県須崎市、マルキョー味噌醤油)は30年ほど前、3代目の辻高志さん(79)が廃業を撤回して事業を受け継ぎ、今は娘の竹中佳生子さん(46)と夫の栄嗣さん(49)へと引き継がれました。横浜の地ビール会社で働いていた経験を持つ夫妻は、老舗の重厚感とポップさを両立させるため、ラベルのデザインやサイズを見直したり、EC用に軽量化したボトルを取り入れたりして、小さな港町から積極的なリブランディングを仕掛けています。
廃業を撤回した3代目
須崎市は土佐湾に面した人口約2万人の港町です。マルキョー味噌醤油は大正時代、この地に住む3~4人が出資して設立した蔵が発祥となります。マルキョーの名前は「みんなとともに」に由来し、佳生子さんの曽祖父が出資者の1人でした。
終戦後の1951年、2代目の辻吉重さんが取締役となり、会社組織として発展。人気商品の「さしみ醤油」をはじめ、温暖な気候を活かした甘みのあるしょうゆやみそは、長きにわたり地域の人々に愛されてきました。
現在はしょうゆ5種類とみそ4種類を製造。しょうゆの年間生産量は4万本で、高知県内での売り上げが取引全体の80%ほどを占めます。それ以外は首都圏や関西エリアのホテルやレストラン、自社のECサイトや高知県のアンテナショップなどで販売されています。
佳生子さんの幼少期には、祖父や親族が経営していました。しかし、1990年代中盤、祖父が亡くなったことで後継者不在の状況に直面します。
一時は廃業も検討したそうですが、長年の取引先や常連からは廃業を惜しむ声が多数寄せられました。そこで、漁に使う網や資材を販売していた佳生子さんの父・高志さんが一念発起し、3代目として事業を続けることを決めました。
醸造は未経験でしたが、マルキョー味噌醤油の元従業員や、みそやしょうゆの製造経験のある人に声をかけるなどして、伝統の味を再現していきました。
地ビール会社から転身
佳生子さんは網屋とマルキョー味噌醤油の経営で混沌とする実家を傍目に、東京の大学に進学。卒業後は横浜市にある地ビールも製造するレストランに就職します。そこで出会った同僚が、同じ高知県出身で、後に夫となる栄嗣さんでした。
栄嗣さんは「学生時代からビールが好きで、さまざまな地ビールを飲み比べたり、特徴をノートにまとめるほど研究熱心だった」といいます。
「少人数の会社だったので、現在の経営につながる発酵食品のコスト管理や財務に関わることも学べました」
そして佳生子さんも横浜でビール作りに奮闘し、醸造や営業などの様々な業務に携わり、充実した日々を過ごしていました。
やがて、「須崎でみそとしょうゆを作ってほしい」という父からの誘いや栄嗣さんの後押しもあり、佳生子さんは2004年、Uターンしてマルキョー味噌醤油で働き始めました。
栄嗣さんは関東に残り、遠距離で交際を続けていましたが、会社勤めの傍ら「しょうゆやみその製法だけでなく、歴史など色々な角度から勉強した」と言います。
佳生子さんの後を追うように、結婚してマルキョー味噌醤油に入りました。
「30歳に差しかかり、今後のキャリアについてじっくりと考える機会がありました。歴史のあるしょうゆ屋の事業に携われることは魅力的な選択肢だと思えました。正直不安はありましたが、一度高知に戻るのも悪くはないと感じて、思い切って決断しました」
ハンディを乗り越えて味を継承
瀬戸内海に面した香川県などとは対照的に、高知県はみそ・しょうゆの醸造会社が少なく、県内の醸造場は10 社に満たないそうです。
そのようなハンディのある環境下で、夫婦の慣れない挑戦はさまざまな苦労が伴いました。
もともとは廃業寸前だったため、古くなった製造機材には傷みも出ていました。「修理できる人がたくさんいるエリアではなかったので、過去に働いていた従業員の皆さんに声をかけるなど、時間をかけながら自分たちの知識やノウハウを身につけ、コストを削減できるように心がけました」
事業でもっとも大きなハードルになったのが、伝統の味の継承です。栄嗣さんは「醸造の担当者が亡くなったことでレシピがわからなくなったり、同じように作っているのに『味が変わった』、『少し辛くなった』と言われてしまうことはありました」と振り返ります。
「ビールを醸造した経験や、お客さまとの意見交換を通じて、皆さんが求められている甘みやうまみを出すにはどうすればいいのかを試行錯誤しながら、レシピを再現していきました」
菓子店とのコラボやバッグ制作も
一方、夫妻が味の継承とともに力を入れたのが、マルキョー味噌醤油のブランディングの見直しでした。
「周りの知人に買ってもらえる商品を作るにはどうすればいいかを考えました」という栄嗣さん。まずはしょうゆのラベルを「老舗の重厚感を残しつつ、ポップさも取り入れた」ものに変更しました。
そして、少人数の家族でも使いきれるよう小さめのボトルを展開するなど、ニーズを思い浮かべながら商品のラインアップを加えていったそうです。
そして、近所で仲のいい老舗菓子店・梅原晴雲堂とコラボした「醤油カステラ」や、ロゴ入りのトートバッグなどラインアップの拡充も図ります。
「甘みの強いマルキョーのしょうゆを多くの人に味わってもらいたい」という思いから、自社ECサイトでの販売も開始しました。
「首都圏や関西圏と距離がある高知県は、どうしても送料が高くなってしまう傾向がありますが、ビンをペットボトルに変更するなどして軽量化を図り、遠方のお客さまにも手に取っていただけるように最大限の工夫を重ねました」
ECサイトでの売り上げは、最大でも全体の10%ほどだそうですが、今後はSNSにも力を入れて、国内や海外進出も見据えながら販路を拡大していきたいそうです。
「これまで自分たちだけで頑張ってきましたが、力が及ばない部分もあることに気付かされました」と話す栄嗣さん。外部パートナーとの業務提携や、県が進める副業人材のプロジェクトを活用しながら、事業拡大に意欲を見せています。
働きやすい職場づくりも推進
夫妻が事業を受け継いだ当初は、古参の従業員との対立や気持ちのすれ違いもあったそうです。それでも、従業員として会社を支える母親世代の生活に寄り沿った働きやすい会社の仕組みを整えてきました。
現在の従業員数は5人。夫妻を除くといずれも子育て中の女性で、子どもの病気など急な事情にも対応できるように休みやすい雰囲気を整えたり、有給消化率100%を実現したりしてきました。
夫妻は「長年地元の人に親しまれていた伝統のみそやしょうゆの味を広めることで、高知の魅力を発信していきたい」と意欲を見せています。