目次

  1. 得意先は老舗や名店 営業の近道は「客として通う」
  2. 新規事業の参入も引き際も決断が早い企業遺伝子
  3. 家業を継ぐために苦労したが「ハシゴを外される」
  4. 胆力と戦略でコロナ禍を乗り切る
  5. 今後の課題は継承 島商を次の世代へ

 食品用の油脂と食品卸を行っている老舗企業・島商。11代目の島田豪さんは、代表就任後12年間、右肩上がりで売り上げを伸ばしています。主な顧客は、飲食店、食品加工工場、スーパーや百貨店などの小売店です。

 「私の代から、飲食店への卸に力を入れました。天ぷら店、中華料理店、鰻店、とんかつ店、フレンチ、イタリアンなどジャンルは多種多様です」。顧客は東京だけでなく、全国各地に広がっており、独自の流通ネットワークで、油や調味料を確実にお店まで届けています。

 「国内外にその名が知られている老舗や名店が多いです。油の専門家集団という私たちの強みが、どうお役に立てるか。試行錯誤の毎日です」

 島田さんは、「この油の方がさっくり揚がる、炒め物ならこの油にすると軽やかに仕上がる、名物料理をさらに洗練させるにはこの油、などと、ご提案することもあります」と続けます。

 先代時代は、小売店への卸の比重が高めでした。島田さんは、専門性が高い業務用の卸売業に注力しようと決意。飲食店への卸売事業の拡大のために、島田さんが取った行動はただ2つ。飲食店に赴き料理人と会話を重ねることと、“油屋・島商”を一般の人々に広めることでした。

 「平日は週5日、外食していました。客として店に行き、顔を覚えていただく。地道なことですが、これが営業の近道なのです」

 現在、営業チームは得意先をまめに回って、情報収集を行なっています。お店にとっては、痒いところに手が届くような提案をしてくれる、ユニークな問屋さんです。これは、島商の強みの一つ。

 「問屋ですから、欠品をしないというのも企業価値です。2022年は、政情不安や不作の影響で供給不足になることもありましたが、私たちは100%の供給率を達成しました。これができたのは、製造者の方々と長年築き上げた信頼があってこそだと感謝しています」

 現在は、業務用が7割、家庭用が3割程度になり、会社の業績は堅調に推移しています。

 まず、島商の歴史をひもといていきましょう。1716年の創業当時は提灯や蝋燭、行燈の油など生活必需品を販売する小売店でした。明治時代に入ってから、ランプ用の灯油、菜種油、胡麻油などを卸売りする問屋に転身します。

江戸時代から大正の大震災まで日本橋川沿いの河岸に立ち並んでいたという白壁の土蔵
江戸時代から大正の大震災まで日本橋川沿いの河岸に立ち並んでいたという白壁の土蔵

 そして、1917(大正6)年にライジングサン石油(後のシェル石油)の販売組合「東京貝印揮発油組合」の設立に参加。その特約店として大きく躍進します。島田さんは「当時の国内の自動車台数は全国で数千台。激増するのは、昭和に入ってからなのです。モータリゼーションを予見した私の曽祖父の先見の明に舌を巻きます」と言います。

 その後1923(大正12)年の関東大震災が襲います。島田家は家屋だけでなく、家族と店員のほとんどを失ってしまったのです。数少ない生存者の一人が、9代目・増次郎(当時18歳)。彼は絶望的な状況にも負けず、事業を再興。その後、第二次大戦になり、戦時中は石油・油糧配給公団の指定店となり配給業務に専念。

 「戦後、祖父(増次郎)は、東京大空襲で焼失した、東京都中央区日本橋小網町の店・倉庫を再建。シェル石油、日清製油、竹本油脂の特約店として再出発。そして、1966(昭和41)年に『スーパーマーケット シェルガーデン』を自由が丘に開店したのです」。

自由が丘に開店した「スーパーマーケット シェルガーデン」
自由が丘に開店した「スーパーマーケット シェルガーデン」

 これは、ガソリンスタンドに高級スーパーとレストランを併設した、当時まだ珍しかった商業施設。連日、人がやってきて経営は順調。

 「しかし、1983(昭和58)年、祖父と父・孝克は撤退を決めます。その直後に激安ブームが到来したのです」。そのまま事業を続けていては、価格競争で負けていたかもしれません。島商は、機を見るに敏で、参入も時代の先を読み、引き際の決断も早い。これが企業遺伝子でもあると島田さんは言います。

 時代を読み、会社を牽引し続けてきた祖父も父も、島田さんを後継者として接したことがありませんでした。

 「そもそも、家で“跡取り”という言葉は聞いたことがありません。私が幼い頃、父はスーパーに出勤しており、“お店で仕事をしている”というくらいの認識でした。家庭環境も穏やかで、家業の話は出ませんでしたね」と振り返ります。

 ただ、就職活動が始まる頃、父から「別に継がなくてもいいのだけれど、ウチの家業は油問屋、ガソリンスタンド、小売店への卸売業だ。就職先はそういうことも考慮してみてはどうだろうか」と提案されます。今まで、まったく言われなかったからこそ、気持ちが家業に向いたと当時を振り返ります。

 大学生の島田さんにとって、最も想像しやすい家業は、ガソリンスタンドの経営でした。そこで、1996年に昭和シェル(当時)に新卒で入社。「大手で働くことは、業界全体の構造を肌感覚で知ることにも繋がります。大阪支社に配属され、販売促進に従事。グローバル視点での石油ビジネスの知識を得ました」。

 ただ、大企業では家業に役立つガソリンスタンドの現場の経験はできない。2年目にガソリンスタンドを運営する企業に転職。1998年から2年、関東近郊で、マネージャー兼サービスマンとして研鑽を積みます。

 「朝6時出社、深夜になるまで接客、給油、洗車、ワックスがけ、オイル交換、塗装などあらゆる業務を行なっていました。つらいこともありましたが、その先に家業がある。お客さんのニーズ、困りごとに対して、直接向き合う経験ができたことは、今も大きな力になっています」

 現場で実績を積み、家業に入ろうとした2001年ごろ、父から「ガソリン事業は撤退した」と言われます。その時は、温厚な豪さんも「何のために石油会社に入って、現場で何年も修行をしたのか」と声を荒げます。

 しかし、父は「今後、カーボンニュートラルの流れが起こる。逆風が起こる前に撤退だ」と30か所以上あった島商の直営スタンドを、別会社に移管してしまったのです。

 「家業を継ぐことに向けて頑張ってきましたが、その先がない。でも、父が言う撤退理由もよくわかる。“俺はどうすればいい?”となり、まずは見識を広めようと思ったのです」

 島田さんは、米国のサンダーバード大学院へ留学。これは、今後の海外進出の可能性も考えてのことです。「今、英語力を身につけ、世界中の人とのネットワークを構築すれば、次の時代に島商を繋げるための一助になると思ったのです」

 世界中のビジネスパーソンが集まる経営大学院では、刺激的な毎日を過ごします。「ここでの学びは、チームになって議論をし、論文を作成すること。大学院身につけたことが、社内の意識統一や課題解決に生きています」。島田さんは1年半で国際経営学修士(MBA)を取得。帰国した2003年、32歳のときに島商に入社します。

 「当初は右も左も分からず、ベテランの社員と取引先を回っていました。ベテラン社員は、お客様の倉庫を見ただけで、在庫がわかるスペシャリスト」。取引先からも全幅の信頼を得ており、半自動的に品物を納めるという流れができていました。島商とその社員が築き上げてきた“信頼”を肌で感じます。

 島田さんは、この熟練の社員から商売の“呼吸”を学びます。「例えば、油の価格は変動しやすい。取引先に“今、値上がり前なので、多めに20缶入れておきます”などと提案したり、高騰している時は買い控えを提案したり、その塩梅ができるのは私たちの強みです」

 取引先との信頼関係を強化すると同時に、多様化も考えます。今、料理は“甘味・酸味・塩味・苦味・うま味”で構成されており、そこに続く味覚として“脂肪味”が着目されています。「料理には油がつきものです。適材適所の油使いを提案できれば、私たちが食文化に貢献できると確信したのです」。

 それまで天ぷらやとんかつなど、揚げ物が多い飲食店を中心に取引をしていましたが、その他の料理ジャンルのお店にも積極的に営業をかけます。2011年に代表取締役に就任してからも、飲食店に向けた卸売に注力し、増収増益を続けています。

 島商は島田さんの代で、飲食店中心とした業務用油脂の卸に力を入れました。「コロナ禍は、小売店向けのグロサリー品(家庭用商品)などの販売比率を上げ、乗り切ったのです」。島商の強みの一つは、時代に合わせた柔軟性。先代である父からも「常に商品動向は見なさい」と言われていたそうです。

 「私たちの取引先は、飲食店、小売店、食品加工工場でしたが、入社してからからずっと、販売の多様化は進めていました」。コロナ禍中は飲食店向けの売り上げが9割減。分散をしていたことで、厳しい局面を乗り切ることができたのです。

 代表に就任してから、13年が経ち、次世代への事業承継への思いは強くなっていくと続けます。「やはり、300年企業の島商を守り、育て続けていかなければという使命感は強くなっています」。島田さんには子どもがいますが、家業については特に話していないそうです。

 「近代日本社会で商売を続けてきた、曽祖父・祖父・父の経営者としての共通点は、“機を見るに敏”であること。これは多くの経験をし、多種多様な人と交流するからこそ、磨かれる能力です。家業から離れて、多くの視点を持つことが、大切だと思っています」

 また、島田さんは、「社員を幸せにすれば、自ずと未来へとつながっていく」と確信していると続けます。

 今、ビジネスを取り巻く環境は、世界情勢の変化、既存のサプライチェーンが変わっていくなど、多くの変化が起こっています。島田さんは、「人と食は切り離せません。油のエキスパートである私たちが、油に軸足を置きつつ、世の中のニーズを広く汲み上げていれば、成長は続く」と断言。成長の伸び代を少しでも大きくすることが、今後の課題だと、穏やかに言いました。