完全無添加で人気だったのに休業
吉開のかまぼこはもともと魚屋として創業し、やがてかまぼこづくりが本業となります。かまぼこはお節料理や結婚式の引き出物としても人気で、吉開喜代次さんが社長だった高度経済成長期は売上高1億円を記録した年もありました。
人気の理由の一つが無添加へのこだわりでした。練り物を無添加でつくることは難しく、特に「リン酸塩」はかまぼこ特有の弾力を出し、保水性も向上させるための添加物で、使わないと仕上がりが安定しないというデメリットがあります。
吉開さんは顧客からの「完全無添加で作ってほしい」という声に応え、約8年かけて完成。福岡市、そして東京など全国から買いに来る人もいるほどの人気でした。皇室への献上経験や、農林水産大臣賞や水産庁長官賞などの受賞歴もあります。
経営は黒字でしたが、吉開さんの子どもは後を継がず別の道へ。他に後継者もおらず、繁忙期に働きづめで腰を痛めたことから、2018年に惜しまれつつ休業を決めました。
「なくなるなんてもったいない」
その後も再開を望む手紙や電話が店に寄せられる中、2019年に思わぬ電話がかかってきました。「閉店になってしまった理由と今後の見通しについてお話を聞かせてください」。当時福岡大学4年生の林田茉優さんからでした。林田さんが振り返ります。
「大学のゼミでベンチャー起業論を学ぶ中、後継者問題に注目し、吉開のかまぼこについて知りました。こんな素晴らしい技術を持っているのに後継者不足でなくなるなんてもったいない。何か私にできることはないかと電話しました」
吉開さんはいったん閉店したものの、いつか誰かが事業承継に名乗りを上げてくれることを願い、後継者をマッチングするサービスに登録したり、製造機械のメンテナンスなども続けたりしていました。
林田さんからの突然の電話にも「まさか学生さんに興味をもってもらえるとは思っていなかったけど、『面白かね』と思って話をすることにしました」(吉開さん)。
学生仲間数人と訪ねた林田さん。吉開さんは閉店後も復活を希望する手紙や電話に心を打たれ、「何とか後継者を見つけて事業を譲り、復活させたい」と打ち明けました。
M&A直前に破談
林田さんらはさっそく事業承継に応じる会社を探し始めました。まずは福岡県内の食品会社を中心とした60社ほどに、吉開のかまぼこの商品と技術について資料をまとめてプレゼンするなどしました。
各社とも「応援したい」と言ってくれるものの、かまぼこなど練り物の需要が減っている実情などを理由に、引き受けようとする会社は現れませんでした。
そんな中、林田さんたちの活動を書いた地元紙の記事がヤフーニュースで大きく取り上げられ、全国に知れ渡りました。記事を読んだ大阪の食品会社が「ぜひ力になりたい」とM&Aに名乗りを上げたのです。
この食品会社と吉開さんとの協議は順調に進み、2020年12月には株式譲渡することまで決まりました。同年3月に大学を卒業し、福岡市内の物流会社に就職していた林田さんも、引き続き支援を続けていました。
ところが株式譲渡の調印式まであとわずかというタイミングで思いがけないトラブルが発生しました。実は周囲の住民たちは長年、工場から出るにおいや騒音が気になっており、それらを解決してから再開してほしいという強い要望が寄せられたのです。
吉開のかまぼこではかつて天ぷらなども製造していたため、住民たちは排出される魚臭い汚水や油の煙に困りながらも、当時は言い出せなかったというのです。吉開さんは「うちが迷惑をかけていたなんて・・・」とショックを受けました。
問題解決には工場移転や新しい設備の購入が必要で、食品会社などが費用を見積もると概算で1億円に達することがわかりました。コストの重さから結局、M&Aは破談しました。
「かまぼこを作りながら死にたい…」
その間も吉開のかまぼこは法人として存続していましたが、生じ続ける経費の負担が重く、税理士らからのアドバイスもあって2021年6月期末で廃業することに。「いよいよ終わりなのか」と林田さんが無力感を抱いていたある日、吉開さんから電話がかかってきました。
「さみしい。私はかまぼこを作りながら死にたい...」
この言葉に林田さんはハッとしました。「かまぼこ作りは吉開さんの人生そのもの。吉開さん自身はかまぼこ作りをあきらめていないんだ」
そして「もう1回かまぼこを作ってみましょうよ」と吉開さんに伝え、「私があきらめたらもう終わりだ」と吹っ切れました。引き継ぎ先を探す前に、まずは工場を再開し、かまぼこを製造できる状況を取り戻すこと、そして吉開さんの技術を伝承することが優先だと気付いたのです。
林田さんは週末などに往復3時間かけてみやま市に通い、工場の近所の人たちとの話し合いを重ねました。
工場が操業していた当時、何に困っていたのかをヒアリングし、福岡市に戻って問題解決の方法を考えたり周囲に相談したりして、再び対案を伝えに訪ねる。そんな地道な作業を繰り返しました。
当初は「この子は何者なのか」と不信感を隠さなかった近所の人も、次第に本音で話してくれるように。工場を一緒に掃除したり、排水対策などに対応できる業者を紹介してくれたりもしました。ついには反対していた人が「はよ、かまぼこ作らんね。吉開さんが元気なうちに」と、背中を押してくれたのです。
3年ぶりに製造を再開
2021年9月、ついに工場は再稼働し、かまぼこ試作のめどが立ちました。かつての仕入れ先からも協力を得て、数万円でかまぼこの原料を調達できました。
林田さんと大学時代に一緒に活動していたメンバーらも手伝いに駆けつけました。試作する日の朝、吉開さんは「まさかかまぼこをまた作れる日を迎えられるとは思っていなかった」と号泣しました。
試作したかまぼこは300本。吉開さんにとって3年ぶりの製造でしたが、まったく勘は鈍っておらず、慣れた手さばきで練り上げや成形、蒸しなどの作業を完了させました。
翌日には近所の人々や応援者向けの試食会を開きました。
林田さんは「試作会で作ったかまぼこは『今まで食べていたかまぼこは何だったの』というくらいおいしかったです。試食会に来てくれた皆さんも『この味だよね』とうれしそうに食べてくれて。このかまぼこを残さないといけない、とあらためて心に火が付きました」。
システム会社が承継に名乗り
林田さんは余った試作品を持ち帰り、興味をもってくれそうな企業に配って回りました。その中の1社が福岡市のシステム会社「フロイデ」でした。林田さんは知人から「かまぼこを食べてみたいという会社がある」と伝えられて持参したのです。
フロイデ代表の瀬戸口将貴さんは「これはおいしい」とその場でかまぼこ1本を食べ尽くし、「ぜひ吉開さんにも会ってみたい」と申し出ました。
同年11月、工場でかまぼこ製造の工程を見学した瀬戸口さんはその日のうちに「うちが買収させていただきます」とM&Aを即決。翌12月に株式譲渡することが決まりました。
瀬戸口さんはエンジニアの離職率の高さに悩んでいました。従業員のやりがいを引き出すため、ものづくりや商品を企画する事業を持ちたいと、製造部門を持つ会社のM&Aを考えていたのです。自社の利益を社会に還元したいという思いも持っていました。
「130年以上も続いた会社の存続という、社会課題の解決という意味合いからも、瀬戸口さんはM&Aに強い意義を感じてくれました。他にもM&Aを検討していた会社はあったそうですが、完全無添加という唯一無二のこだわりと吉開さんの職人魂に感動して決めたそうです」(林田さん)
「一番熱意が強いあなたが社長に」
そして、株式譲渡の調印式を1週間ほど後に控えたある日、瀬戸口さんから林田さんに「ぜひ社長をやってほしい」という電話がかかってきました。
「そんなの無責任です」と林田さんは断ります。当時は社会人2年目で、あくまで支援者の立場だと考えていたからです。それでも瀬戸口さんから説得されました。
「吉開のかまぼこに必要なのは熱意です。熱意が強い人が真ん中に立って、周りの人から応援や協力を得ていかないとうまくいかない。一番熱意が強い人は、ずっとあきらめずにやってきた林田さん以外にいないじゃないですか」
その言葉に「確かにそうだ」と納得した林田さん。勤務先の物流会社の社長に相談したところ、「人生において『君しかいない』なんて言われることはなかなかない。ぜひ挑戦すべきだ」と背中を押してくれました。
吉開さんも「それはよかとね」と大賛成。2021年12月、林田さんは物流会社を辞め、吉開のかまぼこの社長に就任しました。
若いチームと「職人の勘」で生産拡大
再スタートを切った吉開のかまぼこは現在、フロイデの社員でもある工場長、そして梱包や発送なども担うスタッフに、会長兼技術アドバイザーの吉開さんを加えた計3人で製造を担っています。林田さんも経営実務や営業の合間に製造に加わる体制で、吉開さん以外は全員20代という若いチームです。
ちくわや天ぷらはやめて、今つくるのは完全無添加の「古式かまぼこ」1種のみ(単品で税込み918円)。高級魚エソのすり身とみりん・昆布だし・塩だけを原料として使っています。
1種に絞ったことで、「素人」だった林田さんらが集中して製造の基礎を学ぶことができ、在庫管理や梱包ミス防止などのオペレーションもシンプルで済むメリットがありました。
とはいえ、相手は生もの。同じエソでも味や滑らかさなどその日の仕入れによって微妙に違いがあるそうです。その日の温度や湿度によって製造のやり方を微妙にアレンジする必要もあります。そういうときこそ、吉開さんの「職人の勘」が頼りです。
林田さんたちは日々、丁寧な指導を受けて、吉開さんが長年書き留めたノートも見ながら技術や知識を受け継いでいます。稼働は再開当初から週2~3回のペースで、1日300本ほど作っていました。
その後、徐々に生産量を増やして1日600本作れるようになり、品質も安定してきました。2024年はお節料理などの需要が高まる12月に、ほぼ連日フル稼働で製造にあたる予定です。
再開後の2023年と2024年(いずれも6月期)の売上高は、休業前の5分の3ほど。商品を1種類に絞ったことに加え、人件費など販管費も以前よりも圧縮し、原料費の高騰にもかかわらず利益率は休業前より増えました。
「最近は吉開さんからも『皆さんなら安心して任せられる』と言われるようになってきました。販売量も徐々に増え、安定して利益を出せる体質にもなりつつあります」
※林田さんは吉開のかまぼこを守るだけでなく、思い切った値上げ、パッケージやオンラインショップのデザインの一新、新商品開発など成長への布石も打っています。後編では、その成長戦略に迫ります。