目次

  1. 経営危機に「何とかしてくれ」
  2. 利益率改善のために内製化
  3. フラワーショップを開くも撤退
  4. うどん店の失敗で学んだこと
  5. 葬儀の返礼品を内製化へ
  6. 独自のブランド米が高評価
  7. 返礼品から継続購入へ
  8. 相続相談サービスも提供
  9. 従業員数は24倍に成長

 穴太HDの中核は、戸波さんの祖母が1986年、千葉県君津市で創業した十全社です。スナックとクラブの経営者だった祖母が葬儀に参列した際、サービスのレベルが低いと感じたのがきっかけだったといいます。

 戸波さんの両親は経営に携わらず、戸波さんも小学生のころを最後に、祖母には会っていませんでした。それでも、葬儀業への興味から大学生のときに1カ月間、十全社でアルバイトしました。

 そんな縁もあり、物流商社で働いていた戸波さんに祖母から「支度金を渡すから来なさい」と突然連絡がきました。「売り上げ1億円以上(当時)の会社で経営手腕を学び、ゆくゆくは継げるかも」と期待した戸波さんは1994年、十全社に入社します。25歳のときでした。

 かつての葬儀は自宅や寺、集会所で執り行うのが一般的でした。葬儀業は、自宅葬を行う家庭に祭壇などを貸すレンタル業として発展します。やがて葬儀会場はセレモニーホールなどに移り、「2000年代に斎場の需要がピークを迎えた」と戸波さんは話します。葬儀業はレンタル業から斎場運営のサービス業に変わりました。

 祖母が君津市に最初のセレモニーホールを建てたのは1993年。当時の売り上げの倍以上の資金を借りる大型投資でした。しかし、当時は需要が少なく、資金繰りは一気に悪化します。

 そんなタイミングで入った戸波さんは、祖母から「何とかしてくれ」と頼られたといいます。「自分が立て直さなければ」と腹をくくりました。

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