経営危機に「何とかしてくれ」
穴太HDの中核は、戸波さんの祖母が1986年、千葉県君津市で創業した十全社です。スナックとクラブの経営者だった祖母が葬儀に参列した際、サービスのレベルが低いと感じたのがきっかけだったといいます。
戸波さんの両親は経営に携わらず、戸波さんも小学生のころを最後に、祖母には会っていませんでした。それでも、葬儀業への興味から大学生のときに1カ月間、十全社でアルバイトしました。
そんな縁もあり、物流商社で働いていた戸波さんに祖母から「支度金を渡すから来なさい」と突然連絡がきました。「売り上げ1億円以上(当時)の会社で経営手腕を学び、ゆくゆくは継げるかも」と期待した戸波さんは1994年、十全社に入社します。25歳のときでした。
かつての葬儀は自宅や寺、集会所で執り行うのが一般的でした。葬儀業は、自宅葬を行う家庭に祭壇などを貸すレンタル業として発展します。やがて葬儀会場はセレモニーホールなどに移り、「2000年代に斎場の需要がピークを迎えた」と戸波さんは話します。葬儀業はレンタル業から斎場運営のサービス業に変わりました。
祖母が君津市に最初のセレモニーホールを建てたのは1993年。当時の売り上げの倍以上の資金を借りる大型投資でした。しかし、当時は需要が少なく、資金繰りは一気に悪化します。
そんなタイミングで入った戸波さんは、祖母から「何とかしてくれ」と頼られたといいます。「自分が立て直さなければ」と腹をくくりました。
利益率改善のために内製化
戸波さんは祖母と親族の役員に「僕に株式を譲渡して経営を任せてほしい」と訴えます。話し合いの結果、祖母と親族の役員に経営から退いてもらい、再建のめどが立った段階で退職金を支払い、株式譲渡を受けることでまとまりました。
1997年、十全社の代表取締役となった戸波さんは、銀行のセミナーなどで会計を学び、役員報酬のカットや社員の意識改革を進めました。取引銀行も関係の深い地元銀行に絞り、こまめなサポートを受けました。
戸波さんは生き残りをかけ、セレモニーホールを増やす戦略を立てました。
課題となったのは利益率の改善です。借地に建設して投資額を抑え、外注費削減に踏み込みます。
一般的な葬儀業は、生花の仕入れや食事の準備など外注の仕事で成り立っています。これを内製化してキャッシュを生み出す算段でした。
そして、千葉県袖ケ浦市に二つ目のセレモニーホールをオープンした1998年、生花を扱う子会社「スラタン」を設立しました。
フラワーショップを開くも撤退
戸波さんは、JRの駅前に約5千万円をかけてフラワーショップを新築。地元銀行の協力で私募債を発行して資金調達しました。
葬儀用の生花は、花が大きく開いている必要があります。そこで、つぼみの段階で花を大量に仕入れ、つぼみは店で販売し、開いた花は葬儀で使いました。花を無駄なく使い、利益率を上げる狙いです。
従業員にはマルチタスクを求め、葬儀の担当者が生花を兼任。戸波さん自ら花の飾りつけを手がけることもありました。
しかし、フラワーショップは結局、売却して事業を縮小します。生花の需要が減り、2000年にできた近隣の大型ホームセンターが、同じ卸売市場で仕入れた生花を半値で売り始めたのが響きました。
生花事業は現在、穴太HDの事業部に統合し、食品などを扱う直営店「穴太商店」(千葉県君津市)で花の販売を続けています。
うどん店の失敗で学んだこと
2001年、千葉県木更津市にセレモニーホールをオープンしたのと同時に、グループ会社を作り、葬儀用の料理や弁当も内製化しました。
ただ、仕出しの仕事は繁閑差が激しく、空いた時間を有効活用するため、讃岐うどん店を開きます。最初は「仕出し事業のおまけ」でしたが、2006年、千葉県内の国道沿いに出したうどん店が繁盛すると、翌2007年、千葉県市原市の大型ショッピングモールに2号店をオープンしました。
ところが、2008年のリーマン・ショックで、うどん店の売り上げが半減。高級路線も裏目に出て、2010年ごろ、うどん事業から撤退します。約1500万円の損失が生じました。
失敗の原因は中核である葬儀業とのシナジーを見い出せなかったためと、戸波さんは考えています。
「葬儀業という木から育った料理や弁当という実から、うどん店へと拡大しました。ただ、それは実から木が生えたようなもの。最終的な事業の形、つまり出口を考えずに進めて失敗したのです」
葬儀の返礼品を内製化へ
そうした教訓を生かして着手したのが、葬儀用の返礼品の内製化でした。これも外注が一般的ですが、自社で返礼品を用意し、ラインアップを充実させることで差別化を図りました。
戸波さんはこのころからインフレ時代を予測し、実物投資やモノづくりへの挑戦を目指します。今度は葬祭業とのシナジーが見込める返礼品を探し、スッポンやウナギの養殖、養豚を検討。たどり着いたのは北海道での稲作でした。
「米離れや当時の減反政策で農家の数は減少し、農地の集約が進むと見込みました」
法人が農業に参入しやすくなった2009年の農地法改正も追い風に、戸波さんは資金力のある法人が農地の受け皿になると考えます。北海道の就農セミナーに通ったり、金融機関を通じて北海道の農業人脈を広げたりしました。
そして2013年、農業生産法人「The北海道ファーム」を立ち上げ、稲作をスタート。収穫した米を葬儀の返礼品に加えることで「出口」のある事業を目指しました。
独自のブランド米が高評価
戸波さんは、経験と勘だけでなくデータに基づいた稲作を進めます。育苗ハウスの温度をリアルタイムで自動測定できるシステムを導入。モミを白米に加工する段階で厳しく選別し、粒の大きさをそろえて食味が良い米ができるようにしました。精米後のおいしさを保つ窒素充填包装も採用しています。
地域の行事に参加して地元の人に米づくりを教わったり、農業試験場の指導員に指導を仰いだりして、改良を続けました。
米は「北海道 水芭蕉米」という独自ブランドで販売。2017年には米どころの山形県庄内町の「あなたが選ぶ日本一おいしいお米コンテスト」で入賞しました。2022年度は5キロ4500円という高値で売れるようになり、収穫量が多少減っても、利益を確保できる水準に達しました。
2019年には神奈川県内の米専門店を傘下に収め、飲食店や一般家庭への販路も獲得しました。
現在の田んぼの面積は、北海道で30ヘクタール、千葉県内で15ヘクタールにのぼります。
派生商品の開発も進めています。ラインアップは米粉のほか、規格外の米を飼料に使った卵、米のもみ殻を使った固形のエコ燃料、米ぬかで作った洗顔せっけん、タオルへと広がりました。君津市の老舗酒蔵・宮崎酒造店も穴太HDに加え、酒造りも加速しています。
これは、米作りを始めた当初から描いていたビジネスモデルといいます。讃岐うどん店の失敗で得た「出口を考えてから事業を始める」という教訓を生かした形です。
返礼品から継続購入へ
戸波さんは2019年、穴太HDを立ち上げました。グループ企業は現在、農業や米専門店、酒蔵などに広がっています。
多角化の出発点だった葬儀用の返礼品は、全売り上げの約半分が内製化の商品となりました。返礼品のみならず、実店舗やオンラインなどで一般に販売し、全国流通を目指しています。
葬儀の参列者が返礼品の米などを気に入り、継続的な購入につながるという流れも生まれています。葬儀の返礼品が、グループ全体の利益に結びつきました。
2024年11月には、オンライン葬儀を展開する全国の葬儀社の返礼品に、「北海道 水芭蕉米」のギフトが加わる共同事業をスタートしました。「地域の枠を越えて、当社のオリジナル返礼品が選択肢に入るのは喜ばしいです。今後も様々なチャネルで商品と認知を拡大していきます」
相続相談サービスも提供
葬儀業は今、大きな曲がり角を迎えています。帝国データバンクによると、2024年11月までの葬儀社の倒産・休廃業・解散は計47件で、これまで最多だった2007年(42件)を超えました。
高齢化社会に伴い、葬儀業の年間取扱件数は50万件(2023年)を超え、過去最多だったものの、家族葬など葬儀スタイルの簡素化で客単価が下がり、収益を圧迫しています。
千葉県内で六つのセレモニーホールを運営する十全社も、課題に直面しています。「コロナ禍で葬儀業縮小の動きが10年早く進みました」
かつての斎場は、100人が座れるスペースや車50台を停められる駐車場が必要で、食事や返礼品、マイクロバス、駐車場の案内係も欠かせませんでした。しかし、小規模な家族葬が広がり、その必要性は薄れています。
そこで求められるのは、葬儀以外でも顧客接点を広げるサービスの充実です。十全社も家族を亡くした高齢者向けに山歩きなどのイベントを開いてきましたが、コロナ禍で難しくなりました。
新たに始めたのが、士業とともに開催する相続セミナーです。十全社で葬儀を執り行った顧客は、無料で45分間の相続相談が可能です。十全社は専門家から紹介料を得られるほか、生前から相続準備の機会を提供することで、いざというとき葬儀を請け負う流れを作ります。
24時間365日の対応が求められる葬儀業で、返礼品の内製化以外のコスト削減も進めています。斎場は君津市内から車で30~40分で駆け付けられる範囲に限ることで、夜間の当直をかけ持ちし、人件費削減につなげました。
従業員数は24倍に成長
穴太HDはグループ7社の総売上高(2024年)が約15億円にのぼります。売り上げ構成比は、葬儀の十全社が約66%、生花と飲食事業を統合した穴太HDと米専門店が約12%ずつ、The北海道ファームなどの米生産事業が約10%です。
従業員数は120人で、戸波さんが家業に入ったときの5人から24倍になりました。
葬儀業という太い幹に、シナジーを生む事業の果実がぶらさがる。戸波さんが思い描いた事業戦略が形となりました。
戸波さんの長男は、2020年に27歳で入社。現在はグループの宮崎酒造店の社長を務めています。
まだ後継者を決めていないという戸波さん。仮に長男が3代目になる場合も、まずは社内外での信用を得てからと考えています。
戸波さんは逆境下で家業に入った後継ぎに向けて「家業で失敗が生じているなら、その本質が何なのかを理解することが大事」と語ります。
「中小企業は家業を大きくするのではなく、負けないことが大切です。私の場合は葬儀業という木に関係した事業を始め、それに成る実として育てました。新規事業を考える際は、出口を確実に見定めてから始めることを忘れてはいけないと考えています」