家業の危機に「何とかしろ」
松本興産は松本さんの父・肇さんが、時計などの部品加工から始めました。松本さんが家業入りしてからはCNC旋盤による精密切削技術を武器に、大手自動車メーカー用の部品加工が約95%を占めます。従業員数は143人、年商32億円まで成長。年商約12億円のタイ法人も経営しています。
自動車1台には2~3万点の部品が必要とされますが、松本興産ではそのうち0.9%をカバーしているそうです。種類もハンドルやトランスミッション、ステアリング、カーナビゲーション、自動運転用のカメラまで様々。それでも松本さんは「0.9%しか貢献していません。自動車技術は進歩しており、まだまだ夢を追いかけられます」と貪欲です。
松本興産が加工した自動車部品(ディスク)
野球に没頭した学生時代を送った松本さんは、機械系の大学に進学。自動車部品関連の商社や、大手機械メーカーを経て、27歳のときに松本興産に入社しました。
松本興産は秩父地方の山あいにあります
当時の主力は電子機器や時計などの部品加工でした。しかし、生産は賃金の安い海外工場に流れ、売り上げは減る一方。「父から『お前で何とかしろ』と昭和のノリで言われました」
「直樹が取ってくるものは最悪」
自動車部品に着手したのは1998年ごろ。商社時代の知人から、カーエアコンのコンプレッサーを制御するバルブの製造を頼まれたのがきっかけでした。
自動車部品参入のきっかけとなったバルブ(写真右端は削る前の素材)
大手メーカーでも多くの不良品を出す部品でしたが、「3カ月ほど取り組み、奇跡的に試作品10個ができた」と語ります。
自動車メーカーからは量産を求められましたが、「社内で相当反対されました」と言います。「自動車部品は割に合わない」というイメージが根付いていたからです。
「人の命を預かる自動車部品は、同じ精密部品でも求められる品質のレベルが3倍も違います。財務状況やコスト競争力などの監査もありました」
納期も一層の厳格さを求められ、社内からは「直樹の取ってくるものは全部最悪」という声も出たといいます。
自動車部品事業は、松本さんと社員1人の2人だけで始めました。父のブレーンだった社員が退職したのを機に、一気に若返りを図ります。「一つでも実績ができれば、絶対に次につながるという確信がありました」
試行錯誤を重ね、2年かけて自動車メーカーが求める品質を満たす部品が完成。それを機に、他の自動車メーカーからも注文が入り出しました。
試行錯誤を繰り返し、製造できる部品を広げました
トライアンドエラーを繰り返す
自動車部品は特に高度な精密技術が求められ、例えば、コンプレッサーを制御するバルブはミクロン単位の精密さで作らないと、車がうまく機能しなくなるといいます。
松本さんはあえて製造が難しい部品に絞り、「今、困っている商品はなんですか?」と営業に出向きました。
「例えば、お客さんが1個120秒かかっていた部品を、うちは50秒くらいで作る。社員には失敗をさせて、違う方法を考えてみる習慣を植えつけました。トライアンドエラーの繰り返しで、技術レベルがどんどんあがりました」
取引は国内だけでなく、中国や米国などの自動車メーカーにも広がっていきます。
現在、タイと合わせて50億円規模の企業になりましたが、自動車部品を始めたころの年商は5億円程度でした。
「年商5億円では若い人には響かなくても、年商50億円なら地域のブランドになり、親世代のお墨付きを得られます。会社のあり方を変え、自ら営業して顧客を開拓し、社員が自由に動けるグラウンドを整備しました」
海外の展示会にも積極的に出展しています
「不可能を削り抜く」を理念に
松本さんは2006年、35歳で2代目社長に就任。2012年にはタイにも自動車部品工場を立ち上げます。最初は半年ほど現地に常駐して軌道に乗せると、前職時代の同僚に現地法人の社長を任せました。現在の売上高は12億円、現地スタッフ150人を抱えるまでになりました。
就任後、打ち立てたのが「不可能を削り抜く」という新たな経営理念です。コンサルタントも交え15人ほどの社内チームで、1年かけて作りました。
「父の経営理念もいい言葉でしたが、5、6項目あって、すぐに思い浮かばないものでした。フラットな組織で、業界で断トツ一番を目指すという思いを新しい理念に込めました」
松本興産の工場内
順風満帆の経営にも落とし穴がありました。2018年ごろ「会社を畳むか」という事態にまで追い込まれたのです。
妻から迫られた究極の選択
原因は、松本さん肝いりの「ドリームチーム」の存在でした。2010年代半ばに人材派遣会社などを通じて、自動車業界に精通した営業マンや製造、グローバル人材などをかき集め、15人ほどのチームを作っていました。
売り上げは過去最高を記録しましたが、社内の雰囲気は悪くなる一方だったといいます。
「ドリームチームは優秀ですが、中小企業に求められる雑草魂のようなものは薄くなります。一方、プロパーの若い人は『社長はドリームチームの方が大事なのでは』とあきらめムードになりました」
ぎくしゃくした組織を見かねた、取締役の妻めぐみさんからは「会社を畳むか(ドリームチームを)やめるか、どちらかにして」と迫られました。松本さんは、ドリームチームの解散を決断します。
「家業に入ったときの原点に戻れば何とかなると思いました。社員には申し訳ないことをしましたが、中小企業はスター選手より、会社のことを隅々まで知るメンバーがいた方がうまくいくと気づかされました」
「風船会計」を組織強化に
組織づくりには、めぐみさんも大きな役割を担っています。
組織運営に課題を感じたのを機に、めぐみさんは会計を分かりやすく理解する「風船会計」というメソッドを編み出しました。
売り上げを「風船」、貸借対照表を「豚の貯金箱」に置き換え、数字ではなくビジュアルで会計の仕組みを伝えるメソッドです。2023年には風船会計を紹介する本も出版しました。
「私がイケイケで経営していたので、妻は『まずあなたを分析したい』と風船会計を始めました。妻の勧めで社員にもシェアすることにしました」(松本さん)
松本興産では毎週月曜日に1時間半ほど、風船会計の勉強会を開いています。部門横断で毎回30人ほどが集まり、競合や大企業などの財務状況などを分析します。
風船会計の勉強会では、おもちゃのブロックを使うことも
おもちゃのブロックを使って、財務状態を「見える化」するなど遊び心も重視しています。
「風船会計を学んだことで、絶対に不具合はつくらない、無駄な備品はなるべく買わないという意識になりました。『ここまで稼げば予算が出る』といった動機づけにもなっています。財務でもフラットな意見が出て、アドバイザーが社内に何人もいる状態なので安心できます」
週次の目標を共有する「風船アプリ」も開発。あるグローバル企業への販売も決まりました。
社内アプリで総作業時間を68%減
松本興産はコロナ禍を機に、若手社員を集めたDXのチームを作り、社内アプリの開発を進めています。チーム名は「ペンギン会」。「ファーストペンギン」が由来です。
「間接部門の高齢化が進み、過疎地域から人材は流出する一方。コロナ禍で暇になったこともあり、省けるものは省こうと進めました」
Microsoft Power Appsで、思い立ったものを次々にアプリ化。製造に関連したプログラムが即座に出るアプリなどはもちろん、お昼の弁当の要不要を尋ねるユニークなアプリもあります。こうした簡易アプリは50〜60個にのぼります。
アプリの運用で総作業時間を68%減らし、年間3890万円のコスト削減に成功しました。現在は、月500万ピースにも及ぶ生産部品の在庫管理システム開発も進めようと考えています。
社員主導のアプリ開発を、効率化にも人材育成にもつなげたのです。
コロナ禍で作り始めた伝統製品
受注が減ったコロナ禍で、松本さんは「何でもいいから作ろう」と製造部門に呼びかけました。「1~3位までに賞金を出すと呼びかけたら、色々なものができました」
そうして誕生したのが、精密加工技術を生かした、はしやおちょこ、打ち出の小づちなどです。最近はチェコの展示会に出展しました。「日本人がつくったものは重宝されますが、自動車部品だけでは訴求力が低くなります。技術を伝えるため、日本伝統の商品を配っています」
精密加工技術を応用して作った、はしとおちょこ
評判は上々で、アウトドア商品も海外展開しようとしています。アウトドア分野は頑丈で軽く、熱伝導に優れた製品が求められ、得意の切削加工技術が生きるからです。「ENOVO」というブランド名も考えました。
「自動車部品だけでは少し地味でも、ENOVOを広めることでものづくりに関心の高い若者を引き付けられると考えました」
地元高校に自動車パーツを提供
松本興産の年間休日は126日で、大卒初任給も大手企業並みの水準です。男女比はほぼ半々で、タイ法人では製造を除く全部署の管理職が女性となっています。男性の育休取得率の高さや男女の賃金格差の低さなども評価され、2024年の「Forbes JAPAN WOMEN AWARD」で、1700社の中から企業部門第2位に選出されました。
松本興産のタイ工場
地方の製造業にあって、松本興産は毎年数人ずつ高卒や大卒の若手人材を採用しています。
次世代の技術者育成へ、種もまいています。単三形充電池40本を動力源とする「ENE-1 MOTEGI GP」に挑戦する地元の埼玉県立秩父農工科学高校に、自動車のパーツを提供しています。
「大企業や大学生もひしめく中で勝ちたいという高校生に、パーツの生かし方などもアドバイスしています。継続することで松本興産のファンが増え、インターンシップ希望につながっています」
山あいの工場から世界市場へ
「今後、日本での商圏は少なくなるかもしれません」と松本さんはいいます。2027年にはタイに続く海外2拠点目を作る構想もあります。その布石として、2023年から海外での展示会出展を本格化し、若手社員を送り込んでいます。
「世界中の展示会に出ながら、若い人を海外の文化に慣らしたいと考えています」
松本さんは地域に愛される企業を目指しています
組織のボトムアップを図ってきた松本さんですが、前に出るべき場面もあります。それは円安や原材料高を受けた取引先との値上げ交渉です。
「営業任せではなくトップダウンで全部動きました。電気代や石油、洗浄液などの資料を集め、最後は取引停止してもいいという覚悟で臨みました。これから中国などとの競争で値下げ合戦の可能性もあります。それでも自社の強みを出し、この価格でしか受けないと強く言うべきでしょう」
「経営者に魅力が無いと社員はついてきません。後継ぎは何を思っているか、社員はよく見ているものなんです」
過疎地域の工場を率いる松本さんは、交流拠点づくりなど地域振興策も描いています。「自動車産業が衰退すれば、資源の少ない日本への影響が大きくなります。若者が目指したいと思える環境を作り、日本や地域に恩返ししたいです」
山あいの町から、自動車部品を世界へ。力強い中小企業の挑戦に目が離せません。