目次

  1. 市場や寿司屋の冷凍冷蔵庫メーカーとして創業
  2. 社長にあこがれた幼少時代 いずれは「家業を継ぎたい」
  3. 事業を畳もうと考えていた
  4. 改善してほしい点や困りごとを直接ヒヤリング
  5. 天井開閉式や脱着可能扉など世の中にない製品を
  6. ずさんだった生産管理体制 残業100時間も
  7. 生産管理システムを導入し業務を効率化
  8. 新社屋を設立しさらなる業務効率化を

 岸産業は岸さんの祖父である岸良生さんが、大阪市の中央卸売市場で鮮魚の仲買人業者のために、冷凍冷蔵倉庫を製作したのが始まりです。その後、寿司屋のショーケースも手がけるなど、事業を拡大していきます。

 ところが、しばらくすると大手メーカーが参入し、安価な規格品が流通するようになります。岸産業の製品はフルオーダーであったため価格面で折り合いがつかず、売上は減少していきました。

 一方で、食品メーカーなどが大型の冷凍冷蔵倉庫を相次いで建設するようになり、扉は都度設計する必要がありました。そこで父親でもある2代目の岸良光さんに事業を継承したタイミングで、防熱扉の製作も本格的に取り組むようになります。

岸産業が手がけるさまざまなタイプの防熱扉
岸産業が手がけるさまざまなタイプの防熱扉

 しばらくは両事業を手がけていましたが、大手スーパーマーケットチェーン、EC小売の大型物流拠点など次第に防熱扉の専門企業として存在感を発揮するようになります。現在では北海道から沖縄まで全国各地の工場や倉庫などに、年間1000枚ほどの防熱扉を製作し、収めています。

 父親がどんな事業をしているのか、岸さんは入社するまで詳しく知りませんでした。

 ただ、父親が自宅に仕事の関係者を招くことがあり、その際に会社のトップとして堂々とやり取りしている姿を見て「あこがれを覚えましたし、会社の歴史もある。自分もいずれは父親のような社長になりたいと考えていました」と話します。そこで、大学卒業後に家業に入ります。

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