「よくこんな業界」に奮起 ヘップサンダルの売り方から変えた川東履物商店
吉村智樹
(最終更新:)
川東履物商店4代目・川東宗時さん
奈良県大和高田市の川東履物商店はサンダルを専門とする企画販売会社です。4代目の川東宗時さんは取扱商品の9割以上を輸入に依拠していた先代までの経営を見直し、2020年、奈良県での製造を中心とした国産サンダルブランド「HEP」を起ち上げます。さらに社屋内にブランドの存在を支える直営店「ヘップランド」をオープン。「可能性があることはなんでもする」という姿勢でブランド創立期から売り上げを5倍にしました。「作り手の仕事を絶やさないために流通量を増やしたい」と意気込んでいます。
新旧が共存する世界観の「ヘップランド」
川東履物商店の社屋に直営店「ヘップランド」。
靴底のインソールをぶら下げたユーモラスな暖簾をくぐると、まるでスナックのようなL字カウンターが現れます。販売スペースにはフェイクレザーを素材とした約15種類のヘップサンダルが並び、ディスプレイにはアンティーク家具やインテリアが使用されているのです。
扉を開けるとスナックを思わせるL字カウンターが現れ意表をつく
ヘップサンダルとは、かかと部分を覆わない「つっかけ」タイプのサンダルのこと。映画『ローマの休日』でオードリー・ヘップバーンが同形のサンダルを履いていたため、ヘップの名で呼ばれはじめたという説があります。つまりHEPは「つっかけ」のブランドなのです。
HEPは「つっかけ」タイプのサンダルのブランドだ(川東履物商店提供)
「当社のブランド“HEP”(ヘップ)はでは気楽さを大切にしています。サンダルがもつ懐かしい雰囲気と気楽さを表現するため、古いものと新しいものが共存する世界を表現しました」
そう語るのは4代目・川東宗時さん。閉業した地元スナックの残置物や大和高田市役所の旧庁舎から譲り受けた什器を使用しています。
「HEPの世界を感じてほしい」と語る川東さん
別棟には夜の歓楽街を想起させるギャラリーがある
「当社が販売するサンダルは奈良県を中心に国内で製造した日本製です。世の中に流通しているサンダルは現在、ほとんどが海外製なんです」
川東履物商店は従業員5人。創業は1952年。
「初代は生活用品のよろず屋を営んでいました。かつて大和高田市周辺はサンダルづくりの職人さんがたくさんいたため、ミシン掛けをする人、糊を扱う人などのために材料を仕入れて販売しはじめたのです。そうして多くの職人さんとのご縁が生まれ、次第にサンダル卸業へ移行していったと聞いています」
川東家は父・徳之さん(63)の代まで個人事業でした。川東さんは2019年、古くからの通称「川東履物商店」を再び掲げ、同じ敷地内に独立開業。2022年に法人化したのです。
サンダルの産地が海外製造に市場を奪われ衰退
大和高田市を含め、周辺地域一帯は昭和の頃、ヘップサンダルの産地でした。近隣の御所市、香芝市を含め150軒を超える工場があったといいます。
各工場が1足を一貫製造するわけではありません。家内制手工業として部位ごとに分業化され、それらを取りまとめる工場があるといった構造です。
しかし、90年代にバブルが崩壊した頃から日本はデフレとなり、卸業者は製造の場を安価で量産できる海外に求めるようになりました。
2代目である祖父・徳之さんが営む川東商店も例外ではありません。海外の工場に製造を依頼して輸入する事業形態に変化していました。川東さんも少年期に、時代の移り変わりを感じていたようです。
「大型トラックで海外からどんどん運ばれてくるサンダルの荷下ろし・検品・出荷の作業のために祖父も父も汗を流して働いていたのを憶えています。私も仕事を手伝いながら『たいへんな力仕事だな』と感じていました」
このように奈良のサンダル卸業は活気がありましたが、半面、製造は衰退していったのです。
60~70代がメインだったサンダル職人
中学時代にファッションに目覚め、「大阪のなんばまで古着を買いに出かけていた」という川東さん。大学を卒業し、上京して繊維商社に勤めます。
「ショップの販売員をしたり、岡山県へ赴任してジーンズのOEMに携わったり。アパレル界の接客と製造、どちらの世界も見てきました。この頃の経験は現在の仕事に大いに役立っています」
マレーシアのヘアサロン事業の会社への転職を経て、故郷の奈良への思いが募り、2017年に退職して帰郷するのです。
「20代のほとんどを県外や海外で過ごしながらも、心のどこかにずっと奈良がありました。そして、ジーンズをはじめファッションに携わった経験から、『自分が関心を持っている現在の事業の仕組みと家業が似ている』と考えるようになったのです」
しかし、実家へ戻った川東さんは、サンダル産業の過酷な実態に直面します。
「父とともに奈良の職人さんの工場を挨拶まわりしたのですが、高齢化が著しかった。50代が最若手。60~70代がメインでした。そして皆さん、自信を失くしていたんです。『よくこんな業界に来る気になったね』など、後ろ向きな声が多かった」
「作り手たちが自分の仕事への自信を失っているように感じた」と当時を振り返る川東さん
作り手の丸くなった背中が、なんだか悲しく映った川東さん。この経験がさらにサンダルへの思いをたぎらせます。
「最盛期は奈良で150軒を超えていた工場が現在は1/10にまで減り、商品も『自分ならば好んで購入しないな』と感じるものばかりでした。とはいえ、現在もかろうじて製造を続けられている。このバトンを次世代へ渡すために自分は何かできないか。そうして、『奈良でつくる自社サンダルブランドを起ち上げたい』という決意が固くなったのです。まだ奈良でもものづくりができるのではないかと」
「奈良の作り手たちがサンダルづくりに誇りを持てるように」との思いを胸に、川東さんは2018年、奈良で生活雑貨工芸品の製造小売とコンサルティングを行っている中川政七商店が主催する教育講座を受講します。そこでブランド展開の勉強をするとともに奈良出身のデザイナーやさまざまな事業者と知り合いながら、起業へ準備を進めました。
「数千円もするサンダルなんて誰も買わない」と反対
とはいえ、奈良生まれのサンダルブランドという夢に地元の誰もが諸手を挙げて賛同したわけではありません。
「下請けが当たり前という慣習があり、オリジナル商品をつくるという部分を掟破りだと感じられたようで、工場の人たちから反対されたり、父からは『大丈夫か?』と心配されたりしました。皆一様に『2,000〜4,000円ほどで売られているヘップサンダルに1万円近く払う人はいないだろう』と。でも、今までが安すぎたんです。信じられない価格で販売していますから」
話しあった結果、2019年、父は個人事業のまま旧来の卸業を続け、息子は自社ブランド運営のために同じ敷地内で独立開業し、親子で製造元や流通先を分ける運びとなりました。
「根本的な改革が必要だと感じたので、ゼロから始める覚悟で、融資も自分で借りました」
もっと素材を吟味し、デザイン性、機能性、耐久力を高め、抗菌や消臭効果までをも考えぬいたサンダルをつくれば勝機はあるはず、そう考えていた川東さん。しかし、多くの反対に遭い、協力してもらえる工場が見つからない。現実の厳しさを味わいます。
「履物組合の名簿に掲載された工場に上から順番に連絡しました。とはいえ、昨日まで素人だった人間の企画に乗ってくれる人はなかなか見つからない。ほとんどの工場から、けんもほろろに断らました。心折れながらも根気よく探していると、『おもしろいじゃないか』とサンプルづくりに根気よく付きあってくださる方が何人か現れ、材料を探してくださるなど、助けていただいたのです」
右が旧来のヘップサンダル。左に並ぶ3点がHEPのサンダル
量産化にはさらなる障壁がありました。
「引退してしまった職人さんの工程があり、思うようなデザインの商品に仕上がらない問題が出てきたんです。そのため引退した方から中古の機材を譲っていただき、その作業を私たちが手掛けるようになりました」
そうして企画、卸販売などの営業活動を行うかたわら、一部の製造過程を担うようになったのです。
製造過程の一部を川東さんたちが内製するようになった(川東履物商店提供)
ブランドデビューと同時にコロナ禍が襲う
こうして川東さん自身がサンダルづくりに携わりながら、2020年、ヘップサンダルのブランドHEPを発足。同年2月に東京の展示会に出品し、これが旗揚げとなりました。
「ユニークなコンセプトと、商品のデザインがフックとなり、ファッション誌で取り上げていただいたんです。それがきっかけで注文が続くようになりました。その後も取材が相次いだり、『催事でポップアップショップを出しませんか』とお声がけをいただいたり、出だしは順調だったんです」
HEPのサンダルはたちまち話題となった(川東履物商店提供)
喜んだのも束の間、コロナ禍が新規ブランドに襲い掛かります。
「緊急事態宣言が発令され、予定していたポップアップストアのスケジュールはすべて白紙になりました。仕方がなく突貫工事的にECサイトを起ち上げ、しばらくは通信販売でしのぎました。取材を受けた記事がこの時期から掲載されるタイミングだったので注文がたくさん来たのが不幸中の幸いでしたね」
ブランドの存在支える直営店「ヘップランド」
川東さん2023年、ファクトリーショップ「ヘップランド」をオープンします。サンダル販売だけではなくカウンターテーブルでドリンクを楽しめ、不定期にイベントも行う、一風変わった直営店です。
直営店ヘップランドができてサンダルを購入しやすくなった(川東履物商店提供)
ヘップランドはコミュニティの場にもなっている(川東履物商店提供)
「ブランドの起ち上げ準備をしていた2019年から、こういうショップを開きたいと構想していました。さまざまな産地の事例を見てきて、会社と一体化した直営店の存在がとても大きいとわかったんです。たとえば靴下工場が隣接するファクトリーショップをオープンするとか」
長く物置と化していた祖父の職住家屋を改装。かかった費用は1500万円。補助金を活用しつつ資金を調達し、さらにクラウドファンディングで400万円の支援金を集めて店舗化を実現しました。
「可能性があるのならばなんでも」で売り上げを5倍
そうしてブランドを起ち上げた初年度2020年の売り上げ1000万円から2024年度は約5000万円と5倍に増やしました。
売り上げが伸びた理由は、ヘップサンダルが醸しだす、よい意味でのゆるさが時代とマッチした部分はあるでしょう。しかし、川東さんの攻めに攻めた姿勢があったからこそです。
「売れる可能性があることは、なんでもやりましたね。直営店、月に1度の東京と地方への営業、展示会への出店、ECサイトの更新、SNS運用、チャンスがあるものはすべてやっている状況です。ただ、決して売上の最大化だけに貪欲なわけではありません。作り手の仕事を絶やさないために流通量を増やしたい。そうすればもっと作り手の仕事を創出できる」
かつては「よくこんな業界に来る気になったね」と言われた製造現場へも利益還元できはじめ、活気を取り戻しつつあるのだそうです。
川東さんが考える今後の展開は。
「つねに新色や新素材に挑戦し、『靴を購入する選択肢の一つにブランド“HEP”がある』という価値観が生まれるほどに普及させたい。サンダルが生活の中で当たり前の存在になってほしいです。そして、それによって日本の製造業をもっと活性化させたい。それが目標です」
「HEPが生活の中で当たり前の存在になってほしい」と語る川東さん
ふとした日常のひとときを、軽やかに支えるHEP。川東履物商店は確かな一歩を踏み出そうとしていました。