「代表権は1人で持ちたい」ツインバード工業3代目が語る事業承継のヒント
新潟県燕市に拠点を置く家電メーカー・ツインバード工業は、少人数世帯向けの冷蔵庫や掃除機から、宇宙で使われる冷凍機まで幅広い商品を製造しています。3代目社長の野水重明さん(54)は父から事業を継いで9年。カリスマ経営から脱皮し、人材獲得やマーケティングに力を入れ、オンリーワンの家電を次々と送り出し、ブランドを築きました。
新潟県燕市に拠点を置く家電メーカー・ツインバード工業は、少人数世帯向けの冷蔵庫や掃除機から、宇宙で使われる冷凍機まで幅広い商品を製造しています。3代目社長の野水重明さん(54)は父から事業を継いで9年。カリスマ経営から脱皮し、人材獲得やマーケティングに力を入れ、オンリーワンの家電を次々と送り出し、ブランドを築きました。
――野水さんが、家業だったツインバード工業に入社するまでの経緯を教えてください。
ツインバード工業は私の祖父が創業し、私が物心ついた頃にはすでに50人ほどの社員を抱えていました。父・重勝の代では下請けのメッキ加工だけでなく、自社でスプーンやフォークなどの洋食器やトレイなどを作り、やがてラジオやライトなど、乾電池を使う製品から、家電製品も手掛けるようになりました。
私は父の意向で大学卒業後の1989年、ツインバード工業に入社しました。すぐに都市銀行に出向して3年ほど東京の支店に勤めました。バブル崩壊に直面し、銀行の凋落、激動のど真ん中を体験しました。銀行で学んだファイナンスや資本政策、キャッシュの回し方などは、経営者としての肥やしになっています。
――ツインバード工業に戻った後は、どんな仕事をされましたか。
最初は生産管理部門で、半年ぐらい仕事をしていました。しかし、地元の有力者らから「今の君では経営者になるのは難しい、もっと工学系の勉強をするべきだ」と言われました。会社を休職して、長岡技術科学大学の大学院に行きました。
大学院では電気電子、情報制御を専攻して6年間在籍しました。担当教授が厳しく、この時、我慢する力や課題解決力、壁にぶつかった時にどうすればいいか考える力が身についたと感じています。
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――その後は、会社で経営者としての勉強を始めたということでしょうか。
1999年に大学院から会社に戻り、香港事務所に配属されました。アメリカやヨーロッパで自社ブランド商品を売りたかったのですが、4年間の駐在中にできたのは、スティッククリーナーのOEM生産の受注のみでした。
2004年、東京の営業本部に配属されましたが、業績が非常に悪くなっており、2006年まで5期連続赤字が続いている状況でした。赤字の理由は2つです。円安による原価上昇を原因とした収益力の低下と、長年研究開発を続けてきた世界初の冷凍技術スターリング冷凍機への投資が負担になっていたことです。
これは通常の冷凍庫とは全く異なった仕組みの冷凍機で、リニアモーターを使った熱交換により、マイナス100度まで冷却でき、緻密な温度制御ができるなどの利点があるのですが、量産化が非常に難しかったのです。
連続赤字は先代社長らが人員削減を行うなど立て直しに奔走し、2007年に黒字に転換しています。私は同年に取締役となり、経営に参画するようになります。
――野水さんが会社を継ぐフェーズになったわけですね。社内外の反応はいかがでしたか。
表立って継承を反対されることはありませんでしたが、先代社長を支えてくれていた銀行出身の副社長からは「社員の家族を含めて1000人の暮らしを支える力量は、今のお前にはない」とはっきり言われました。
香港では海外のセールスやビジネスを学び、東京の営業本部では日本風のウェットな人間関係と国内営業を経験しました。営業の頃は副社長から「百発百中はない。1回だめでも2回、3回と行けばいい」と言われて、わかったつもりでした。
ところが、本社の経営企画室長に就任してからは「経営企画を失敗したらどれだけの迷惑をかけるか分かるか。絶対に失敗は許されない」と、副社長から再びスパルタで指導していただきました。この時はさすがにこたえて、体重が5キロぐらい落ちたのを覚えています。まずは社員からの信頼を得ることに奔走しました。
――2011年に代表取締役社長に就任します。その時、お父様が持つ代表権を渡してほしいとお願いしたそうですね。
5年間の連続赤字の後、V字回復をする中で、社員の1割が退職しました。副社長が再就職先は斡旋しましたが、随分血を流すことになったんです。先代社長はかなりワンマンでトップダウンだった面はありましたが、私利私欲で動くことはなく、情熱をかけて会社を経営してきました。それにも関わらず、苦境に立ってしまった。まずは父に休んでほしかったのがあります。
また、昭和の時代のような「たくさん作ってたくさん売る」、カリスマ経営者がトップダウンで決定する、という社風を大きく変えたいと考えました。社長交代の1、2週間前に社長室に行って「代表権は1人で持ちたい」と話しました。
さすがに父も怒って1週間は口をきいてくれませんでした。ただ、私も言った以上はそれを譲るつもりはありません。最終的には「お前のやりたいようにやってみろ」と理解してくれました。父は現在特別顧問ですが、経営に一切口を出すことはありません。スパッと退任したのは、周りの経営者からもすごいと言われています。自分がその立場になった時、すっと身が引けるかわかりません。
――野水さんが社長になって、真っ先に変えたことは何ですか。
専務になった頃から、社員からの信頼を得ることを大事にしていました。社員から匿名のアンケートを募ると、「ユニフォームが古いので変えてほしい」、「社長はどうして社員食堂でご飯を食べないのか」など、色々な意見が集まってくるんです。まずは、そんな問題を一つ一つ解決しながら、信頼関係を積み重ねていきました。
社長になってから、人材採用に力を入れるようになりました。事業継承した時、他社の先輩社長から「スケジュールは採用活動から埋めなさい」と言われました。会社にとって大事なのは人材だと思っています。ただ、採用というのは1年2年やったからといって変わるものではありません。10年、20年ずっと採用し続けて、研修の場を創り続けていかないと力になりません。
社長就任後は、地元の新潟大や長岡技術科学大、東京の大学を回りました。特に家電にとってデザインは非常に大切です。人を幸せにするようなデザインの製品を作りたいという気持ちが強かったので、美術系大学はよく回っています。
――社長就任後、オンリーワン商品の開発に力を入れています。アイデアはどこから生まれるのでしょうか。
売上高何兆円規模の超大手家電メーカーを目指しているわけではありません。直近の売上高は120億程度です。会社としてコンパクトで柔軟性があります。技術力が強みなので、ニーズが多様化・細分化する時代にフィットできると考えています。
代表例が世界一を目指した、豆から挽く全自動のコーヒーメーカーです。価格的には大手の倍くらいしますが、味の評価が高く、デザインもこだわりました。コーヒーミルも燕三条から生まれた特許技術を使っています(現在特許出願中)。大量生産はできませんが、お客様の期待水準を超えるこだわりの商品を作ってブランド価値を高めたいと考えています。
商品の企画には、若者を積極的に登用しています。 若い人は現代の時代感覚を肌で知っています。ただもう一つ大切なのは、お客様と一緒に作ることです。 なので、お客様からの声を社員にフィードバックし続け、満足していただける商品を愚直に作っていきたいです。
事業継承したときにはなかったマーケティングや広報PRの部署も設けました。東京にショールームもつくりましたが、まだまだ力が足りないのでもっと強化します。今後はオリジナリティーあふれる製品を作り出し、ブランドの認知を高めて、価値を創造していきたいです。
――これから事業継承を考えている後継者へのメッセージをお願いします。
今回の新型コロナウイルスもそうですが、経済変動、為替、金利、原油、金属、モノの価格も変わり、デジタル革命もどんどん進んでいきます。外部環境が絶えず変わる中で社長をやるのは、非常に大変なことです。腹の括り方や、覚悟は必要だと思います。
ただ、経営者に与えられた特権もあります。法律やガバナンス、コンプライアンスなどを守った上であれば、会社を自由にデザインできるんですよね。自分1人でなんでもできるわけではありませんが、リーダーシップが発揮できることこそ社長の特権です。先輩社長にも「激務かもしれないけど社長業を楽しむようにしろ」と言われました。
僕には先代のようなリーダーシップやカリスマ性はないかもしれません。昨年、僕より若い執行役員を4人登用して、ようやく経営メンバーがそろったと実感しています。これから世の中にイノベーションを起こすような商品やサービスをどう作っていくのかを考えるのは、やっぱり楽しいです。
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