銀行出向・大学院進学で経営者修業

――野水さんが、家業だったツインバード工業に入社するまでの経緯を教えてください。

 ツインバード工業は私の祖父が創業し、私が物心ついた頃にはすでに50人ほどの社員を抱えていました。父・重勝の代では下請けのメッキ加工だけでなく、自社でスプーンやフォークなどの洋食器やトレイなどを作り、やがてラジオやライトなど、乾電池を使う製品から、家電製品も手掛けるようになりました。

ツインバード工業は、1951年にメッキ加工を行う「野水電化被膜工業所」として創業しました(同社提供)

 私は父の意向で大学卒業後の1989年、ツインバード工業に入社しました。すぐに都市銀行に出向して3年ほど東京の支店に勤めました。バブル崩壊に直面し、銀行の凋落、激動のど真ん中を体験しました。銀行で学んだファイナンスや資本政策、キャッシュの回し方などは、経営者としての肥やしになっています。

――ツインバード工業に戻った後は、どんな仕事をされましたか。

 最初は生産管理部門で、半年ぐらい仕事をしていました。しかし、地元の有力者らから「今の君では経営者になるのは難しい、もっと工学系の勉強をするべきだ」と言われました。会社を休職して、長岡技術科学大学の大学院に行きました。

 大学院では電気電子、情報制御を専攻して6年間在籍しました。担当教授が厳しく、この時、我慢する力や課題解決力、壁にぶつかった時にどうすればいいか考える力が身についたと感じています。

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