目次

  1. 誰からも祝福されないスタート
  2. 無言でたばこの煙を噴きかけられ
  3. 社内の構造改革が不可避に
  4. 薬の品目を大幅に減らす
  5. 社員とのコミュニケーションを密に
  6. アロマの施設をオープン
  7. トップスピードで次代に託す
  8. 同業他社と未来を語り合う

 「つぶれそうな会社を継いだため、誰からも祝福されないスタートでした」。2014年、34歳で社長に就任した前田さんは、若き経営者なら誰もが抱く高揚感とはほど遠い心境でした。2013年に起きた不祥事という重荷を背負った中での船出でした。

 前田薬品工業は1958年に創業し、医薬品・医薬部外品の製造販売を手がけてきました。しかし、2013年に富山工場で、大手医薬品メーカーから受託製造した薬の試験データを改ざんするという事態が発覚しました。当時専務だった前田さんは「起こるべくして起きた事件でした」と悔やみます。

富山市にある前田薬品工業の社屋(同社提供)

 過剰な受注や風通しの悪さが、引き金になったといいます。「適正な在庫管理や価格交渉ができていないのに受注は増えていたので、みんなが忙しかった。今より3倍ほどの取引先を抱え、製薬会社として最も大切な品質管理・品質保証より、納期が優先される体制でした。役職や部署の垣根を超えて、おかしなことを物申せる雰囲気がありませんでした」 

 社内で発覚してから、リコールの対応、ほかの品目にデータの改ざんがないかの調査を毎日深夜まで半年間かけて行いました。2014年5月には、工場に10日間の操業停止という行政処分が下されました。

 前田さんは創業者の前田實氏につながる家系に生まれ、父の圭一さんが2代目社長になりました。前田さんも29歳で会計事務所から転身して、前田薬品工業に入社しました。「創業者のオーラが印象的で、後を継いだ父の苦労を見てきたことや、地元の富山が好きだったことなどが決め手になりました」

 後を継ぐことは頭にあっても、急きょ社長に就任したのは、会社再建のために社外から人事刷新を迫られ、先代社長の父・圭一さんが引責辞任したためでした。

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