看護師からの転身「やってみたら」と言う人はゼロ

――お父さんが急逝され、お母さんの名前になっていた町工場を「継ごう」と決めたのはなぜだったのでしょうか?

 父には「工場は危ないから見せちゃだめ」と過保護に育てられたので、実家が何をしているのか全く分からないまま大人になりました。

 16歳で家を出て、看護師の資格を取って働いていたのですが、会社はずっとあるものだと思っていたんです。

 父が2009年に心臓発作で亡くなり、会社の名義は母に変わりました。残って頑張ってくれている社員たちの定年までは、母は「やめる」とは言い出せなかったみたいでした。

 8年前、職人さんも定年を迎えるし、母から「会社を閉じる」と言われたとき、「なくなるのは寂しい」と思いました。父には何もしてあげられなかった。「最後の親孝行」と考えて、継ぐことを決めたんです。

田中さんにオンラインでインタビューに答えてもらいました
田中さんにオンラインでインタビューに答えてもらいました

――看護師の仕事から、製造業の町工場へ。迷いはなかったのでしょうか?

 迷いもあったし、家族や周りからは止められました。女性だし若かったし、「遊びじゃないんだよ」「すぐつぶれるよ」と言われました。誰ひとり「やってみたら」とは言ってくれなかったんです。

 そんなに止めるなら「自分の手で終わりにしようかな」という気持ちになりました。自分の手で閉じることも、親孝行なんじゃないかと。

 看護師の仕事は好きでしたし、スキルも上がってきて後輩もできました。でもいつか戻ればいいかとも思いました。8年後にこんな風になっているとは夢にも思いませんでしたね。

「この町工場をなくしてはだめだ」と気づいた

――継いだ後は大変だったのではないでしょうか。

 今よりも製造業は「男社会」でした。何度も「女のくせに」と言われましたね。ただ、知識もスキルもなかったですから、「お前に代表として何ができるのか」と指摘され、「ごもっともだな」という状況でした。「私に未来がない」と判断して、離れていく取引先もありました。

 でも、継ぐときの思いは「親孝行」でしたが、入って1週間も経たないうちに「ここをなくしてはならない」に気持ちが切り替わりました。

 看護師の仕事のやりがいは「誰かの役に立つ」からでした。父の仕事は、電気関係の部品をつくる事業がメインでしたが、継いですぐに、みんなの生活のライフラインをつくっていて、生活に役立つ仕事じゃないかって気づけたんです。

――とは言っても、畑違いの仕事を学ぶのは大変だったのではないですか?

 4年間、仕事を覚えるのはすごく大変でした。機械メーカーさんに「研修させてほしい」と乗り込んだことも。現場での作業や、機械修理・プログラミング、何でもやって、毎日泥と油まみれになっていました。

 ただ、意外と共通点はありました。誰かの役に立って、喜んでくれる人がいるということ、整理や整頓といった職場環境をきれいに保つスローガン「5S」もまさに一緒でした。

1975年に田中さんの祖父が設立した山本製作所。真鍮材などを使用した電気部品の加工や自動車・精密部品の生産などを手がけています。女性4人、男性3人が働き、休憩室をたくさん用意するなど働きやすさも大切にしているそうです
1975年に田中さんの祖父が設立した山本製作所。真鍮材などを使用した電気部品の加工や自動車・精密部品の生産などを手がけています。女性4人、男性3人が働き、休憩室をたくさん用意するなど働きやすさも大切にしているそうです

マスク掛け「しっぽ貸し手」が大ヒット

――2020年5月、初の自社ブランド「yss.brand」を立ち上げ、発売したマスク掛け「しっぽ貸し手」が大ヒットとなりました。この商品開発の経緯を教えて下さい。

真鍮で製作された「しっぽ貸し手」3300円。しっぽの先をタッチレスツールとして使うこともできます
真鍮で製作された「しっぽ貸し手」3300円。しっぽの先をタッチレスツールとして使うこともできます

 社長になってから、誰かの困っていることを解決する企業になりたいと「製造業から創造業へ」というスローガンを新たに掲げました。
 そこで、前職の看護師たちが困っていることを聞いてつくったのが「しっぽ貸し手」でした。

 これまで医療業界では、使ったマスクは「不潔」なので、使い捨てマスクをまた使うことはなかったんです。でもコロナの感染が拡大し、マスクは足りません。
 看護師たちは、ごはんを食べたり水を飲んだりマスクを外す時に、保管するところがないと困っていました。せめて内側だけはきれいにしておきたい……という声に応える「マスク掛け」はできないかと考え始めたんです。

――猫のデザインになったのはどうしてですか?

 すでに世の中にタッチレスツールが結構出ていました。いろんな形があるんですけど、持っていてもあまりワクワクしないなと思って。

 ものづくりの楽しさって「使っている人が喜んでくれるかな」だと思います。医療の現場にいる人たちは「自分がコロナにかかったらどうしよう」「でも働かないといけない」と不安になっている。そんななかで、くすっと笑える・癒やしになる要素でつくれないかな、と思いました。

「猫の手を借りる」ならぬしっぽを借りて

 デザインについて話し合い始めたころ、会社によく野良猫が来るようになりました。弊社もコロナの影響を受けていて、みんな不安になって笑顔が消えていました。でも、猫が来ると「やだ~かわいい~~」とみんな笑顔になるんです。

 笑うことって人間として大事だな、と。製品に生かしたら、使っている人もニコッとできる一瞬があるんじゃないかなと思いました。「あなたのしっぽ借りるね」という感じで、もはや野良猫ではなく、うちの営業部長ですね。

しっぽ貸し手のモデルになった野良猫。山本製作所のインスタグラムにも登場します
しっぽ貸し手のモデルになった野良猫。山本製作所のインスタグラムにも登場します

――8月末まで予約がいっぱいだそうですね。自社ブランドの第一弾がヒットしたことで変化はありましたか?

 初のBtoC製品のヒットで、お客様の声がダイレクトに届くようになって、社員が喜んでいることですね。

 電話がかかってきて「頑張ってね」と言ってもらったり、お手紙や差し入れ、モデルの野良猫にキャットフードが届いたり。BtoCだけでなく、実はBtoBのお客様もそう感じてくれているんだ、と考えることが出来て、モチベーションが上がったと思います。

 購入者のデータをとってみたら、半分は医療従事者。もう半分はデザインに癒やされたからという理由でした。作り手は機能を考えがちですが、ストーリーや思いに付加価値を感じてもらって、購買意欲を持ってくれるんだなという学びもありました。

 「マスク保管なら100均のS字フックでもいい」という意見もありました。それでも買ってくれたのは、100円以上の価値が伝わっていたからです。見えない付加価値・感動をとらえてくれたんだなと思いました。

地域に貢献するコミュニティナースの活動

――看護師の資格をいかして、地域の困りごとを解決していこうとコミュニティナースとしても活動されている田中さん。どんな活動をしているんですか?

コミュニティナースとしても活動し、各地でイベントなどを開催する田中さん
コミュニティナースとしても活動し、各地でイベントなどを開催する田中さん

 豊橋・岡崎にもコミュニティナースがいます。東三河を元気にしようと考えて、イベントなどさまざまなことを企画しています。

 看護師は「注射する」「点滴する」といったイメージかもしれませんが、本当の看護は「どこが痛いですか」と背中をなでる、「痛いですよね」と手をとってあげたりすることが大事です。病院にいなくても、看護はできると考えています。

 コロナの影響もあって、命に関わるかもしれない不安を持つお年寄りも、お子さんのいる保護者の方も、ギスギスしてしまっています。
 会社をやっているので、当たり前の感染予防をきちんとして、みんなが個々に責任を持って、経済を止めないことが一番かなと思っています。

――コロナで学校が休校になったときには子どもの預かり場をつくったそうですね。

 急に休校となり、子どもが家にいることになる。母子家庭や共働き家庭では事故につながりかねないと思いました。企業間の協力や異業種連携も大事にしたいと考えていたので、自動車部品メーカーの武蔵精密工業(豊橋)や、個人事業主の方に声をかけて協力してもらい、子どもの無料預かりを始めました。
 感染症対策は私が担当しました。この先、災害などがあってもフットワーク軽くいろんな業種が動けることが強みだなと思っています。

スタッフと一緒に昼間の時間を過ごす小学生(2020年3月、愛知県豊橋市、宮沢崇志撮影)
スタッフと一緒に昼間の時間を過ごす小学生(2020年3月、愛知県豊橋市、宮沢崇志撮影)

――コミュニティナースと企業の活動がリンクしていることはありますか?

 今回、医療と製造業の異業種の関わりから「しっぽ貸し手」は生まれました。

 これまで製造業って、ライフラインに関わっていることや、大手企業とつながりがあることにフォーカスされがちでしたが、今後はものづくりのフェーズが変わっていくんじゃないかなと思います。
大手と取引のあることがステータスではなく、ものづくりが輝ける場所がたくさんあると思うんです。
その一環が、医療現場の声を拾って、ものを形にすることでした。

 社会問題と関わっていくことで、新しく生まれるもの、形にできるものがあるんだと思います。その機会をつかむためにも、外に出ていくつもりです。

中小企業が協力し合える関係に

 製造業で大手の仕事だけを狙うと、中小企業がライバル関係であり続けなきゃいけないんですよ。価格争いをすれば体力のないほうが落ちていき、また新しいライバルが現れて……の繰り返しです。

 私もそんなやり方をしてきましたし、そのやり方が間違っているわけではないですが、製造業が新しくものをつくれる環境やフィールドがあってもいいんじゃないかなと思います。中小企業がつぶし合うのではなく、協力しあえる関係性がいいですね。

――社長として大事にしてきたことは何だったのでしょうか?

 この8年間、悩みながら歩いてきましたが、社長としてこれは正解だったと感じているのは「プライドを捨てる」ということです。

 最初は「社長たるもの」と考えて、プライドを持たなければいけないと言い聞かせて、いろんな武器を身につけました。でも、優秀な社員のことを優秀と思えなかったり、「私ならこうできるのに」と考えてしまったり、プライドが邪魔をするんです。

 一人の人間が持てるキャパシティーには限りがあります。「分からないものは分からない」「できないことはできない」と言って、助けてもらうべきときは「助けてほしい」と言うことが一番大事だなと思いました。

――会社で開かれていた月1回の「会議」もやめたとうかがいました。

 看護師時代から、「ミーティング」とか「会議」「定例会」という言葉を聞くと眠たくなってしまうんですよ(笑)。

 名前を「コーヒー会」に変えて、私から社員に100円を渡して、好きな飲み物を買ってもらいます。女性は井戸端会議が好きですし、お茶会みたいなかたちに変えた方が「NO」の意見が言いやすいんじゃないかって思ったんです。

風通しのよい雰囲気が伝わってくる山本製作所。田中さんは社員に「自信はなくていいから、責任を持ってやってね」と声をかけるといいます。社員の提案が実現した「ジムに行こうの会」がコロナで行けなくなっても、みんなで溶接して工場の壁に筋トレ器具を取りつけたそうです
風通しのよい雰囲気が伝わってくる山本製作所。田中さんは社員に「自信はなくていいから、責任を持ってやってね」と声をかけるといいます。社員の提案が実現した「ジムに行こうの会」がコロナで行けなくなっても、みんなで溶接して工場の壁に筋トレ器具を取りつけたそうです

――最後に、同じように家業に取り組んでいる後継ぎへのメッセージをお願いします。

 9割以上の人に反対された私は、後を継ぐ人の背中を押す1割の人になりたいと思っています。

 私は、結婚して子どももいますが、離婚も経験して、皆さんが人生で選ばないような道を歩いてきているなと思います。
 でも、いいことも悪いことも、ダメだったという結果も、それも含めてすべていい経験になっているんです。していない人には、その経験は分かりませんから。

 星野リゾートの代表・星野佳路さんもインタビューでおっしゃっていましたが、「後を継ぐ」のは「宿命」というか、「誰でもやれること」ではありません。責任を持ってチャレンジできるのは後継ぎのメリットでもある。
 私は後継ぎ候補から相談されたら「やってみたら」と言っています。チャンスがあるなら、最後の最後はプライドを捨てて頑張ってほしいです。