将来の夢は社長ではなくサッカー選手

――マキタを継ぐことを意識しはじめたのはいつ頃ですか。

 大学に入るまで、マキタを継ぐどころか入社して働こうという考えすらほとんどありませんでした。先代社長である父親とそういう話をしたような記憶も一切ありません。

 高校時代は、サッカーのレベルの高い関東の強豪校に進学しました。父親は昔から子どもに対して何かを強制したり反対したりすることのない人でした。私がサッカーの道を極めたいと言っても「とりあえずやってみろ」と。

 サッカーに一度区切りを付けて大学に進学しましたが、そこで出会った友人たちが経営者の息子だったというのもあって、少しずつマキタで働くことを意識するようになったと思います。一方で、父親からは相変わらず、「会社を継ぐように」とも何とも言われませんでした。

高校時代はサッカーに夢中だった槙田裕さん

 大学卒業後は、いずれ経営の役に立つだろうとビジネススクール(大学院)に通い、その後は総合商社に就職。3年間勉強しました。マキタに入社したのはその直後の2013年、28歳の頃でした。

部長職を断ると「いつになったら社長になるんだ」

――入社と同時に営業部長に就任されたと聞きました。

 いきなり営業部長からのスタートを打診されて、最初は断りました。「突然若造がやってきて部長職についたら、周りの社員はどう思うだろうか」と。

 ところが先代社長から返ってきたのは、「じゃあ、いつになったら社長になるんだ」という言葉でした。

 それならば……と仕方なく受け入れたのですが、懸念していたことは起こりませんでした。当時の部課長職クラスは35~40歳くらいと比較的若く、また周りの人にも恵まれてスムーズに馴染むことができたのです。

50~60代の取引先と話すコツとは

 一方、商談のため取引先に出向くときは、「会社の代表」として、先方の50〜60代の社長や幹部と対等に話さなければなりません。慣れるのに苦労しました。

 数多くの経験を重ねてきた経営幹部が20も30も年下の人と一緒に盛り上がれる話ってそれほど多くないですよね。私ですら、20歳の人と向き合っても何を話せばいいのか分からないと思います。

 気をつけたのは、相手にとって「話す価値のある人物」であることです。マーケットの動向や、業界の動向、顧客の知りたい情報など、必ず何か役に立ちそうな情報を持って伺うようにしていました。

入社して驚いた「どんぶり勘定」

――入社当時のマキタに対する印象はどのようなものでしたか。

 驚いたのは、生産性やコストの管理が十分に行われていなかったという点です。たとえば、業績や採算を即時に把握し、目標に向かってプロセスを改善していく……というような取り組みを行っているような形跡は見られず、いわば「どんぶり勘定」でした。

 海外企業との取引もあるのに、為替リスクの管理も一切行っていない。昭和の零細企業のような印象を持ちました。製造業なのに、現場の目線で無駄を省いて効率化を図る「カイゼン」活動すら行われていなかったのです。

 先代の社長は、番頭的な役割の専務取締役と、いわばトップダウン式の経営を行ってきました。2人で方針を考えて、決まったものを現場に伝えて実行してもらう、というものです。現場は「言われたこと」を受け入れて実行することに慣れていました。

 自ら考えてアイデアを出し、意見したり物事を改善したりしていこうとする雰囲気はほとんどありませんでした。そもそも業績や採算についての情報が開示されておらず、社員には会社の状況を把握する術もなかったのです。驚きはしつつも、「改革のしどころがたくさんありそうだ」とプラスに考えました。

入社1年後に「社長をやるか」

――世代交代はどのようなタイミングで行われたのでしょうか。

 入社してから1年後に、番頭的な役割を果たしていた当時の専務取締役が体調不良で退任することになり、私が常務取締役に就任しました。そのとき「社長をやるか」と打診されたのですが、もう2年だけ待ってほしいとお願いしました。

マキタが手がける船舶用エンジン

 ただ、実際のマネジメントは全て私に任せてもらいましたので、実質的な世代交代だったとも言えます。この頃から様々な取り組みをスタートさせました。

 入社直後から改善が必要だと思う部分には、臆せず意見を述べていました。私は会社でも家庭でも、父親に対して「タメ口」で話します。さらに、違うと思えば社員の前であっても「それは違う」と意見してきました。

 社長に対して意見を物申すことができるのは親子関係のある私しかできません。ですので、周りの社員の話も聞きながら気になったところ、良くないと思ったところはすべて言いに行くようにしたのです。

社長交代の決め手とは

 父親には、若い頃の自分と重なって見えたようでした。父親も30代でマキタに入社してすぐ、先々代の祖父に対して社内の問題点を指摘し、改善に向けた提案をしたそうです。その結果、先々代の祖父は父親に社長職を譲ることに決め、父親は41歳で3代目社長となりました。

 「自分も父親に色々と意見して社長に就任した。そして今、息子が同じように自分に意見してきている。今こそが社長交代の時期だ」。そのように感じたようです。

 こうして入社1年後に常務取締役に。さらに2年後の2016年7月、31歳で代表取締役社長に就任しました。

――常務就任後、具体的にどのような取り組みを進めていきましたか。

 最初は細かいところからスタートしました。「カイゼン」活動が無いことは気になっていましたが、急激に大きく変えようとすると社員が抵抗感を覚えますから。きちんと結果を残したら、その後に本格的な改革を始めようと考えたのです。

 まずはコスト管理。例えば財務諸表を見て気になる項目があれば内訳を聞き、明確な目的なしに支出している寄付金や広告宣伝費があれば削減する。コピー機の使用も、適正な量に抑えるためカード制にして各社員のコピー分量を明確化する、などです。

 それまでは用途に関係なくカラーで大量に印刷する社員もいたほどでしたが、少しでもコスト感覚を身に付けてもらえるように工夫していきました。

マキタの現場作業

 顧客も3〜5社に売上の7割近くを依存している状態から、徐々に新規顧客を開拓して顧客の幅を広げるよう努力しました。造船業界は好不況の波が激しいため、リスクを分散させる必要があるのです。

先代は「自分で考えろ」。でも……

――先代社長から何かアドバイスはありましたか。

 まったくありませんでした。これは常務就任時からずっとそうなのですが、何か相談をしようとしても、父親の答えは「自分で考えろ」でおしまいです。

 でも、誰も答えなんて出してくれません。「やめておいたら」などと無責任な発言は出来ますが、結局判断するのは自分自身ですからね。父親は、社長というのは周囲から意見を聞いたとしても、最終的には自ら決断して、決断したことに責任を持って取り組まないといけないということを言いたかったのだと思います。

 おかげで自ら考えて判断し行動に移せるので、後継者としては非常にやりやすかったです。今はもはや相談に行くこともありません。あまりに私が何も言いに行かないので、「報告が不十分だ」とたまに不満に思うこともあるようです(笑)。

 このようにして様々な取り組みを進めていき、常務就任から1年後にはいよいよ「カイゼン」活動をスタートさせることになりました。

 具体的なカイゼン活動は、後編の記事で紹介します。