「継ぎたいなら事業を持って来い」屋外看板会社で始めた不動産鑑定との相性
新規事業を立ち上げなければ会社を継ぐことは認めない――。後継者不足に悩む中小企業で、こんな事業承継戦略をとった会社があります。秋田県で屋外広告業を営む「新和工芸」です。専務の石塚伸宏さんは「後継ぎになりたい」という希望を社長の父から何度も断られた末に、不動産鑑定業を立ち上げました。
新規事業を立ち上げなければ会社を継ぐことは認めない――。後継者不足に悩む中小企業で、こんな事業承継戦略をとった会社があります。秋田県で屋外広告業を営む「新和工芸」です。専務の石塚伸宏さんは「後継ぎになりたい」という希望を社長の父から何度も断られた末に、不動産鑑定業を立ち上げました。
石塚さんは、後継ぎになるよう言われたことはありませんでしたが、物心ついた時には「自分が家業を継ぐ」という気持ちを持っていました。
そんな気持ちになったのは、直接の記憶はない祖父の影響が大きいそうです。家業を創業した祖父は、石塚さんが生まれてすぐ亡くなりました。
戦時中に捕虜にされそうになり、「捕虜になるくらいなら死んだ方がマシだ」と電車から飛び降りて生還するなど、豪快な人物だったそうです。幼いころ、祖母から聞く祖父の話はまるで冒険小説のようでした。祖母から「お前はおじいちゃんの生まれ変わりだ」と言われたこともあって憧れが募り、自然と家業に誇りを持つようになりました。
「家業を次の時代に繋いでいく」。中学生のころ、社長の父に後継ぎになりたいと伝えたところ、返ってきたのは意外な言葉でした。
「新規事業を立ち上げなければ、後継者になることは認めない。継ぎたいなら自分で事業を持って来い」
石塚さんは面食らい、戸惑いました。後継ぎとして若いうちから父を手助けし、家業のノウハウを学んで盛り立てていく――。
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幼いころから描いていたストーリーが、他でもない、父自身から否定されてしまったからです。その日から、家業を継ぐために迷い苦しむ日々が始まりました。
大学卒業後、最初に考えたのは家業を見据えた広告業界でした。幅広い分野の広告会社を対象に就職活動を行い、求人広告会社に入社します。法人営業部門に配属され、企業訪問を中心に経験を積みました。
リーマンショック直後のため事業環境は厳しく、苦労しながら契約を獲得する日々を重ねましたが、頭の隅にあったのは新規事業のことでした。なかなか事業の種は見つからないものの、「自力がつけば、家業に戻ることを認めてくれるだろう」という思いもありました。
転機が訪れたのは就職して3年が経ったころです。家業を継ぐ思いは変わっていませんでした。約束を果たしていないことはわかっていましたが、石塚さんは改めて、「後継者になるため秋田に戻りたい」と父に直談判しました。
父は考えるそぶりも見せず、即答しました。
「お前は新規事業を見つけたのか。条件を満たすまでは帰ってくるな」
石塚さんは、「これだけ戻りたいと言っているのになぜ分かってくれないんだ」と大きなショックを受けました。振り返ると、腹立たしい思いもありました。
家業の事業環境は悪化しており、厳しさを増していくことはわかっていました。秋田県は全国の自治体の中で、人口減少が最速で進んでいます。
2000年に115万人を超えていた県内人口は、2020年には95万人台となり、20年で20%減りました。2019年に秋田県内で生まれた新生児は過去最少の4696人となり、出生数から死亡者数を引いた自然減は、過去最大の1万1088人となりました。人口減少に伴って経済規模も縮小するため、会社の先行きも厳しくなると予想されます。
同世代の中には、後継ぎにならずに、都会で生きることを選ぶ人も多くいます。家業のためにあえて厳しい道を選ぼうとしているにも関わらず、受け入れてもらえないことに苛立ちが募りました。
大きな目的を見いだせず、「新規事業を探さなければ」という義務感に縛られたまま、EC関連のベンチャー企業に転職したものの、結果が出ずに挫折感を味わいます。このままでは家業を継げないかもしれない、焦りと悔しさに支配されそうになったとき、助け船を出してくれたのは父でした。
不動産鑑定士の先生に会ってみないか、そう誘われて軽い気持ちで話を聞いてみると、依頼に応じて不動産価値を判定するという仕事内容に興味を惹かれました。コツコツとした作業が得意である自身の性格にもマッチしていると感じ、勉強を開始しました。
それまで知らなかった分野は新鮮で、楽しみながら知識を吸収できました。不動産鑑定業は自身にも合い、義務感ではなく「自分自身でも新しいことをやってみたい」という思いが強くなっていきました。
3年間の努力を経て、2015年に石塚さんは試験に合格。一生の糧となる資格を得ることができても、家業への思いは変わりませんでした。条件であった新規事業として、不動産鑑定業を立ち上げることを決めました。
その後、不動産鑑定士としての修行を重ね、2019年に「後継ぎ」として入社しました。
父からねぎらいの言葉は特になかったものの、喜んでいたよと母がこっそり教えてくれました。
専務取締役として後継ぎになった石塚さんは、既存事業の課題をいくつか感じています。特定の取引先への売上依存度が高いこと、社長に業務が集中していることなどです。
新和工芸は特定の顧客と安定した取引があったことから、これまで新規取引先への営業をほとんど行ってきませんでした。人口減少の進む秋田県では、何もしなければ仕事が減ることは間違いないため、石塚さんは法人営業の経験を活かし、先陣を切って新規取引先を獲得する活動を始めました。
そして、営業活動を通じて看板事業のノウハウを学び、社長の業務負荷を軽減するとともに、名実ともに後継ぎになりたいと考えています。
入社と同時に、民間の鑑定需要をターゲットとして不動産鑑定業も開始しました。売買の参考資料として活用されるほか、事業承継や相続対策など幅広い目的でのニーズが見込まれており、順調に滑り出しました。
屋外広告業と不動産鑑定業にシナジーはあるのか、とよく聞かれるようになりました。既存事業へのメリットを狙って始めた訳ではないものの、事業承継やM&A絡みで店舗統合・撤退をするケースでは鑑定評価を依頼された際に、看板撤去の提案をするなど、相乗効果は徐々に出ているそうです。
石塚さんは、今になって父の気持ちを少し理解できるようになりました。新規事業を探させたのは、「厳しい事業環境を予測している父なりの愛情だった」と受け止めています。
とはいえ、石塚さんは幼少期から継ぐことを意識していた屋外広告業の将来を悲観していません。景気に左右される業種であることは間違いありませんが、時代に合った新しいやり方を確立できれば、祖父や父の代よりも事業を成長させられると信じています。
「誰とも違う自分だけの経験を生かして、屋外広告業と不動産鑑定業の両方を成長させる」。父との約束を果たし、一回り大きくなった石塚さんは、伝統を継いで挑戦する喜びを感じていました。
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