「未来の生産性」に欠かせぬ会議 めっき加工会社が議論を大切にする理由
さいたま市に、日本電鍍(でんと)工業という会社があります。金属などを腐食からまもる鍍金(めっき)を柱のひとつにしているところです。社長は、伊藤麻美さん、53歳。社員は80人弱。今でこそ、伊藤さんは経済産業省の産業構造審議会の臨時委員をつとめるなど、社内外に認められた存在なのですが、2000年に継ぐことになるとは、想像だにしませんでした。そして、彼女へのバトンタッチ、あわただしかったことと言ったらありませんでした。
さいたま市に、日本電鍍(でんと)工業という会社があります。金属などを腐食からまもる鍍金(めっき)を柱のひとつにしているところです。社長は、伊藤麻美さん、53歳。社員は80人弱。今でこそ、伊藤さんは経済産業省の産業構造審議会の臨時委員をつとめるなど、社内外に認められた存在なのですが、2000年に継ぐことになるとは、想像だにしませんでした。そして、彼女へのバトンタッチ、あわただしかったことと言ったらありませんでした。
伊藤は、インターナショナルスクールに通い、上智大学に進む。日本語は苦手、英語の方がうまかった。
アナウンサーになって大好きな音楽番組をしたいと思った。
某テレビ局の試験。試験官から、これを読んで、と原稿を渡された。冒頭から漢字だった。とにかく読まなくては。
「よしら、よしら、よしら……」
そこで、伊藤は止まってしまった。試験官が怒りはじめる。
「こんなのも読めないのか!」
知らないよ。伊藤は、イスを蹴飛ばして面接の場から出た。
ちなみに、なんて書いてあったかというと、吉良上野介。インターナショナルスクールで忠臣蔵は、教えない。
ラジオのDJなどをへて、30歳のとき、アメリカにわたる。宝石の勉強をして、有名ブランドへの就職が内定していた。
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そこで、日本から電話がかかってくる。
「日本に帰ってきて。おうちが競売にかけられるかも」
父は早くから海外進出をするなど、いい経営者だった。だが、数年前、病で死去していた。そのあと、経営陣が好き勝手、でたらめをしていて業績が落ち込み、自宅が競売にかけられるピンチ、を迎えてしまったのだ。
電話を受けて、伊藤が成田空港につく。継母が迎えにきてくれていた。車の中で、株主総会がどうのこう、決算書がどうのこうの、と説明されるが、ちんぷんかんぷんだった。
税理士や弁護士らと相談し、まずは社長を引き受けてくれる人を探すことに。頼んでは断られ、頼んでは断られ。すると、伊藤に、こんな思いが芽生える。
〈人に頼むのではなく、わたしが社長になるべきなのでは〉
思いを、何人かに伝えてみた。危ない橋をわたる必要はない、とほとんどの人が反対した。
ひとりだけ違った。「麻美ちゃんならできるだろ。2、3年、地獄を見てこい」
2000年、32歳で伊藤は社長になった。それまでの経営陣は、会社を去っていった。伊藤は経営のことは何もわからないので、工場の草むしり、あいさつ励行からはじめた。ビジネス書を読み、セミナーなどにも参加していった。
就任から1カ月、取引していた金融機関にいった。応接室に通される。伊藤は担当者にあいさつした。
「このたび社長になりました。よろしくお願いします」
「あなたじゃ話にならない。本物の社長を連れてきてください」
まったく相手にされない。伊藤は誓った。
〈いまに見ていろ。借りてください、と絶対いわせてやるからな〉
前経営陣たちが振りだした手形をどう処理するか、それが直面する難題だった。貸し渋り、貸しはがしの嵐がふいていた。
〈不渡りを出したら貸しはがされ、会社は終わる。お金がない。給料の遅配はできない。どうすれば……〉
そこで、社会保険料を滞納することにした。何カ月かたって、社会保険庁の職員に呼び出された。おたくの会社の口座を差し押さえます、とのこと。
「待ってください。倒産してしまう。社員と家族が路頭に迷ってしまう」
「おたくの社員や家族がどうなろうが、こっちは知ったこっちゃないんだよ」
伊藤は、切れそうになった。ちょうど、社会保険庁の無駄遣いが発覚していた時期だったので、余計に腹が立った。でも、就職試験でイスをけ飛ばした大学生のときとは違い、社員とその家族を守る社長である。気持ちを抑え、粘りに粘った。何とか猶予をもらった。汗で背中がびちょびちょだった。
世の中には、外資の考えが広がっていた。経営がピンチになったら人員削減すればいい、と。リストラ=人員削減。英語が得意な伊藤にとっては、異議ありである。
リストラクチャリングは本来、事業の再構築、という意味である。
伊藤は、人員削減をしなかった。人は財産だから。従業員に、会社のことをすべて公開した。隠し財産なんてありません。いっしょに経費削減につとめましょう。
ホームページをつくって、技術の高さをアピールする。さまざまな展示会に行って、名刺を配りまくる。それまでは腕時計のめっきばかりしてきた。めがねのフレーム、宝飾品、フルートなどの管楽器……。さまざまな分野での仕事がふえてきた。
特に、精密さが要求される医療用カテーテルの仕事をこなせたことで、社員たちの自信、やる気につながった。ある会合で、たまたま話をした大手銀行の首脳をはじめ、いろいろな人が支援してくれた。
2007年、多くはないけれどボーナスを出すまでに。リーマン・ショックのときは、人材確保のチャンスだと考え、大卒、大学院卒、さらに優秀な中途社員も採用した。社員の誕生日には、プレゼントをあげる。飲み助には、お酒を、下戸には、甘いものを。「ハッピーバースデー」の声と笑顔をそえて。
伊藤には、いろいろやってみたいことがあった。生産性を上げるための方策だ。
けれど、社長になって10年以上、ガマンしていた。ベテラン社員たちに気持ちよく働いてもらう方が大事だと考えたからだ。
5年前、伊藤は動いた。いすを撤廃し、全社、立ち仕事にした。打ち合わせはパパッと終わる。ちょっとした相談は、相手のところにササッと行く。仕事のメリハリがついて早く帰るようになり、残業が減った。
朝礼の後、かならず会議をするようにもした。不良品が出た理由の究明、営業戦略、経済社会状況などを議論する。社員に徹底的に考えさせ、発言させる。
会議に時間をかけずにすぐ仕事をした方が生産性は上がる?
「そう考える方は、目先のことしか考えていないのではないでしょうか」
先にも書いたが、伊藤はビジネス書を読んできている。
「ビジネス書に書いてある大企業の場合、社長は任期中の業績さえ上がればいい、目の前の生産性を上げればいいんです」
だが、中小企業は違う。社長は10年後、20年後、いや一生、経営者でいるかもしれないのだ。さらに、次世代のことも考えなくてはならない。大企業のサラリーマン社長とは違うのである。
朝礼の後の会議は、未来のことを考えている。
「議論を通じて社員に実力がつけば、いずれ新事業を見つけ、生産性を上げてくれる。未来の生産性こそが大事なのです」
新型コロナウイルスが感染拡大する中、アルミニウム関連の事業に新規投資した。それは、社員の提案から生まれた。伊藤が社長になってから、2つの分野に進出している。
目先の利益に走るな。次の時代を見据えて、いまから行動する。それが大事だ。
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