Gapの店長が海苔店を継いだ理由 リアル店舗に生かしたアパレルの知識
有明海の初摘み海苔(のり)だけを扱う「ぬま田海苔」の4代目は、17年間勤めた大手アパレル企業から転身した沼田晶一朗さん(43)です。なぜ家業を継ごうと決めたのでしょうか? そしてWEB全盛時代に、食のプロが集う町、東京・合羽橋にあえてリアル店舗をオープンさせた理由を聞きました。
有明海の初摘み海苔(のり)だけを扱う「ぬま田海苔」の4代目は、17年間勤めた大手アパレル企業から転身した沼田晶一朗さん(43)です。なぜ家業を継ごうと決めたのでしょうか? そしてWEB全盛時代に、食のプロが集う町、東京・合羽橋にあえてリアル店舗をオープンさせた理由を聞きました。
かつて、神奈川県川崎の海は豊かな漁場で、「大師のり」という名で上質な海苔が盛んに養殖されていた。奉公先の海苔問屋から独立した沼田治雄が、海苔や鰹節の店「沼田治雄商店」として1937年(昭和12年)創業。その後、環境の変化とともに川崎の漁場の100年の歴史の幕を閉じてからは、九州「有明海」の海苔を届けるように。現在は、日本で唯一の「有明海産初摘み海苔専門店」として、実店舗の他、インターネットを通じて国内外に海苔を販売する。
――子どもの頃、家業はどのような存在でしたか。
海苔の工場を併設したビルに住んでいたので、毎朝焼きたての海苔の匂いをかぎながら起きて、学校に通っていました。毎日おいしい海苔を食べ、2階の海苔焼き場は格好の遊び場。本当に当たり前の存在でしたね。
大人になればなるほど、自分が食べてきた海苔が特別おいしく、当たり前のものではないと気づきました。でも、親からは「自営業は大変だから自分で仕事を探しなさい」と言われていましたし、後継者になる未来像は全く持っていませんでした。
――沼田さんはGap Japan(以下、Gap)に入社され、17年間勤務されました。
学生の頃にアルバイトで入って、そのまま社員になりました。ファッションが好きだったというよりも、Gapの環境が好きだったんです。若い学生やフリーター、ダンサーなど専門分野に長けた人がバイトしていたり、ほかの大手アパレルでの勤務経験があるベテランスタッフもいたりして、その多様性に惹かれました。
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10店舗以上に携わり、店長としては自由が丘、ららぽーと船橋、京都府河原町(2019年閉店)、福岡・博多など、全国各地のフラグシップストアからショッピングモール内の店舗まで、さまざまな形態の店舗を担当しました。
前職では一緒に働く仲間も、接客するお客様も、多彩な方たちと接することができました。いい意味で、自分には「苦手な人がいない」と感じました。
――「ぬま田海苔 合羽橋本店」はシンプルで洗練された雰囲気ですね。海苔のパッケージもブルーのグラデーションで市販の海苔製品とは異なる佇まいです。Gapでのご経験が生かされているのでしょうか。
アパレルでの「VMD(ビジュアル・マーチャンダイジング)」は意識しています。ブランドの魅力を最大限にアピールできるように、商品の特徴や流行をキャッチアップして、戦略的に店舗を作り上げていくという考え方です。
商品を脈絡なく訴求しようとすると分かりにくくなるので、何をどう提案したいかを整理して、なるべくシンプルな構成にしています。全型海苔のパッケージの青は、生産地の有明海をイメージしました。海苔の個性を追求したブランドであることの表現です。
当時のアパレル業界では画期的だったのですが、Gapは「チームセリング」といって、個人ではなくチームで役割分担して目標を達成するという方式を導入していました。例えば、入口でお出迎えするスタッフ、お客様が求める商品のストックを確認するスタッフ、試着室を管轄するスタッフ、最後にレジを案内するスタッフというように。
しかもGapでは色々なポジションを担当します。接客だけでなくVMDの業務も担当したので、「売り場を自分で作る」「売り場で商品提案をする」という経験が今の仕事に役立っていますね。みんなで役割分担してゴールを達成する、というのは自分の大きなテーマです。
――海苔と洋服、分野は違っても、商品提案という意味では同じなのでしょうか。
「価値を伝える」という面では、絶対的に同じだと思います。私がGapで最終的に学んだのは、お客様の購入につながる感情をしっかりと引き出すことが大事だということです。
Gapであれば、かっこいい、かわいい、着やすい、といった感情につなげるために何をするかを考える。すると、マネキンに着せるのか、従業員が説明するのか、売り場の展開場所をどこにするかなどが決まってきます。
それを海苔に置き換えれば、「食べたい」「おいしそう」「そんな食べ方があるんだ」といった驚き……そういう感情を引き出す提案をすればいいんです。海苔の食べ方を提案したり、アパレルの「試着」のように、海苔の食べくらべができたりする海苔屋があってもいいんじゃないかと思って、この店ではそれを実践しています。
――2018(平成30)年にGapを退職、5月にお店を開き、翌年の12月にお母さんから代替わりされたそうですね。なぜ家業を継ごうと思ったのでしょうか?
最初は長男として、母が幸せに暮らしていける環境を整えてあげたいという思いからでした。母が3代目なのですが、私が戻る前は店舗は持たず、母がひとり電話とFAXで注文を受けたり配送したり、細々と事業を続けていました。
ただ、ありがたいことになじみのお客様がいて、その多くはぬま田海苔の創業地である川崎で、かつて海苔を生産していた方々でした。「昔の海苔の味が忘れられない」という舌の肥えた彼らをやっとのことで納得させられたのが、有明海の初摘み海苔だったんです。
大きな湾に川から注がれる豊かな山のミネラル、そしてそこに交わる有明海のミネラル。そこで最初に栄養を吸収して育つ希少な海苔ですが、小さい店で扱うには徐々に採算が合わなくなってきました。
兄弟4人で話し合い、「自分たちが食べて育ったおいしい海苔を、一人でも多くの方に味わってほしい」「初摘み海苔の専門店を開くという母の夢を叶えたい」という気持ちがふくらみ、思い切って転職しました。
――合羽橋に店舗を開いた理由は何でしょうか。
いまはWEBで何でも買える時代です。それでも調理器具の専門店が並ぶ合羽橋という商店街にわざわざ足を運ぶ方たちは、食のプロか、料理や食べることが好きな人です。自分で商品を吟味して選びたい、その背後にあるストーリーまで知りたいという意欲が高い人たちでもあります。
売る人も買う人も食に関するこだわりを持っている場所で、日本の伝統食である海苔について伝えられるのは魅力です。世界への発信に目を向けたときにも、海外からのお客様も多いのもメリット。コロナの前は、浅草とワンセットの観光地として捉えられていたようで、多いときは街の半分以上が外国人のお客様でした。
今でこそ多くのお客様にご来店いただいていますが、最初は誰も入ってきませんでした。海苔屋さんらしくない外観ですし、多くの方は調理器具が目当てのお客様ですから。パンフレット片手に、店の前を通る方たちに「有明海産、初摘み海苔の専門店ですよ」と呼びかけました。
――地道に呼び込みを続けられたんですね。
そうすると中には「私、海苔が大好きなんだよね」「ここ海苔屋さんなんですか?」と店をのぞいてくださる方が出てきます。そうして興味を持ってくださったら、初摘み海苔を食べくらべていただいたり、漁場によって異なる海苔の味の違いやどのように海苔が作られているのかなどを、生産者を代弁する気持ちでお伝えしたりします。
接客したお客様の反応を見ていると「身近だと思っていた海苔だけど、意外と知らなかった」と新鮮な驚きを抱いてくださる方も多いようです。ありがたいのですが、海苔の生産過程や生産者の努力がお客様に届いていないという課題も感じます。
――沼田さんは海苔についてどのように勉強を重ねたのですか。
小さい海苔屋さんは仕入れのライセンス権を持たないので、大手の海苔屋さんを経由して海苔を買うんです。ですから大手の海苔屋さんの社長や買い付け担当の方を質問攻めにしました。それから生産者にも取材します。
海苔というと「海藻を乾燥させたもの」という感じで、簡単にできるイメージが強いかもしれませんが、実際には牡蠣の殻に胞子をつけて養殖するといったいくつもの工程をも経て作られています。
生産者が凍える海で1日中作業したり、夜更けから長時間作業したりしていることは、私も現場を体験して初めて分かりました。
――経営について、アパレル業界との共通点は感じましたか。
「商品の価値を伝える」という意味では全く一緒だと感じます。ただ、経営者という立場になって、アパレル企業の従業員だった頃から唯一変わったのは「仕入れ」まで自分でやることですね。
Gapでは商品を試着して各商品の訴求ポイントを確認していたのですが、海苔も同じようにひたすら試食して仕入れています。私は海苔屋になって日が浅いので、見た目だけでは良し悪しが分からないから食べるしかありません。
この間も、福岡・熊本・佐賀の海苔を1日で300枚ぐらい食べました。次の日ごはんを食べようとしたら、もう顎が筋肉痛ですよ。海苔の味わいの多様さを伝えるため、同じ有明海産の初摘みでも、なるべく違う漁場の海苔を揃えたいと思っています。
◆後編では、売り上げを2.5倍に増やした新商品への取り組みや、SNS「映え」には不向きかもしれない海苔をどうSNSで発信していくのかといった工夫について聞きます。
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