目次

  1. 出雲から竹串を全国へ
  2. 産地や生育環境で変わる品質
  3. 「いずれ継がないと」実家に戻った後も中国留学
  4. 創業は竹製レール 海外とは早くから縁
  5. 価格競争の激化で選んだ中国進出
  6. 環境に優しい竹素材で「日本にない新商品を世に」

 よく見かける円錐で胴が円柱の竹串に加え、うなぎの蒲焼に使ううなぎ串、持ち手が平らな鉄砲串、先が尖っていないダンゴ用の半先串に、田楽や五平餅に使う平串などなど――。調理する料理によって、竹串は形状が違い、長さもさまざま。

 「食品や飲食店で使われる竹串は、多品種を少量で購入する人が多く、しかも季節などによって早いサイクルで需要の濃淡が変わります。これを品切れさせないで、タイムリーに消費地に届けられるのが当社の特徴です」

 出雲竹材の高木善之社長は自社の強みをこう説明します。腐食やカビなどが発生しない湿度管理の行き届いた倉庫を地元・松江市に持ち、国内で使われる竹串の20%強をこの出雲の地から全国へと配送しています。

出雲竹材工業所にある湿度管理された倉庫

 現在、製品の99%は中国にある4つの協力工場で生産しており、鳥取県の境港を経由して輸入、いつでも飲食店などの購買リクエストに応えられるように保管しています。

 高木さんは「コロナ禍の前は、私自身が中国に年4〜5回は行って、各地の竹の産地を歩いてきました。現地のパートナーと一緒に各地を回って、この場所で取れる竹はどんな形状の竹串に向くのかなど調べて、最適な材質を使っています」と話します。

 使うのは主に「孟宗竹」ですが、産地によって、また生育環境の違いで強さや硬さ、ささくれが起きにくいなど、竹串にした時の品質が変わるのだそうです。

 「子供が食べても事故やクレームが出ない、ささくれがなくて尖っていないダンゴ串を中国のパートナー企業に提案いただいたこともありました。協力体制もスムーズにいって、現在の商品展開に役立っています。当社は生産技術から品質管理の指導・サポートだけでなく、竹という産地によって性質の変わる原材料のノウハウが豊富な点が、もう一つの強みでもあります」

 中国の製造パートナーとは現地語で直接、コミュニケーションを取っている高木さん。

 「通訳を介すると、やはり通訳者の感情や思いで話す内容がブレたりするので、自分で話そうと。中国は文化的にも契約書より直接のコミュニケーションが重視されますから」

 2020年1月に2代目だった父・幹一郎さんが急逝したため、社業を継ぎました。父の代から中国に進出していたこともあって、早くから中国語の習得には力を入れていたといいます。

 高木さんは松江市から大阪の大学に進学し、在学中に上海で中国語を学んだそうです。卒業後は日東電工グループの商社に就職し、営業マンとして働き始めました。「でも、1年たったころに父が体調を崩して『戻ってきてほしい』と。

 もともと『いずれは後を継がないと』という使命感もあり、実家に戻ることを決めました」。松江に戻った後も中国・福建省の省都、福州市に半年ほど留学し、中国語会話に磨きをかけました。

 出雲竹材は早くから海外と縁があり、生産面での海外進出も早かった企業でした。戦時中に創業した初代は、戦争遂行のために金属が接収されていた当時、引き戸に使う竹製のレールを考案して事業を始めました。

 戦後になると竹細工のノウハウを活かして、竹製のハンドバッグやカゴを編み、また竹のフェンスなどを作って米国に輸出していました。高木さんは「輸出した竹製品はよく売れたらしく、神戸市にあった貿易の業界団体から表彰されたこともあったそうです」と振り返ります。

 1950年代半ば以降に日本が高度経済成長期を迎えた後は、需要が急速に伸び始めた竹串の製造・販売に58年から参入しました。国民が徐々に豊かになり始め、外食産業などで食品用の竹串が必要とされたからです。当初は竹の産地である島根県の竹材を使い、その後は高知県などからも竹原料を購入しての国内生産が中心でした。

 しかし、製造が容易なだけに竹串メーカーへの参入は急増。価格競争が激しくなるなか、2代目社長を継いでいた幹一郎さんは64年、台湾への進出を決断しました。

進出当初の台湾工場の様子

 竹ひごのような半製品を現地で作り、日本に輸入して完成品に仕上げて販売しました。それでも、同業他社も次々と台湾に進出してくるなか、幹一郎さんは次の一手を考えていました。中国本土への進出です。

 「ですが、1度目の進出は文化大革命(1966〜1976年)などの混乱期で、早々に撤退せざるを得ませんでした」。日中の国交正常化後は現地生産された竹串を輸入してみましたが、トラブルやクレームが多く、ほとんど売りものにならなかったのです。

 状況が好転したのは1990年。日系企業が安価な労働力を求めて中国に進出する機会を窺うようになり、現地でも日本との合弁パートナー探しが増えてきたからでした。

中国・紹興市にある工場の創業時の様子

 出雲竹材も良いパートナー企業と巡り合い、「紹興酒」で有名な浙江省紹興市で現地生産をスタートできました。高木さんは「父が浙江省と福建省で2社を開拓し、私は2015年から代表権を持って父を補佐しながら、湖南省と福建省の2社を探し出してきました」と話します。

 現在は中国国内のパートナー4社と協力しながら、新しい事業を模索しています。「新型コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言などが影響し、当社の売り上げも前年同期の7割程度にとどまるなど、打撃を受けています」と高木さんは打ち明けます。そこで外食産業向けでは、新たに竹素材の食器やナイフ・フォークなどのカトラリーで「使い捨てできる新商品を開発しています」。

環境商品の開発に取り組む高木善之さん

 コロナ禍で外食店から料理をテイクアウトする需要が拡大していますが、「容器は仕方ないにしても、箸やカトラリーなどは木製や紙製よりも、繁殖力が高い竹を材料にした素材を使う方が環境にも優しいと思っています」。コストの安い生産方法などを模索して今年中の発売に向けて進み始めています。

 もう一つ、外食産業以外でも使えるような、新たな商材の開発にも取り組んでいるそうです。

 「中国でもここ2、3年で利用が急速に広がっているのですが、歩道に使う竹製の板素材を商品化できないかと考えています」

 竹素材を道路などの素材に使う取り組みは、日本ではまだあまり進んでいません。「中国の竹は成長も速く、半永久的に原料として供給できるとみられています。政府も国策として、木材の製品を減らして竹材に切り替えようとしている。欧米の企業も中国での製造や調達に動き始めています。日本も後れを取ってはいられません」

 竹を原料に使う様々な商品の開発で、高木さんは新しい市場をひらいていこうと目を輝かせていました。