和気あいあいの家業にあこがれ

 櫻井さんの父親の末宏さんは建設業界で働く職人で、1987年にスエヒロ工業を設立しました。櫻井さんが幼いころは会社と自宅がつながっていたこともあり、父親と職人がお酒を飲みながら、和気あいあいと話している姿を、よく目にしました。

 「父親も社員の方も、明るく楽しそうにしていたのが印象的でした。仕事っていいな、格好いい。そんなあこがれの気持ちを抱いていました」

 先代から「後を継いでくれ」というメッセージはありませんでしたが、高校生になると、将来の職業として意識するようになります。建築設計デザインの専門学校に進み、在学中に二級建築士の資格を取得。卒業後はスエヒロ工業の協力会社で、現場仕事を覚えるために働きました。

自宅兼事務所で職人と楽しそうに話す先代(写真中央)

父の他界で迷いなく継承

 しかし、専門学校で学んでいる時、父親の病気が見つかりました。病状は次第に悪化し、櫻井さんが協力会社に入って1年ほど経ったころ、リスクの高い手術を行う必要がありました。

 「家業に入ってくれないか」。手術に臨む前、櫻井さんは父親から言葉をかけられ、その気持ちをくみ取りました。家業に入って1年後、父親は他界しました。後を継ぐことは既定路線でしたが、当時の櫻井さんは専門学校を卒業して2年、家業に入ってわずか1年に過ぎません。

 それでも「迷いはまったくありませんでした。誰にも相談もしていませんし、父親の想いどおり、後を継ごうと思いました」と当時を振り返ります。

社員に想いを伝える

 「会社経営は1人ではできません。経営者の考えに共感する仲間がいるかどうかが重要だと思っていました」。後を継ぐことを決意すると、協力会社30社や、自社の社員10人全員と面談を行い、自分の想いを次のように伝えました。

 「会社は家族だと考えています。僕は亡くなった父親の代わりにはなれません。ただ、兄弟の長である長男にはなれます。皆さんも兄弟として僕をサポートしてもらいたい」

 櫻井さんが伝えたかったのは、先代のように圧倒的に頼れる存在がいなくなってしまったため、これからは誰かに頼るのではなく、自発的に動いてもらいたい、ということでした。

 「想いに共感できない」「経験1年の若造が社長就任なんてふざけている」。反発した一部は会社を去りましたが、多くのメンバーは共感してくれました。

 「父親が社員と家族のような関係だったからこそ、多くのメンバーに共感してもらえたと思います。改めて、父親の偉大さを感じました」

ミスを厳しく叱責「余裕がなかった」

 事業承継はうまくいくかに思えましたが、そう簡単ではありませんでした。社員が次々と辞め、5人いた営業は2人にまで減ってしまったのです。

 櫻井さんは代表に就任すると、単に作業を行っていた職人集団的な仕事の進め方から、仕事の獲得から段取りまでを行う、営業・施工会社へのシフトを、先代以上に推し進めました。

 先代時代はどんぶり勘定だった予算や原価管理などの経理面も、明確に数値化しました。事業拡大と収支効率化を同時に進めることで、売り上げと利益率のアップを狙ったのです。

 これまでの業務スキームに慣れている従業員からは、当然反発がありました。櫻井さんは「売り上げがアップすれば給与に還元できるから」と伝え、納得してもらうよう努めました。

 一方で、後を継いだ重圧からか、「一人ひとりが責任を持って自発的に仕事をする」という約束を守れなかったメンバーには、厳しく接しました。たとえば、何か指示がないと動けないメンバーです。ミスについても、同じように厳しく叱責しました。

 櫻井さんはもともと、自ら先頭に立ち、背中を見せて共感を呼ぶタイプだったといいます。しかし、本来の人柄が代表になった重責で、どこかにいってしまいました。「当時は余裕がありませんでした」と振り返ります。

社員の顔がつまらなそう

 経営改革に加え、社員に厳しく当たったことで、業績は上がりました。約束通り、社員の給料にも還元し、「厳しいかもしれないが、金銭的な面ではメンバーやその家族のためにもなっているはず」と考えていました。

 激務ではありましたが、建設業界は「3K」が当たり前と言われた時代。金銭的なことを考えると、自社はよい環境なのではないか、との思いもありました。

 しかし、社員の顔を見ると、皆つまらなそうでした。櫻井さんが幼いころにあこがれた、父親と社員が一緒に和気あいあいとしている家族のような雰囲気ではありません。会社を辞めていく社員も多くいました。

 葛藤が5年ほど続いた後、「社員は家族」との言葉を、改めて徐々に見つめ直すようになっていきました。そして、社員が笑って働ける環境を作り出すことが、最も重要な経営施策であると気づいたのです。ここから同社は大きく飛躍していきます。

働きやすい環境を用意

 以後、働きやすい環境を徐々に整備していきます。

 国土交通省の「建設業における働き方改革」によると、建設工事業全体で、約65%が4週間あたり休日4日以下の就業で、4週間あたり8日間の休日を確保しているのは、5.7%に過ぎません。

 しかし、スエヒロ工業では2019年1月に完全週休2日制を導入し、建設業に関する資格取得費用を、会社が全額負担する制度も作りました。

 妊娠・出産・子育てサポートなど、女性が働きやすい環境も用意しました。社内にキッズスペースを整備したため、子育て中の社員は、子連れ出社が可能になりました。スペース内にはデスクも置いているため、特に低年齢の子どもの場合には、保護者はキッズスペース内で仕事をしながら、子どもの様子を確認することもできます。

 保育士資格を持つ従業員が2人いるため、いずれは同スペースを、後述するトレーニングジムと同じく、外部に開放する計画もあるそうです。

 また、子どもの習い事の時間に合わせて、就業時間を調整できるようにもしました。

福利厚生で本格的なジムを開設

 福利厚生で目を引くのは、本格的なトレーニングジムです。もともとは、櫻井さんの運動不足がきっかけでした。

 「会社で倉庫として使っていた部屋を改装し、ランニングマシンやダンベルなどの機材を取りそろえた、パーソナルジムのような空間を作りました。ただ完成してみると、自分だけで使うのはもったいないな、と。そこで会社の福利厚生として、従業員に開放しようと考えました」

求人の応募数を約40倍に増やすきっかけとなった福利厚生のジム

 その後は従業員だけでなく外部の方も利用できる、本格的なトレーニングジム「eIGHT GYM」(エイトジム)として、建設業とは別の事業として、展開していきます。ホームページも専用に設けました。

 ボディコンテストの全国大会で優勝した実績を持つトレーナーなど、トップクラスの人材をそろえました。24時間営業ですが、午前10時から午後10時までの時間帯以外はトレーナーを置かないことで、月額1万円以内という料金設定も実現しています。

 社内報も定期的に発行し、社員や協力会社とのコミュニケーションを深めるように努めました。社内報はホームページにもアップして、外部に公開しています。バーベキューや飲み会、社員旅行なども積極的に実施しています。

社内報は協力会社とのコミュニケーションアップに寄与しています

採用活動も大きく改革

 福利厚生の充実と並行し、採用活動の改革にも着手しました。それまでは求人広告を出しても、1~2カ月での応募が1人あるかどうかで、応募数が少ないために、採用のミスマッチが発生し、結局離職してしまう、という課題もありました。

 「給与や仕事内容を全面に出すのではなく、従業員が働きやすい環境に注力していることや、実際に働いている従業員の属性、プライベートの過ごし方など、先代から続く、スエヒロ工業の『家族(組織)』の価値を全面に出す方向へ、大きく転換しました」

 大きなフックになったのが、ジムの存在でした。求人広告に「福利厚生施設・ジム」と明記すると、以前と比べて約40倍にも応募数が増えたからです。

 母数が増えただけでなく、応募者の属性も大きく変わりました。給与や建設ではなく、働き方、環境、メンバーといった軸に興味を持つ、建設業界とは関係のないタイプからの応募が増えました。

 ジムを一般にも開放したことで、会社の認知度がアップするとの効果もありました。その結果、さらに多くの人が応募するようになりました。ユニークな取り組みをしている企業として、メディアでも注目され、新規顧客開拓にもつながっています。

売上高も従業員数もアップ

 福利厚生の充実や採用改革を図ってからは、売り上げはもちろん、利益率も増えました。後を継いで11年経った今では、売上高は11億円を突破し、従業員も20人以上と、先代の時代と比べ、ともに約2倍に増えました。

 東京・南青山、北海道・札幌にも事業所を開き、フィールドを広げています。働きやすい環境を整備したことで離職率は下がりましたが、事業の成長スピードが速いために、現在も定期的に採用を行っています。

 「建設業界の大きな課題の一つに、ベテランと若手の年齢ギャップが広過ぎることがあります。当社では、中途・キャリア採用で中堅メンバーを採用する一方、大卒の新入社員も並行して採用することで、バランスのとれた組織づくりに注力しています」

想いを共感する「家族」と呼べる社員と共に、これからも成長を続けます

 「売り上げ目標などは特になく、自分の想いに共感する仲間を1人でも多く増やすことを意識しています。その結果として、組織が成長・拡大し、業績もついてくると考えています。ただ、目標はあります。父親が創業したスエヒロ工業という会社を、何としても次の世代に引き継ぐことです」

2代目に送るアドバイス

 櫻井さんのもとには、他社の若い2代目から、後を継ごうかどうかという相談を受ける機会が増えてきました。「社員を食べさせていけるか」「営業はうまくいくか」「社員の多くが年上で不安」。そのような疑問に、櫻井さんは次のようにアドバイスしています。

 「後を継ぐことを、難しく考えがちな人が多いと感じています。経営に対する自分の考えを整理し、社員の前で話して共感してもらえるかどうか。このような基準で判断すればよいのではないでしょうか」

「社員は家族」の想いを3代目に

 櫻井さんは会社の福利厚生制度を使って、3代目候補である6歳の息子と出社する日もあるそうです。まさに幼い日に自身が体験したことを、世代を超えて継承しています。

 3代目にバトンを渡すとき、スエヒロ工業がどこまで大きくなっているか。「社員は家族」との想いが継承されているか。答えが出るその日まで、櫻井さんは「家族」の働きやすさを追求し続けます。