荒波のヨットメーカーを継いだ4代目 「長持ちで快適」をつなぐ改善策
香川県の小豆島(土庄町)にある岡崎造船は1930年に創業し、高い技術力を誇るヨットメーカーとして、マリンスポーツファンに愛されています。4代目の岡崎英範さん(54)は、バブル崩壊、リーマン・ショック、父の急逝など、経営の荒波に直面しながらも、技術を守りながら業務効率化を進め、コロナ禍では攻勢に出ています。
香川県の小豆島(土庄町)にある岡崎造船は1930年に創業し、高い技術力を誇るヨットメーカーとして、マリンスポーツファンに愛されています。4代目の岡崎英範さん(54)は、バブル崩壊、リーマン・ショック、父の急逝など、経営の荒波に直面しながらも、技術を守りながら業務効率化を進め、コロナ禍では攻勢に出ています。
岡崎造船は、岡崎さんの曽祖父が創業しました。当時は木造小型漁船を建造していましたが、2代目の祖父がFRP(強化プラスチック)製のモーターボートやセーリングヨットの建造を始めました。
53年に香川県で行われた国民体育大会の競技艇に選ばれたことで、全国から注目を集めるようになりました。リピーターが多く、親子2代で利用したり、1人で何隻も注文したりするファンもいるそうです。造船だけでなく、日本各地からヨットやモーターボートのメンテナンスのために、岡崎造船を訪れる人も多くいます。
ヨットの製造会社は時代とともに少なくなり、今では日本でコンスタントにクルーザーヨットを造り続けているのは、岡崎造船1社といいます。
岡崎さんは幼い頃から後継ぎの自覚を持ち、高校卒業後は、3代目の父と同じ大学で船舶工学を学びました。「大学に入った頃から、家業に就きなさいと家族から言われ、ほかに選択肢はありませんでした。今思えば、違う方向に進むこともできたかもしれませんが、そんな勇気もありませんでした。でも、ものづくり自体には興味はありました」
大学卒業後は米国に1年留学し、その後、オランダの設計事務所で半年働きました。「大学では巨大船やタンカーの造船、オランダでは僕たちが造っているヨットやモーターボートの設計を学べたので、家業に生かせました」と言います。
オランダから帰国後、24歳で岡崎造船に就職しました。「当時はバブルで業績が好調でしたし、家業に対して特に問題も感じず、とにかく与えられた仕事をしていました」。仕事は教わるというよりも、見て習っていたといいます。他の社員は岡崎さんが幼い頃から働いていた人ばかり。上司という感覚はなく、コミュニケーションに大きな苦労はありませんでした。
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しかし、バブル崩壊を皮切りに業績が落ち始めました。2008年にはリーマン・ショックで、ヨットの受注が減ったり、部品の仕入れ値が上がったりと家業がピンチに追い込まれました。追い打ちをかけるように10年には父親が急逝し、4代目になりました。
ところが、父からは経営に関して、何も引き継がれていない状況でした。「社内はすごくもめました。従業員に給料も払えない恐れがあるくらいの厳しい状況になっていました。(後継ぎとして)とにかくやるしかありませんでした」
経営に関する資料はどこに、何があるかも分からない状況で、ヨット製造に必要な部品などの発注リストも全ては共有されておらず、業者に問い合わせて、今までどうしていたのか一つひとつ尋ねました。
ヨットの部品を納入している業者には、支払いを待ってもらうこともあったといいます。「こんな状況ではできない」とこぼす社員もいましたが、社員が1人でも抜けるとマンパワーが足りない状況でした。話し合いを重ね、なんとか退職を引き留めました。
ヨットの製作は1艇につき、3、4カ月かかり、1年に製作できるのは4、5艇が限度です。経営管理をしながら、今でも社長自ら現場に立ち続けています。「自分の色なんかはまだ出せません。岡崎造船のブランドイメージである『丈夫で長持ち、快適で安全』を守っていくことを意識してきました」
堅牢なヨットにするため、型の内側には手作業でガラス繊維を重ね、樹脂で固めます。厚くしすぎると船体が重くなって走りに影響し、薄すぎれば衝撃で船体が変形する恐れがあります。全体の強度を計算して部位によって微妙に厚さを変えているそうです。
オーダーメイドの造船に対応できることも岡崎造船の強み。顧客と話し合いながら、好みのヨットに仕上げていきます。
事業を立て直すために、岡崎さんは業務効率化を図りました。置き場所を決めていたものの、散らかりがちだった道具や部品は、定位置に片付けることを社員に徹底したそうです。先代のとき、部品はすべて国内の業者から仕入れていましたが、新規の海外メーカーの部品は、岡崎さんが直接交渉して仕入れ値を抑えられるようになりました。
13年ごろからは国内の株価上昇とともに、ようやく事業が上向きになりました。ヨットの販売価格は一艇数千万円かかるため、「ヨットは生活必需品ではなく嗜好品。だから、景気にすごく左右されます」と言います。
新型コロナウイルス感染拡大の影響は、どうだったのでしょうか。「20年はヨットハーバーに立ち寄ってはいけない雰囲気でしたが、秋ごろから厳しい空気が少し緩和しました」
製造に関しては、海外製の部品が取り寄せづらくなったものの、業績は好調といいます。「マリン業界全体で言うと、モーターボートの売れ行きがすごく良く、新艇はもう売り切れています。そのため中古艇を求めるお客さんが増えましたが、それももう売り切れたらしいです」
最近は、船内でテレワークをする人もいるそうです。「テレワークになって、船で遊ぶ時間が増えた人もいるかもしれませんね」。海外の部品製造会社への注文が追いつかず、製造が遅れるほどの状況といいます。岡崎造船については、ヨットの注文が来年いっぱいまで入っています。
岡崎造船は16人の少人数体制です。日常業務に追われながらも、岡崎さんは作業場の環境を整えることを少しずつ意識し始めています。「夏は暑くてほこりっぽく、作業場はいい環境とは言えません。今はスポットクーラーを導入しました」
粉じんを吸い込むための大きな掃除機も導入。定期的に掃除機をかけるように社員に奨励しているそうです。
社員の年齢層は40~70代がほとんど。現在、船のメンテナンスは人手が足りず、顧客を待たせているような状況ですが、「理想としては、もう少し社員を増やし、その人件費が賄えるだけのメンテナンスの注文を受けて、回していけるようにしたいです。それができれば、次の世代の職人を育てられるようになります」と言います。
奇をてらうことなく、誠実なものづくりを守り続けてきた岡崎さん。だからこそ、国内ヨットメーカーの最高峰として生き残ることができたのかもしれません。
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