海外での経験を経て家業に

 岡崎造船は、岡崎さんの曽祖父が創業しました。当時は木造小型漁船を建造していましたが、2代目の祖父がFRP(強化プラスチック)製のモーターボートやセーリングヨットの建造を始めました。

 53年に香川県で行われた国民体育大会の競技艇に選ばれたことで、全国から注目を集めるようになりました。リピーターが多く、親子2代で利用したり、1人で何隻も注文したりするファンもいるそうです。造船だけでなく、日本各地からヨットやモーターボートのメンテナンスのために、岡崎造船を訪れる人も多くいます。

 ヨットの製造会社は時代とともに少なくなり、今では日本でコンスタントにクルーザーヨットを造り続けているのは、岡崎造船1社といいます。

新しい船を進水する様子(時代不詳、岡崎造船提供)
新しい船を進水する様子(時代不詳、岡崎造船提供)

 岡崎さんは幼い頃から後継ぎの自覚を持ち、高校卒業後は、3代目の父と同じ大学で船舶工学を学びました。「大学に入った頃から、家業に就きなさいと家族から言われ、ほかに選択肢はありませんでした。今思えば、違う方向に進むこともできたかもしれませんが、そんな勇気もありませんでした。でも、ものづくり自体には興味はありました」

 大学卒業後は米国に1年留学し、その後、オランダの設計事務所で半年働きました。「大学では巨大船やタンカーの造船、オランダでは僕たちが造っているヨットやモーターボートの設計を学べたので、家業に生かせました」と言います。

経営の引き継ぎがなく社長に

 オランダから帰国後、24歳で岡崎造船に就職しました。「当時はバブルで業績が好調でしたし、家業に対して特に問題も感じず、とにかく与えられた仕事をしていました」。仕事は教わるというよりも、見て習っていたといいます。他の社員は岡崎さんが幼い頃から働いていた人ばかり。上司という感覚はなく、コミュニケーションに大きな苦労はありませんでした。

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