ものづくりを学んで家業へ

 ワイ・エス・エムは従業員数6人の小さな町工場で、2代目社長の八島哲也さん(40)が率いています。前身は八島さんの祖父が、戦後に創業したヤシマ照明製作所。当時は東京都文京区千駄木に事務所兼自宅を構え、80年代には従業員が40人以上いて、大手の照明メーカーの下請けをしていたそうです。ところがバブル崩壊とともに経営が悪化。工場を墨田区に移し、その後、現在の八潮市に移転しました。

 そして、前社長の叔父が1992年、現在のワイ・エス・エムを立ち上げました。「ワイ・エス・エムはもともと、叔父がヤシマ照明製作所と同じ場所で同じ設備を使い、建築金物を作る会社として設立しました」

 当初は、マンションのインターホンとポストなどが一体になったユニットの金具などを手掛けていました。同様の製品が出始めだったこともあって、経営は軌道に乗り、ヤシマ照明製作所より規模が大きくなっていきました。

 八島さんはその頃、工業系学校の文化祭を見学したのをきっかけに、工業科がある私立中学に進学。そして、工業高校、工業系の大学へと進みます。卒業後は住宅販売会社を経て、ワイ・エス・エムに入社しました。

先代が急逝、突然の継承

 ワイ・エス・エムでは板金工として、材料の切断や溶接といったものづくりに励みました。入社した頃は、最高売り上げが2億円に到達するなど、安定した状態でしたが、風向きは一気に変わってしまいました。

ワイ・エス・エムの工場にはプレス機やレーザー加工機、溶接機などが並んでいます

 「ちょっとしたトラブルで、主要取引先との関係が悪くなったことで、一気に経営が傾く中、先代が急逝してしまいました。遺言には僕と(すでに入社していた八島さんの)同級生3人だったら、会社を立て直せるかもしれないという内容が書かれていました」

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