「埋もれた技術」を世界へ 売り上げ激減のメーカーが進めた脱下請け
東京都立川市のコスモテックは、電子機器の部品などに使う機能性フィルムのメーカーです。2代目の高見澤友伸さん(51)が社長就任直後、リーマン・ショックの影響で売り上げが激減。元請けへの依存から脱するため、自社の「埋もれた技術」を生かしたフィルムを海外に展開。台湾でタッチパネルの生産工程に使われるなど高く評価されました。
東京都立川市のコスモテックは、電子機器の部品などに使う機能性フィルムのメーカーです。2代目の高見澤友伸さん(51)が社長就任直後、リーマン・ショックの影響で売り上げが激減。元請けへの依存から脱するため、自社の「埋もれた技術」を生かしたフィルムを海外に展開。台湾でタッチパネルの生産工程に使われるなど高く評価されました。
――コスモテックはどんな事業を手掛けているのでしょうか。
コスモテックは、粘着テープ開発の技術者だった父が50歳で独立し、1989年に母ともう1人の社員で立ち上げました。創業以来、一貫して機能性フィルムの開発、生産、販売を手がけています。
機能性フィルムの中でも、パソコンのディスプレーやタッチパネルの中に部品として入る「工業用テープ」や、フィルムをつくっています。電子部品や半導体をつくる工程など工場内だけで使われ、一般の目に触れることのないテープも多く扱います。
――消費者向け商品の割合は全体で何%ですか。
10〜15%です。事業の約9割がBtoB事業になります。唯一、消費者の目に触れる可能性が高いのは、クレジットカードを郵送する書類に使われる、カードを接着するためのシールです。輸送中にカードが脱落しないようにしつつ、カードをはがしたら、テープは紙にきれいに残ります。意外と細かい技術による製品です。
――高見澤さんは入社前、家業についてどのような印象を抱いていましたか。
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関西の大学に通うため東京を離れていた頃に、父がコスモテックを創業したので、「家業」というほぼ意識はありません。ただ、ゆくゆくは息子の私が継ぐ以外にないのかもしれないと、薄々感じていました。
私の専攻はコンピューターサイエンスの分野で、大学院修了後は日本IBMにシステムエンジニアとして入社しました。4年ほど勤務すると、徐々に家族の間でも事業承継をどうするかという議論が出てきました。
IBMは、日本法人だけでも数万人規模ですが、当時のコスモテックの従業員は20人。このまま大企業だけしか知らずに事業を承継するのは厳しいと思いました。そこでコスモテックに入る前、ベンチャー企業に転職して2年勤めました。
――コスモテックには2001年、31歳のときに入社しました。
あまり何も考えていなかった、というのが正直なところです。システムエンジニアの私からすると、製造業は完全に異業種。まったく想像がつかない世界でした。しかし、基本的に楽観的な性格なので、自分ができることを淡々とやろうという気持ちで入社しました。
戻ってからは、すべての部署を一通り経験しました。製造、技術開発、生産管理、営業、総務、採用などに携わりながら、業務改善に取り組みました。
――代替わりまでの道のりは順調だったのでしょうか。
いえ、2回、辞める寸前までいきました。原因は父との性格の違いです。父は創業者で仲間意識が強く、何があろうと一緒にやってきた人を大事にしますが、私は業務改善のために社員に厳しく意見することもあり、父と何度ももめました。
完全に干されて、ネットサーフィンばかりやっていた時期もあります。たまたま経理担当者が家庭の事情で休職した際、他に数字を扱える人間が社内におらず、私が経理を担当することになりました。
――当時はメーカーの下請けが中心でした。経理担当として数字を見るようになり、経営の行く末に問題意識は持っていたのでしょうか。
そのときは持てませんでした。当時は、大手電機メーカーが大量生産していた液晶テレビに使う機能性フィルムを供給していて、業績は絶好調でした。
外部環境に恵まれたうえ、競合の中では一定の営業力と開発力もあったので、仕事は集まり続けました。その拡大に比べて、品質管理や調達などの業務が標準化されておらず、属人的で非効率な面がありました。会社の管理体制が追いついていないというのが実情でしたが、もうかっているため、課題として表面化していませんでした。
――08年8月、2代目社長に就任しました。このタイミングで事業を引き継いだのはなぜだったのでしょうか。
父が65歳になって「譲りたい」という話になりました。この時期は過去最高業績をあげたり、顧客の液晶テレビ工場開設にあわせてサプライヤーとしてチェコに工場を出したり、父の時代でコスモテックが最も輝いた時期でした。
当時、私は30代後半で経験が少なく、譲る方としてはきっと不安もあったのでしょう。でも、会社がいい状態なので何とかなると踏んだのだと思います。
特定の業界や顧客とうまくやっていれば、会社が続くーー。この頃のコスモテックは、高度経済成長期の日本のような状況にありました。
――代表就任直後にリーマン・ショックが起こりました。当時の影響はいかがでしたか。
リーマン・ショックが実体経済に波及して、私たちのところまで影響が来たのが09年頃です。それからは「いかに縮小していくか」が経営のキーになり、非常に慌ただしい日々でした。年間売り上げが3分の1に落ちた時期もありました。
人員や工場の稼働時間の削減などを行い、進出したばかりのチェコの工場も閉鎖しました。営業と技術開発チームは、新しい仕事を取ることに追われましたが、現場に近いほど、生産数が激減するシビアさを経験したと思います。
――経営者として、危機は感じたのでしょうか。
厳しかったのは、リーマン・ショック以降、コスモテックの主要取引先だった日本の弱電(通信機器やコンピューター)業界のグローバル競争力が低下したことです。ブランディングや現地化する能力が高い海外の新興メーカーの隆盛を受け、製品が売れなくなっていきました。
顧客の製品が売れなくなった瞬間、私たちの仕事もなくなります。結局、コスモテックではなく、お客様が強かったわけです。
それまでは下請けとして、100%縦の関係だけでビジネスが成り立っていました。外部環境に依存する限り倒産の危機は常にある、というのが私の考えです。当時も今も変わらないレベルで緊張感を持っています。
リーマン・ショック以降は、縦の関係だけでなく、対等なパートナーシップに基づく水平なネットワークもつくろうと意識が変わりました。
――活路を求めて、海外に目を向けたのはなぜでしょうか。販路やコネクションはどのように開拓したのでしょうか。
日本の弱電メーカーからの発注がなくなったといっても、私たちがずっとやってきた、液晶ディスプレー関連の仕事がなくなったわけではありません。韓国や中国では引き続き需要があったので、製品の供給能力を持つ企業として、自分たちを売り込みにいくのは必然でした。
ただ、海外のお客様に、わざわざ日本のコスモテックをパートナーに選んでもらうため、付加価値をつけてアピールすることが本当に難しかった。販路拡大やコネクション作りは、ありとあらゆることをやりました。
海外で開催される展示会や商談会、日本の技術を求める海外企業との懇談会などあらゆるチャネルを駆使し、自分たちが顧客に対してできることを考え、提案しました。
――コスモテック製のタッチパネル用保護フィルムが、海外で評判を呼ぶようになりました。
通常の粘着テープは、一度貼ってはがすと、粘着剤が微量に残ることがあるのですが、BtoB製品においては不良品扱いになってしまいます。それに対し、この製品はほぼ完全にノリ残りがしないのが特徴です。
台湾のタッチパネルメーカーが、工場でパネルに残ったノリをアルコールで拭く作業を解消したいという要望を持っており、日系の商社を通じて紹介してもらいました。
我々が独自開発した特殊な保護フィルムはもともと、日本のお客様の依頼を受けて作ったものでした。しかし、その会社が生産工程を途中で変えたことで案件化していませんでした。いわば社内の「埋もれた技術」が、運良く相手のニーズにフィットしたのです。
それからはトントン拍子に話が進み、iPadのタッチパネルの生産工程や搬送中に使われる保護フィルムにも採用されることになりました。当時のiPad向けタッチパネルのサプライヤーは2社のうちの1社に選ばれました。iPadに使用されたことで、他のメーカーからの引き合いが増え、爆発的に売れました。
商品力の高さもありますが、手を替え品を替え、色々なものを提案している中で、その一つが当たったのだと考えています。
※後編では、消費者向けの「手に貼れるメモ」を開発し、ヒットに導いたコスモテックのさらなる復活劇に迫りました。
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