弱音を吐かなかった父

 創業者の石井重行さんは、モーターサイクルレースのライダー兼ジャーナリストとして活躍しながら、オートバイ販売店を営んでいました。しかし、1984年4月、新型オートバイの試乗中に不慮の事故に遭い、脊髄を損傷。車いすを必要とする障害を負いました。

 それは、息子の勝之さんが幼稚園に入る直前の出来事でした。ただ、事故当時の父親のことはあまり覚えていません。唯一記憶にあるのは、入園式に重行さんではなく、会社の人が来てくれたことでした。

 重行さんは事故から4年半後の88年10月、オートバイのエンジン開発などを行うオーエックスエンジニアリングを設立し、翌年から自分で使うための車いすを作り始めました。それは「自分の乗りたい車いすを作りたい」という思いからでした。

 車いす生活になっても、重行さんは決して弱音を吐きませんでした。勝之さんが父から「会社を継いでほしい」と言われたことは、一度もなかったといいます。

創業社長の石井重行さん。オーエックスエンジニアリングを一代で大きく育てました(同社提供)

妥協のない開発姿勢が広まる

 オートバイのエンジン開発から始まった同社は、「極限までスピードを競う」パラスポーツ用の製品開発との相性は抜群でした。93年には初めて車いすのアスリートを社員として迎えました。これまで、陸上の畝康弘さんや花岡伸和さん、テニスの齋田悟司選手などが社員として働いていました。

 2016年のリオパラリンピックでは、オーエックスエンジニアリングの競技用車いすを使用する選手が、金4個、銀8個、銅4個のメダルを獲得しました。「1人のアスリートの要望を極限まで突き詰める」という妥協のない開発姿勢が、アスリートたちに広まっています。

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