57年前の1965年8月9日、シンガポールがマレーシアから独立しました。

マレーシア連邦からシンガポールが独立したことを伝える1965年8月9日付朝日新聞夕刊(東京本社版)

当時のリー・クアンユー首相がシンガポール国民に向け、「シンガポールはマレーシア連邦の一州である状態をやめ、マレーシアとは別の独立した主権国家となる」という宣言をしたことがはじまりでした。

記者会見するシンガポールのリー・クアンユー首相=1968年、朝日新聞社

リー・クアンユー首相は外国人記者との会見では、「今回のマレーシアからの分離はシンガポールの終わりではなく、はじまりである」とも述べたと当時の朝日新聞の記事は伝えています。

 

長くイギリスの植民地だったシンガポールは太平洋戦争中、日本軍の統治下に入りました。日本の敗戦後、ふたたびイギリスの支配を受けましたが、同じく旧イギリス領だったマレー半島やボルネオ島の地域と1963年に連邦国家を形成し、マレーシアとして独立しました。

ただ、シンガポールは人口の大半、約75%を中華系が占めており、マレー人中心の政策を進めようとするマレーシアの中央政府と対立するようになりました。

溝を埋められないままシンガポールは独立を模索し、マレーシア側でも混乱を長引かせないため、独立を容認する判断に傾きました。

日本政府はじめ国際社会もすぐにシンガポールの独立を承認し、独立国家としてつきあうようになりました。

 

その後、シンガポールは小国ながら香港とならぶ世界最大級の港湾都市、そして金融都市として大きな成長を遂げました。

リー・クアンユー氏は「建国の父」としてアメリカや日本、ヨーロッパの主要国からも評価され、2015年3月23日に91歳で亡くなりました。

リー・クアンユー元首相の死去を報じる2015年3月23日付の朝日新聞夕刊

死去を伝える同日付の朝日新聞夕刊(東京本社版)は、異論を認めない独裁的な政治手法についても言及しつつ、「資源のない小国で急成長を実現し、戦後のアジアを代表する政治家の一人だった」と伝えています。

「巨大な船」が架かった3棟の超高層ホテルが特徴的なマリーナベイ・サンズ=2019年11月、朝日新聞社

国際通貨基金(IMF)や日本の財務省の統計によると、海外から人材や資本が集まるシンガポールの国民1人あたりGDP(国内総生産)は約6万ドル(2019年)。4万ドル前後の日本やイギリスをはるかに上回る豊かな国へと成長しました。

その中心部にはいま、世界中の富豪が集まるカジノを要する統合型リゾート施設「マリーナベイ・サンズ」と、ガラス張りの高層ビルが立ち並び、新時代のシンガポールを象徴する風景となっています。

 

(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年8月9日に公開した記事を転載しました)