39年前の1983年7月15日、任天堂がファミリーコンピューター(ファミコン)を発売しました。

 

発売から2年後の1985年7月15日付の朝日新聞記事によると、任天堂が開発に着手したのは1981年10月。

「ゲームウォッチ」と呼ばれる、当時の電卓くらいの大きさのゲーム機が流行していた頃でした。

メーカー各社は「次のブームは画面の大きなテレビゲームだろう」と予想していたそうです。

 

意外なことに、家庭用ゲーム開発で任天堂は後発組だったといいます。

先んじて家庭用テレビゲーム機を発売したメーカーもありましたが、売れ行きはいまいち。

そこで任天堂は不振の原因を分析し、1979年ごろ大ヒットした業務用の「インベーダーゲーム」のように、画面が素早く動く家庭用ゲーム機を目指しました。

東京・新宿のヨドバシカメラ店頭のディスプレイに集まった子どもたち。当時、ファミコン本体は品切れが相次ぎ、人気ソフトもなかなか手に入らない状態だった=1986年、朝日新聞社

こうして生まれたファミコンは爆発的な人気となり、発売から2年で350万台が売れました。

特にクリスマスから正月にかけてのおもちゃ販売シーズンには、品切れとなる店が続出したそうです。

 

1985年12月14日付の朝日新聞には「’85年のベストセラーはTVゲーム攻略法」という見出しの記事が載っています。

「スーパーマリオブラザーズ完全攻略本」(徳間書店)が10月中旬の発売にもかかわらず63万部を突破し、年間1位が確実になった、という内容です。

ゲームの攻略本というジャンル自体が新しかったこともあり、出版界から驚きや戸惑いの声が相次いだことを伝えています。

 

1988年には「ドラゴンクエスト3」が発売されました。

コンピュータエンターテインメント協会によると、ファミコンソフトとして歴代3位の380万本が売れました。

発売日には購入希望者の行列が各地で見られました。

「ドラゴンクエスト3」を買うために行列する人々=1988年、朝日新聞社

その後、任天堂のゲーム機はゲームボーイ、スーパーファミコンと発展していきます。

他社からもプレイステーションやXboxなど様々な家庭用ゲーム機が発売されました。

 

ここ10年余りはスマホゲームが急成長しました。

ただ、スマホゲームの開発者も、ファミコンには一目置いているようです。

2013年7月13日付の朝日新聞記事の中で、「パズル&ドラゴンズ」を世界中で大ヒットさせたガンホー・オンライン・エンターテイメントの森下一喜社長(当時39)は「いつも『任天堂ならどうするか』と考えます。ファミコンには創造性や面白さの根本が詰まっている」と話しています。

「復活」したファミコン。手のひらにのる大きさになった=2016年、朝日新聞社

2016年11月にはファミコンのミニチュア版「ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ」が発売されました。

往年の人気ソフト30作品を内蔵したもので、予約が殺到しました。

 

ゲーム産業はロックダウンや外出自粛の影響もあり、コロナ禍でも成長を遂げています。

ファミコンはそんな巨大産業の原点の1つと言えそうです。

 

(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年7月15日に公開した記事を転載しました)