96年前の1926年4月24日、函館―青森間に電話が開通し、本州と北海道が電話線で結ばれました。

「明日開通」を伝える前日付の東京朝日新聞には「横断する連絡電話線は陸上約十九里、海底約三十マイルのケーブルを敷設して通話路を創設したもの」とあります。

長さは約122キロに及んだことになります。

函館―青森間に電話が開通することを報じる1926年4月23日付東京朝日新聞の記事

日本における電話の歴史は1890年、東京―横浜間の約200台で始まりました。

当時、郵便や通信を所管していた逓信省(ていしんしょう)は加入者集めに苦労したそうです。

ほとんどの人が電話を知らず、「連絡役の小僧を雇ったほうが得だ」という意見や、「電話線をコレラ菌が伝わる」といううわさが出るなどしたためといいます。

 

1926年に自動交換機の導入が始まるまで、電話を取り次ぐのは人間の仕事でした。

電話創業100年に合わせた1990年の朝日新聞に、こんな記事が出ています。

それによると、1899年の朝日新聞に「男の交換手を何とか淘汰する方法はないものか」という投書が載りました。

当時、交換手は女性中心でしたが、一部に男性もいました。

「おいおい、何番じゃ」「そんなことは分からぬ」といった男性の応対が不評をかい、この投書をきっかけに世論が沸騰。

ついに1901年に東京で、3年後に横浜で男子交換手は全廃されたといいます。

大阪中央電話局の電話交換手養成所へ入って交換業務の研修を受ける女性たち=1923年、大阪市、朝日新聞社

総務省によると、1987年に当時のNTTが「携帯電話」と称したサービスを開始。

その後は機器の小型化と通信の高速化が進み、スマートフォン保有者の割合は2018年時点で64.7%に達しました。

 

一方でNTT東日本とNTT西日本は2020年、電話帳「ハローページ」の発行を終了すると発表しました。

電話帳「ハローページ」と「タウンページ」=1989年、朝日新聞社

個人宅の連絡先を載せた電話帳の源流は、1890年発行の「電話加入者人名表」までさかのぼるそうです。

携帯電話の普及で固定電話が減り、掲載を望まない人も増えたことで、発行部数はピークだった2005年の6500万部から2020年には120万部となっていました。

 

(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年4月24日に公開した記事を転載しました)