目次

  1. 研究開発10年 お茶をアウトドア飲料に
  2. 致命的な問題 商品名が読めない!
  3. 世界初 ペットボトル入りのお茶が登場
  4. 「私たちはジュース屋ではなく、お茶屋です」

日本食ブームや健康志向の高まりを背景に、緑茶が世界的に注目を浴びている。

お茶は急須でいれるもの――。

そんな常識は昭和まで。

ペットボトルのお茶をラッパ飲みする姿は、平成の時代にすっかり定着した。

そのライフスタイルを世に広めたのが、伊藤園の「お~いお茶」だ。

伊藤園の前身の会社が設立されたのは1966年。

当初は、お茶の葉っぱの販売が主力事業だった。

 

その頃から1970年代にかけて、国内ではコンビニや自動販売機が普及し始め、缶コーヒーや炭酸飲料が登場して人気に。

家庭でも、食生活の洋風化や簡素化が進んでいた。

 

「お茶の間」から緑茶が遠ざけられるのは、お茶の葉っぱを販売する会社にとっては死活問題。

家の外でも手軽に飲める緑茶の商品を開発できないか――。

そんなアイデアが社内で出され、缶入り緑茶の研究開発が始まった。

 

食卓で飲む“インドア飲料”から、いつでもどこでも飲める“アウトドア飲料”へ。

「みんな新しいことを実現したいという思いがあったようです。ただ、技術的には大変だったと聞いています」

伊藤園の広報室長、古川正昭さんはそう話す。

 

大きな課題は二つあった。

一つは「色が変わること」、もう一つは「香りが変わること」だ。

 

緑茶を入れて時間がたつと、主成分のカテキンが酸素に触れて褐色に変わってしまう。

そこで、緑茶を缶に詰める時、ふたをつける直前に缶の内部に窒素ガスをふきつけて、酸素を追い出す技術を開発。

これにより、緑色から褐色に変わるのを防ぎ、いれたての風味を缶に封じ込めることに成功した。

 

香りで問題だったのは、加熱殺菌によって緑茶本来の香りが変わり、焼きイモのようなにおいがすることだった。

そこで、①茶葉の組み合わせ②抽出時間③抽出温度をいろいろ変えて、解決を目指した。

 

研究開発を始めてから約10年。

約6万7000通りの試作を繰り返し、原料や加工方法、抽出方法などを確立した。

 

1985年、世界初となる缶入りの緑茶を発売。

商品名は「缶入り煎茶(せんちゃ)」。

1缶190ミリリットルで100円だった。

1985年発売の「缶入り煎茶」=写真はいずれも伊藤園提供

ところが、缶入り煎茶の売り上げは伸び悩んだ。

その大きな要因の一つと考えられたのが、商品名だ。

 

「実は、『煎茶』の読み方がわからず、『まえちゃ』や『ぜんちゃ』と読まれていました」

伊藤園マーケティング本部緑茶ブランドグループのブランドマネジャー、安田哲也さんが説明してくれた。

 

「せんちゃ」という呼び方は、お茶の業界では一般的だ。

ところが、大学生向けの意識調査を実施して「日本茶を何と呼ぶか」と尋ねたところ、1位はダントツで「緑茶」だった。

2位は「日本茶」で、3位は「グリーンティー」。

「煎茶」は大きく離されて4位だった。

 

そこで伊藤園は大きな決断をした。

「缶入り煎茶」という商品名を、「お~いお茶」に変更した。

1989年のことだった。

「缶入り煎茶」の改名で誕生した元祖「お~いお茶」

「お~いお茶」は、もともとは伊藤園が茶葉のテレビCMで1970年代から使っていたフレーズだ。

CMでは男性俳優が「お~いお茶」と口にしていた。

 

認知度が高いフレーズ。

やんわりとした言葉の響き。

急須に熱いお湯をそそいで、湯飲み茶わんでズズッ――。

そんな、お茶を飲む雰囲気にぴったりの商品名だった。

 

改名の効果は、すぐに表れた。

1989年度の売上金額は、前年度の2倍以上となる約40億円に急増した。

缶入り煎茶の発売直後の1985年度は約6億円だった。

 

商品は「緑茶」「ほうじ茶」「玄米茶」をラインアップ。

容器のデザインは、竹の水筒をイメージして竹の柄にした。

こうして、甘いコーヒーや炭酸飲料が並ぶ商品棚に、無糖のお茶という新しいカテゴリーが生まれた。

 

「食の欧米化が進み、油っぽいものを食べる習慣になり、さっぱりした日本人に合う飲み物が好まれたと思います」

安田さんはそう分析する。

さらに大きな転機となったのが、世界初のペットボトル入りのお茶を商品化したことだ。

1990年、1.5リットルのペットボトルの商品を発売。

次いで2リットルのペットボトル商品を発売した。

 

ペットボトルで課題となったのは「オリ」。

緑茶に含まれる成分が、粒状の浮遊物として大量に発生して沈殿する現象だ。

飲んだ人の体に害はないが、中身が見えるペットボトルでは見栄えが悪く、風味も損なわれてしまう。

そこで、独自技術のマイクロフィルターを使用し、緑茶本来の香りと味わいをそのままに透き通ったお茶の色を引き出す製法を開発した。

 

持ち運びしやすい500ミリリットルのペットボトルを出したのは1996年。

コンビニの店舗数が全国的に拡大した時期と重なり、「お~いお茶」の販売数も一気に伸びた。

現在では一般的な500㎖のペットボトルが発売されたのは1996年

2000年には、業界に先駆けてホット専用のペットボトルを採用した商品を発売。

2001年には、摘みたての新茶を使用した「お〜いお茶 新茶」を発売した。

こうした温かいお茶や新茶のおいしさを保つため、ペットボトルを新たに開発したり、良質な新茶原料をいち早く大量に仕入れたりした。

 

2004年に発売したのは、渋みのもとのカテキンをたっぷり含んだ「お~いお茶 濃い味」。

しっかりとした渋みのきいた味わいで、“濃い”ブームの火付け役となった。

 

緑茶が劣化する原因の一つである「光」からおいしさを守るため、ペットボトルの肩の部分をカット形態にして、光を乱反射させる新型容器を採用するなど、その後も時代に合った商品を次々と世に送り出してきた。

 

伊藤園の推計では、緑茶飲料の国内の市場規模は4000億円を超える。

「お~いお茶」のシリーズ全体の販売数は、1年間に約9000万ケース。525ミリリットルのペットボトルが1年間に21億本以上売れている計算だ。

 

海外でも35を超える国・地域で「お~いお茶」シリーズが販売されている。

「お~いお茶」ブランドは、1年間で世界で最も売れた緑茶飲料として、2018年から3年連続でギネス世界記録にも認定された。

緑茶の市場を切り開いてきた伊藤園。

「私たちはジュース屋でもコーヒー屋でもなく、お茶屋です」

古川さんは、そう自負する。

「だから、お茶の品質に徹底的にこだわらなければ、私たちの存在価値はなくなると思っています」

 

多くの飲料メーカーは仕入れ問屋を介して原料の茶葉を調達しているが、伊藤園は自前で調達している。

静岡県や鹿児島県など各地の茶農家に茶葉の契約栽培をしてもらい、全量を買い取っている。

 

また、後継者不在などで耕作が放棄された国内の農地を、地元の自治体や事業者と一緒に開墾。

「お~いお茶」専用の茶畑にして、茶葉を栽培してもらっている。

そうした茶畑を年々増やし、2020年は東京ドーム約400個分に達した。

耕作放棄地を開墾した大分県の「お~いお茶」専用茶園

茶葉の一次加工から乾燥までを行う工場は茶畑のすぐ近くにある。

乾燥させた茶葉は、仕上げ工場で火入れをして香味を整える。

茶葉のそうした製造工程は、通常の半分程度に短縮している。

酸素や熱に触れる時間を短くして、鮮度を守るためだ。

 

また、急須でいれた緑茶の味わいを実現するため、「急須式抽出機」と呼ぶ設備を開発。

巨大な急須状の容器に茶葉を入れて、湯を注ぎ、茶を抽出する方法だ。

その日の気温や天気に合わせて、温度や時間などを細かく調整して抽出する。

そんな急須の味わいを消費者に楽しんでもらうため、発売当初から香料は使っていないそうだ。

 

その年の天候などによって茶葉の品質は変わる。

時代の変化によって消費者の好みも変わる。

だから、「お~いお茶」は渋みやうまみ、香りの微妙な調整を繰り返し、その味は発売当初から少しずつ変化しているという。

 

ただ、安田さんは言う。

「『お~いお茶』は、いつの時代も“ど真ん中”にいなきゃいけないと思っています」

 

「お~いお茶」に名を変えてから32年。

緑茶飲料の市場の中心に、「お~いお茶」は立ち続けている。

 

(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年4月8日に公開した記事を転載しました)