不明確だった工程を見える化 亀屋芳広3代目がコロナ禍で続けた挑戦
名古屋市の和洋菓子店「亀屋芳広」3代目の花井芳太朗さん(42)は、17店舗を抱える老舗の経営者として、女性社員の積極採用やトヨタ生産方式などを採り入れた生産工程の「見える化」などで組織改革を加速させました。コロナ禍でも地元の素材を使ったお菓子や宅配サービスをスタートさせるなど、地域に役立つための挑戦を続けています。
名古屋市の和洋菓子店「亀屋芳広」3代目の花井芳太朗さん(42)は、17店舗を抱える老舗の経営者として、女性社員の積極採用やトヨタ生産方式などを採り入れた生産工程の「見える化」などで組織改革を加速させました。コロナ禍でも地元の素材を使ったお菓子や宅配サービスをスタートさせるなど、地域に役立つための挑戦を続けています。
目次
熱田神宮近くに本店を構える亀屋芳広は1949年、花井さんの祖父・金造さんがリヤカー1台から創業し、父で2代目の義一さんが17店舗にまで拡大。従業員250人(うち正社員が30人)を抱えています。
店内に和洋合わせて40種類ほどのお菓子をそろえ、「車楽(だんじり)」というどら焼きは、熱田神宮内でも販売しています。
花井さんの実家は亀屋芳広の本店と工場が入った建物の最上階にあり、お米を蒸すにおいやあんこが炊けるにおい、工場の機械音に囲まれて育ちました。
「従業員や父が朝から晩まで働いている姿が見え、成長するにつれてプレッシャーが増していきました」
創業者の祖父からは日ごろから「あんたは3代目だね」と言われました。漠然と後を継ぐとは思っていたものの、次第に「お店や工場から離れたい」という気持ちを募らせます。
高校卒業後は関西の外国語大学へと進み、米国留学を決めるなど名古屋から離れようとしていました。
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米国に渡った花井さんは、すしが人気を誇り職人が脚光を浴びる光景を見て「日本文化はこれからもっと海外で通用するのでは」という思いを強くします。
「いつか海外でビジネスを展開したい」と考えていたこともあり、家業の「和菓子」を前面に出すのは一つの手段と感じるようになりました。
両親から「米国で仕事をするか、帰国して店を継ぐか」という選択を迫られ、3代目になることを決めました。
2005年に大学を卒業し帰国すると、埼玉県の和菓子店「梅林堂」で修業をスタート。菓子作りや百貨店との付き合いなどを、4年かけて一通り学びました。
09年に家業に入り、製造部門で3年間、製餡作業を学びます。その後販売部門に移り、3年かけて各店舗を回りました。
そんな中、2代目と会社をもり立ててきた常務が65歳で病死しました。ショックを受ける2代目を見て、花井さんは「右腕がいない父の不安を取りのぞこう」と常務を受け継ぎます。その2年後の15年、3代目に就任しました。
花井さんがいち社員として修業を積む中、「男性中心の組織」が一番の課題と思っていました。客層の約9割が女性なのに製造部門は男性社員が約8割だったのです。次第に「女性のお客さまが求めるお菓子を作れないのでは」という思いを抱くようになりました。
3代目に就任すると、製造部門で数年かけて女性社員6人を採用。独身の女性社員が寮に入ることができるよう、就業規則の見直しや家財道具をそろえるなど整備を進めました。さらに、取引がある材料会社の女性にも企画開発に関わってもらえるよう声をかけました。
花井さんは「百貨店に出ているような、華やかで特別感のあるお菓子を地元の直営店で出したい」と、製造部門の社員を束ねて百貨店などに足を運ぶよう心がけました。
その当時、製造部門では1日あたりの生産予定を数量のみ記載するだけで「誰が何を、いつどれだけの時間をかけて作業をするのか」が不明確でした。
手が空くたびに次の作業を職長に聞きに行くという形式が定着した結果、長く勤めるパート従業員の仕事がブラックボックス化していました。
花井さんは生産性を高めようと、従業員の身だしなみの管理を徹底。さらに修業先で実施していた「トヨタ生産方式」を採り入れようと、製造部門で使用する道具の置き場所や個数を定めるなど、作業の「見える化」を進めました。その結果、年間休日を5日ほど増やすことができました。
当初は反発する従業員も多く、「見える化」のために貼った紙や目印が翌日にはがされたこともあったそうです。
花井さんは「自分が正しいと思った行動を進めても、仲間づくりをしなければ孤立無援になる」と学びました。
会議を開く前に色々な人に「これってどう思う?」などと相談し、納得してもらったうえで決定する。会社を率いる上でそういった根回しが大切だと痛感しました。
花井さんは少しずつ従業員との関係性を構築し、コロナ禍の前は従業員とお酒を飲む機会も設けて溶け込もうとしました。
「今も完全な信頼を得られているかと問われると、自信はありません。自信がないからこそ、積極的に従業員に関わっていきたいです」
お菓子の大量生産に追われる中、花井さんは疑問を感じていました。
「飽食の現代にお菓子はどこでも買えますが、職人自らが『これを食べてほしい』という願いをこめたお菓子を作ってほしいと思うようになりました」
とはいえ、手間をかけた新商品を作ると生産効率が下がるリスクを抱えます。製造部門に聞くと「毎日は難しい」とのことでしたが、話し合いを重ねて週末限定商品を始めるようになりました。
人気商品「あまから餅」もそのひとつです。ある社員が名古屋市近郊の日進市でとれるブランド米「こはるもち」が初収穫という情報を聞いたことがきっかけで、米を分けてもらい、何度も改良を重ねて完成しました。
週末に違ったメニューが登場したことで売り上げもぐんと伸びるように。従業員からは次第に「ここのお米を使いましょう」、「蒸し方を変えましょう」といった提案が出るようになりました。
「もちろん原価調整の難しさはありますが、製造部門には手間をかけてもらう代わりに、好きなようにしてもらっています」
先代の時代は百貨店との付き合いをやめ、地域での活動なども控えめだったといいます。
しかし花井さんは、高島屋百貨店が全国の老舗和菓子店の若旦那に声をかけて新作を並べた「ワカタク」というプロジェクトに出店しました。また、親子お菓子教室や地元のお祭りへの出店など、積極的に活動の場を広げています。
「亀屋芳広の名前を広めて仲間を増やすことが大切になります。ローカルを基盤とした活動は、いずれ海外で活動を広げる中でスキルにつながるはずです」
そして17年、シンガポールにある高島屋から「催事をやってみないか」と声がかかり、自社商品の海外販売を実現。コロナ禍の直前まで約3年間継続していました。
花井さんが英語が得意なことや、語学堪能な和菓子職人が入社したこともあり、フランス料理学校「ル・コルドン・ブルー」で和菓子の講義を担当したり、名古屋市の依頼でロサンゼルスやウズベキスタンで和菓子実演を行ったりするなど、海外を意識した活動を展開しました。
20年からのコロナ禍で、亀屋芳広も大口の注文が次々とキャンセルされて売り上げは最大で3割減少。5年間続けた親子のお菓子教室や芋ほり体験なども中止せざるを得ませんでした。
店舗を閉めるのも一つの策でしたが、花井さんは基本的には休まずに営業を続け、EC決済やSNS運用などにも力を入れ始めました。
コロナ禍でスタートしたのが法人用のお菓子宅配サービス「オフィスでおやつ」です。コロナ禍で止まった店舗間の自社物流便を活用できないかという発想でした。
花井さんはチラシの手配などを含め、1週間ほどで準備をしました。そしてチラシを名古屋市商工会議所や観光協会が配布する企業向けの冊子に折り込んでもらい、物流部門のスタッフにも、帰社がてらポスティングをお願いしました。
「オフィスでおやつ」は5カ月間で計5回実施し、1回あたり6社ほどから依頼がありました。
「オフィスでおやつ」は大きな売り上げにつながったわけではないといいます。それでも花井さんは「便数を減らしていた物流部門にも仕事をお願いできたし、仕事を作ろうと思えばいくらでもアイデアは生み出せると感じました。亀屋芳広を知らない人たちに広める機会になりました」と話します。
コロナ禍で旅行が難しくなり、「地元のものを食べたい」という風潮が高まりました。亀屋芳広は愛知県内の農家をまわり、豊田産の白桃、田原産のレモン、碧南産のにんじんなど9種類の素材を使ったゼリーを商品化しました。
県外の素材を使う場合、大手企業が大量に使うことがあるため、供給側も加工済みの材料を豊富に用意し、仕入原価が安くなります。一方、地元素材は全てが業務用として調整されていないため、たくさんの農家から確保したり果物を加工したりする手間が加わり、製造原価は高くなります。
社内からは「高いと売れない」という声も上がりましたが、売れ行きは好調でした。
また、親子のお菓子教室を復活させたいという思いから、「オンライン和菓子キット」(1箱1200円)を開発。材料とユーチューブ動画を用いて自宅でお菓子づくりが楽しめるようになりました。
キットはメディアにも取り上げられ、多くの反響がありました。キットの海外版も考案し、海の向こうでも和菓子を作ってもらえるように製造を進めています。
花井さんは入社以来、できるか、できないかを考えず、アイデアを会議やミーティングの場で発言をするよう心がけました。あまりに要望が高く却下されたこともありましたが、花井さんが考えた案件が成功するケースが増えていきます。
社外で気になるお菓子や食品、デザイン、サービスなどを目にすると、すぐに写真を撮りスマホで社員と共有しています。参考になりそうなものをすべて共有することで、自身のイメージを「見える化」する狙いがあります。
花井さんの根底にあるのは「職人という職業の尊さを広めたい」という思いです。
「職人さんは本来もっと注目され、どこであっても仕事に困らないほどの技術を持っています。和菓子を通して職人さんを表舞台に出し、いずれは海外でも活躍できるような状況をつくりたいです」
現在では10代から70代まで、幅広い年齢層の従業員が働いています。
「コロナ禍でどうしても思考がマイナスになることもあります。だけど従業員のみなさんは、いつも僕の方を見ています。課題はたくさんあるけれど、言葉や行動は常に明るく前向きでありたい。全員が質の高い仕事をして成果を出せるワクワクできるような会社づくりを心がけたいです」
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