なぜ赤字続きの離島の酪農会社を引き取ったのか 八丈島乳業社長の観光戦略
東京都の離島・八丈島は、かつて「酪農王国」と呼ばれたほど乳業が盛んでした。しかし近年、島外の乳製品が安く手に入るようになり、多くの牧場が消えていきました。最後の牧場が廃業間近となった時、事業を全て継承し、八丈島乳業株式会社を立ち上げたのが、島でホテルを営んでいた歌川真哉さん(51)です。ホテル経営者が、畑違いの酪農事業に乗り出したのは、なぜだったのでしょうか。
東京都の離島・八丈島は、かつて「酪農王国」と呼ばれたほど乳業が盛んでした。しかし近年、島外の乳製品が安く手に入るようになり、多くの牧場が消えていきました。最後の牧場が廃業間近となった時、事業を全て継承し、八丈島乳業株式会社を立ち上げたのが、島でホテルを営んでいた歌川真哉さん(51)です。ホテル経営者が、畑違いの酪農事業に乗り出したのは、なぜだったのでしょうか。
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東京都心から南へ約290キロメートル。車なら1時間半ほどで1周できる八丈島には、7088人(2022年6月1日時点)が暮らしています。
八丈島で酪農業が始まったのは明治時代とされています。当時の冷蔵技術は未熟で、本土から乳製品を運ぶのは高コストでした。牛のえさを島内でまかなえたこともあり、酪農が次第に発展しました。森永乳業の社史によると、1923(大正12)年に八丈練乳株式会社が設立され、のちに現在の森永乳業の工場となります。ピーク時には島全体で約2000頭の乳牛を飼っていたといいます。
酪農業は漁業とともに島の基幹産業になりましたが、平成に入る前後に転機が訪れました。安価で高性能な冷凍冷蔵コンテナが普及し、本土で作られた乳製品が、安く入ってくるようになったのです。
本土で大量生産され島に入ってくる乳製品に価格面で勝てず、多くの酪農家が廃業を迫られました。それまで牛乳やバター、プリンなどを作っていた株式会社楽農アイランドは2012年、仕入れ先である島内の牧場が1軒だけになったため、自社牧場を始めました。
牛舎を使わずに放牧することでコストを下げたり、国内の乳牛で主流のホルスタイン種ではなくジャージー種を飼って差別化したりと工夫しました。しかし、自社以外で唯一の牧場が2013年に廃業。加工品の生産力が落ちた楽農アイランドは、さらなる経営難に陥りました。
その時、楽農アイランドの再建に名乗りを上げたのが、島でリゾートホテルを経営していた歌川真哉さんです。
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歌川さんは新潟県出身で、2007年に八丈島に移住しました。ホテル経営者で移住者でもあった歌川さんが、島の伝統産業を継ぐことになったのはなぜでしょうか。
歌川さんが当時経営していた「ホテル リード・アズーロ」は、島の食材を使った料理を1つのアピールポイントにしていました。楽農アイランドから仕入れた牛乳やバターを使った料理を、ホテルで提供していたのです。
「楽農アイランドがなくなれば、ホテルの売りが1つ消えてしまうし、島の産業も失われます。一方、楽農アイランドの牛は国内では珍しいジャージー種だったため、商機があると感じました」
2014年、歌川さんは八丈島乳業株式会社を設立。楽農アイランドの事業である牧場運営と牛乳製造・加工のほか、4人の従業員も引き継ぎました。酪農については門外漢だったため、牛の飼育などはスタッフに任せ、経営難の一因だった支出の点検に着手しました。
最初に着目したのは、えさ代です。楽農アイランド時代、乳牛に与えていたえさは、本土から購入した干し草でした。歌川さんはかつての島のやり方にならい、自生するススキの一種であるマグサを主食にすることで、コストを減らすことにしました。
冬に枯れてしまうススキと違い、温暖な島で育つマグサは一年を通して手に入ります。もし畑で栽培すれば、土地と時間は必要ですが、長い目で見れば安定供給と支出減につながると考えました。
次に検討したのは飼育方法です。国内では、牛を牛舎で育てる方法が一般的です。人間の目が届くため管理しやすい一方、飼育員が出産に立ち会ったり、子牛を親と分けて育てたりと、手間がかかります。日中だけ牛舎の外に出すこともありますが、天気が急変したら牛舎に入れる必要があります。
一方、山に放牧して育てる山地酪農なら、出産・育児は牛が自分でやります。雨の日も風の日も牛は自然の中で過ごすため、人の手がかからないのです。
山地酪農は楽農アイランド時代からの飼育方法です。歌川さんはこれを引き継ぐことにしました。
八丈島乳業で作った商品の販売先には、歌川さんが経営しているホテルがあります。このため、えさ代の見直しがうまくいけば、1年後には黒字転換すると歌川さんは見ていました。しかし、実際は赤字が続いているといいます。
「マグサだけでは栄養価が足りず、搾乳量が少ないのです。このため本土から買ったえさも食べさせていますが、その分支出が増えます。収支を好転させるには、もっと搾乳量を増やし、商品を作って売る必要があります」
マグサの量も不足しています。かつてはマグサ畑がたくさんあったものの、今は八丈島乳業が開墾した1ヘクタールの畑だけ。自生する分もありますが、島全体を放牧させるわけにもいかず、足りないそうです。
人件費もかさみがちだといいます。一般的に酪農業は夫婦や家族で営むことが多い、と歌川さんは指摘します。土日も年末年始も関係なく世話をすることで、何とか運営を続けられるというわけです。
「しかし、八丈島乳業は家族以外を雇用した会社組織です。労働関係法令を守るため、週休2日は必要だし、有給休暇も取れなくてはいけません。生き物を育てて利益を出すには不利な仕組みなんです」
それでも踏ん張ってこられたのは、大口の販売先として、歌川さんが経営する「ホテル リード・アズーロ」(老朽化で2018年閉館)と「リードパークリゾート八丈島」があったからです。牛乳やバターを使った料理を出すほか、お土産にプリンなどを販売し、安定した売上につながりました。
また、マグサ畑を耕す際は、ホテルスタッフにも手伝ってもらいます。八丈島乳業の支出を下げるための工夫といいます。
こうしてホテル運営会社の黒字で八丈島乳業の赤字を埋め合わせながら、「八丈島産の牛乳や乳製品」という価値を守り続けてきたのです。
販路が自分の経営するホテルだけでは、事業を拡大できません。新商品も開発し、ファンを増やす必要があります。
そこで2016年、八丈島の中心部に「八丈島ジャージーカフェ」をオープン。ソフトクリームなど、ジャージー牛乳を使った様々なメニューを楽しめます。
2017年には、観光客が訪れる八丈植物公園内に「Gelateria 365(ジェラテリア365)」というジェラート店を開きました。明日葉や「海風椎茸(うみかぜしいたけ)」といった八丈島の野菜とジャージー牛乳を組み合わせた、ユニークなジェラートを販売しています。
「販路を広げるだけでなく、観光資源を作りたい気持ちもありました。観光客が訪れたい店を増やすことで、八丈島のイメージアップにつながり、来島者が増えます。八丈島乳業だけでなく、経営するホテルにも利益をもたらすと期待してのことです」
こうした取り組みの結果、次第に売上は伸びました。八丈島乳業の従業員は当初の4人から9人に増え、事業に明るい兆しが見えてきました。
新型コロナウイルスという新たな困難にぶつかったのはその頃です。
八丈町の資料によると、コロナ禍前の2019年には約12万人の来島者がいました。八丈島乳業にとっても、ホテルやカフェを訪れる観光客による島内消費が売上の7割を占めていました。残り3割は、本土との取引やオンラインショップといった島外消費です。
2020年4~6月は、国から緊急事態宣言が出た時期と重なり、島は閉鎖状態になりました。苦境に立たされた歌川さんを救ったのがSNSです。牛乳の消費が止まっていることをフェイスブックで発信したところ、この時期のオンラインショップの月間売上は、前年同期比20倍に跳ね上がったのです。
2021年には新商品の「ジャージーミルクヨーグルト」や「八丈島ジャージーバター 明日葉チョコクッキー」を発売。商品数が増えただけでなく、ホテルやミルクスタンドといったBtoBの販路も広がってきました。
その結果、事業を引き継いだ2014年に約2500万円だった売上は、2021年には約4000万円に伸びました。2022年は過去最高を更新する見通しです。
「ありがたいことに認知が広がりつつあります。都内の高級ホテルに商品を使ってもらえたり、ジャージー牛乳のチーズが『Japan Cheese Awards 2018』で金賞を取ったりと、高い評価をいただくようになりました」
売上は伸びていますが、八丈島乳業単体では、なお赤字です。支出の見直しは限界に近く、黒字転換させるには売上を2〜3倍に増やす必要があると、歌川さんは見ています。そのために必要なのが、1頭あたりの搾乳量の増加です。
歌川さんによると、一般的なホルスタイン種が1日に35~40リットル搾乳できるのに対し、八丈島乳業のジャージー種は10リットルにとどまります。しかし、栄養価の高いえさを与えることで、20~30リットルまで増やすことは可能だそうです。
「今までは生乳が少なく、商品を作りたくても作れない状況でした。搾乳量を増やせれば、現在の30頭という頭数は変えずに、経費を抑えたまま売上を伸ばせると考えています」
ホテル経営に加え、異分野の酪農を手がけるようになって約8年。ホテルだけを経営していた頃には交わることのなかった、島内外の人や会社とつながるようになりました。東京都など行政との関わりも増え、八丈島の産業を支えることのやりがいも強く感じているといいます。
「景観や歴史的建造物は作れませんが、魅力的なリゾート地は作れます。八丈島に素晴らしいホテルや飲食店、おいしい農畜産物を用意し、一大観光地にすることが私の使命です」
今後は乳製品に加え、肉や野菜も手がけたいといいます。ジャージー種の肉牛は試験的に育てていて、経営するホテルで提供し始めています。知人が新たに始める養鶏場から卵を買い取り、ホテルの料理で出すことも考えています。
「ジャージー種は和牛のように肥育すれば、とてもおいしいんですよ。養鶏場も楽しみです。八丈島の産業を発展させることで、八丈島乳業やホテルだけではなく、島自体の魅力をさらに高めたいです」
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