目次

  1. 「酪農王国」消滅寸前 名乗りを上げたのは
  2. えさ代削減へ 自生するマグサを主食に
  3. 酪農の赤字をホテルの黒字で補って
  4. カフェなど展開 従業員は4人→9人に
  5. コロナ苦境を救ったフェイスブック投稿
  6. 「八丈島を魅力的なリゾート地に」

 東京都心から南へ約290キロメートル。車なら1時間半ほどで1周できる八丈島には、7088人(2022年6月1日時点)が暮らしています。

八丈ブルーの海に面した放牧地で、のびのびと育てられる牛たち

 八丈島で酪農業が始まったのは明治時代とされています。当時の冷蔵技術は未熟で、本土から乳製品を運ぶのは高コストでした。牛のえさを島内でまかなえたこともあり、酪農が次第に発展しました。森永乳業の社史によると、1923(大正12)年に八丈練乳株式会社が設立され、のちに現在の森永乳業の工場となります。ピーク時には島全体で約2000頭の乳牛を飼っていたといいます。

 酪農業は漁業とともに島の基幹産業になりましたが、平成に入る前後に転機が訪れました。安価で高性能な冷凍冷蔵コンテナが普及し、本土で作られた乳製品が、安く入ってくるようになったのです。

 本土で大量生産され島に入ってくる乳製品に価格面で勝てず、多くの酪農家が廃業を迫られました。それまで牛乳やバター、プリンなどを作っていた株式会社楽農アイランドは2012年、仕入れ先である島内の牧場が1軒だけになったため、自社牧場を始めました。

国内で飼育される乳牛の1%ほどしかいないジャージー種。ホルスタインと比べ高脂肪、高たんぱくで、ビタミンやカルシウムなどの栄養価が高い乳を出すが、小柄で乳量が少ないとされる

 牛舎を使わずに放牧することでコストを下げたり、国内の乳牛で主流のホルスタイン種ではなくジャージー種を飼って差別化したりと工夫しました。しかし、自社以外で唯一の牧場が2013年に廃業。加工品の生産力が落ちた楽農アイランドは、さらなる経営難に陥りました。

 その時、楽農アイランドの再建に名乗りを上げたのが、島でリゾートホテルを経営していた歌川真哉さんです。

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