目次

  1. 時代と逆行していた家業の環境
  2. 強い信念を持って提言
  3. とことん教えることを心がけて
  4. 働き方が変わり取引先が増える
  5. 売り上げは伸びても利益率が低い
  6. アウトドア用品に見つけた可能性
  7. 若手が作ったアイテムも
  8. 県内企業とコラボした商品開発
  9. 率先垂範の姿勢を持って

 サンライズエンジニライングは1989年、赤坂さんの父・己治奥(きちお)さん(現会長)が創業しました。当時中学生だった赤坂さんは家業を継ぐため、工業系の高校・大学を経て、同業であるツガワ(横浜市)の北上工場に就職しました。

 同社では板金加工や精密プレスを経験し、家業に関わるほとんどの業務を経験しました。家業より大規模な会社での学びは多く、己治奥さんの力が及ばない部分を補う力を身につけるべく、仕事に励んでいました。

 5年間の修業を経て、2003年にサンライズエンジニアリングに入りました。最初は車の大量生産などに使われる金型の設計をメインで担当しましたが、その環境を見てあぜんとしたそうです。

 「当時のサンライズで行われていることすべてが、時代と逆行しているように思えました」

 工程は管理されておらず、納期遅れは当たり前。あらゆる管理文書がなく、工場の環境も雑然としていました。中にはたばこを吸いながら働いていた社員もいたそうです。

 仕事では必須であるはずの顧客との共通言語もあいまいで、従業員との意思疎通が難しい状況もありました。
 
 特にISOなど品質に関わる知識がないことには、顧客からの信頼が得られないなど今後の経営に大きく影を落とす可能性があると感じていました。

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