ソーセージの名店を第三者承継 クロイツェル2代目が進化させた経営
東京都町田市にあるドイツハム・ソーセージの店クロイツェルは、1992年の創業以来、地元に愛されています。2代目店主の吉岡学さん(58)は外資系製薬会社を辞めた後、2010年に第三者承継で店を継ぎました。大学の同級生と新しいソーセージを開発したり、前職で学んだ生産管理のノウハウを採り入れたりするなど、先代が礎を築いた名店を成長させています。
東京都町田市にあるドイツハム・ソーセージの店クロイツェルは、1992年の創業以来、地元に愛されています。2代目店主の吉岡学さん(58)は外資系製薬会社を辞めた後、2010年に第三者承継で店を継ぎました。大学の同級生と新しいソーセージを開発したり、前職で学んだ生産管理のノウハウを採り入れたりするなど、先代が礎を築いた名店を成長させています。
目次
クロイツェルは町田市の閑静な住宅街にあるドイツ製法の手作りハム・ソーセージの専門店です。平日の昼間もひっきりなしにお客さんが訪れます。
働くのは吉岡さん夫婦とパート従業員が日替わりで7人。ショーケースにはドイツの朝食には欠かせない白いヴァイスブルスト、ボンレスハムの角切りにマッシュルーム、赤パプリカを交ぜてゼリーで固めたシンケンアスピック、国産牛肉の自家製ビーフジャーキーなど40~50品目が並びます。
2代目オーナーとして切り盛りするのが、京都府出身の吉岡さんです。子どものころから理科が好きで「自由研究で下鴨神社の近くに生えているきのこの分類を確認したり、ホルマリン漬けを作ったりしていました」。
微生物と発酵のとりこになり、菌や発酵の研究ができる東京農業大学醸造科学科に進みました。
醸造科学科の学生は卒業後、食品関係の製造業に就くことが多く、2021年度卒業生では約44.4%を占めます。吉岡さんにも当時、精肉大手の研究員の話があったそうです。しかし、選んだのは外資製薬会社でした。
「山登りが趣味だったのでスイスに本社があることにひかれました。製薬会社勤務の父に勧められたこともあります」
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吉岡さんは医師に薬を提案したり、営業したりするMRを7年務め、その後はマーケティング部で、禁煙薬の展開などに12年間奔走したそうです。
転機は突然訪れます。最初のきっかけは京都の幼なじみだったドイツ人の友人の結婚式でした。ドイツでの式に招待してもらい、勤続15年の長期休暇を使い家族で向かいました。
「その友人がいたのでドイツはすごく身近な存在でした。彼が旅行をコーディネートし、車を借りてドイツからスイスまで走りながらビールとソーセージを堪能しました。そのとき家族はみんなドイツを改めて好きになりました」
吉岡さんの仕事にも変化が訪れていました。約12年間マネジャーとして関わった禁煙薬の仕事が一区切りついたものの、次にやりたいことが見えていなかったそうです。
ひとつの大きなプロジェクトが終わって社内で何か仕事を見いださなければならず、競合他社に転職するのも気が引けました。「いっそ、会社をやめて農業をするか」。そんなことを考えていたとき、週刊誌の記事でクロイツェルを偶然知りました。
「出張中、新幹線の席に置き忘れられた週刊誌をパラパラとめくっていたところ、クロイツェルの先代が『脱サラして10年。店は成功しているけど後継者がいないのが悩み』と答えていたんです」
「これだ!」と思った吉岡さんは、出張から帰ってすぐ「お会いできませんか」と先代に連絡しました。
最初は先代から後継者になることを断られました。「インタビューにはそう答えたけど、差し迫っている話ではないから」と言われたそうです。
しかし、吉岡さんは引き下がりません。学生時代にアルプスに遠征し、ドイツでソーセージを食べて感銘を受けたこと、家族で訪れたドイツ旅行でその思いを新たにし、いつかはソーセージを作りたいと思っていたこと。そして、後継者になるのは先でもいいのでハム・ソーセージ作りがしたいと伝えたそうです。「思いを伝えたら意気投合していました」と言います。
「ただ、お店をやるには家族の協力は必須です。『次は奥さんも連れてきなさい』と言われました。妻は大学の同級生で、食品やドイツに興味があること知っていたので『いつかそういうことやると思っていた』という感じでした」
それは、吉岡さんが40歳のときでした。
意気投合したとはいえ、継ぐための手続きは進めなければいけません。第三者継承である以上、先代から店を買い取る必要があります。その価格設定や交渉、さらにハム・ソーセージづくりの修業も必要です。
「金額的にフェアな状態で事業承継したいと思い、大手町の商工会議所や事業をしている友人に、いくらぐらいの金額が妥当か相談しました。しかし、ほとんど前例がないという結果でした。賃貸の店や古い設備には値段が付かないとの回答でした。無形資産が多いため、売り上げをベースに金額を決めることになりました」
クロイツェルの店舗は賃貸のため、別途大家と契約を結ぶことになります。先代から引き継ぐのはブランドや味、ノウハウ、そして既存顧客です。
交渉を始めた2004年当時、無形資産を中心にした事業承継のガイドラインはほとんどなかったそうです。とは言え、金額交渉で時間をロスするのも無駄です。吉岡さんは飲める条件はすべて飲むことにしたといいます。
「話し合いをしたとき、先代は50代後半でした。個人事業で退職金はなく、年金をもらうまでそれなりに期間もあります。折れるとしたら後継者側かなと考えました。見方によっては高い買い物に見られるかもしれません。でも、お客様や(承継の)時間も含めて全部買うと考えたら、それで良かったと思っています」
店の権利の買い取りには退職金と貯金を充てました。銀行融資などは受けず「ほとんど全部払った」といいます。
先代からの条件はもう一つありました。それは3年間の共同経営です。退職後半年間はハム・ソーセージづくりを修業し、先代と一緒に3年間店を運営してから事業承継することで契約書を取り交わしました。これは吉岡さんが仕事に慣れ、多くのお客さんを引き継ぐための期間でした。
そして10年、吉岡さんが44歳のときに先代は引退し、事業承継が成立しました。
約19年間の会社員生活から、ハム・ソーセージづくりの日々が始まりました。最初は巨大な肉の塊を解体するところから始まると考えていたそうですが、実際は部位ごとに分けられ、骨も外された状態で精肉店から届くことに驚いたそうです。
先代が10年以上、ハム・ソーセージを作ってきたバックヤードは体に負担がかからない動線になっていました。
「スポーツを色々やっていたので体は思っていたよりきつくなかったです。ただ共同経営の3年が終わって人を雇うまでの期間は、ハム・ソーセージづくりをすべて1人でやっていたので大変でした」
事業承継後の経営は順調にスタートしました。もともと根強いファンがいて、先代の引退を残念に思う人は多かったものの、吉岡さんが店を継ぐことは歓迎されたそうです。
吉岡さんは「味が落ちた」と言われるのが嫌だったといいます。原材料や製法など、できるものは全部改良することにしました。
「味を継いでそのままにするのではなく、よりおいしくしたいという動機なら改良してもいいと考えました。『ドイツの本物』というコンセプトは変えていませんが、ドイツの技術進化に合わせてアップデートしています」
「たとえば脂肪分を気にするお客様が増えてきたので、脂の比率を下げて赤身を増やしました。また、ソーセージによって使用する肉の部位を細かく分けるようにしています。スモークチップのブレンドも試行錯誤し、改良しています。もちろん、良かれと思ってやって不評だったこともあります。それはもとに戻しました」
吉岡さんは新メニューの開発にも力を入れています。最初に手掛けたのがオリジナルのマスタードです。
実は日本で流通している粒マスタードはドイツソーセージとの相性がよくないそうです。そこで、ドイツソーセージにフィットするマスタードを作り出しました。現在、7種類をそろえています。
また、宮崎県都城市のしょうゆメーカー・ケンコー食品工業と、国産の豚肉を発酵させた「肉醤油」を使ったソーセージを共同開発しました。同社代表の吉田努さんは大学の同級生という縁がありました。
15年ごろに始まった熟成肉ブームを機に、吉岡さんが酵素で何かできることはないか考えていたとき、食品関係の展示会で吉田さんと偶然再開したのです。
「彼もこうじと宮崎牛で何かできないか考えていて、じゃあ一緒に作ろうと盛り上がりました。なかなかうまくいかず、途中で1回やめたり、東京農大の教授に相談したりして、最終的に5、6年ぐらいかかりました」
完成した「肉醤油ブルスト」と「TOKYO Xプレミアム肉醤油ブルスト」は、20年度にドイツの食品コンテストで金賞に輝き、クロイツェルを代表する商品の一つになりました。
事業承継から12年。クロイツェルの売り上げは順調に伸び、退職金と貯金をはたいた店の購入資金も回収済みといいます。
吉岡さんは売り上げを継続的に伸ばす方法を、会社員時代の外国人上司から学びました。
「マーケティング部門にいたとき、売り上げと利益を両方上げろと言われました。両方は無理ですと答えたのですが、『そのためのコツは投資だ』と教えられました。投資をすれば売り上げが上がり利益が出る。利益が出たらまた投資をするんです。その考えをクロイツェルに応用し、店をきれいにしたり、機械を新しくしたり、新商品を開発したりして売り上げを伸ばしました」
もう一つ大事にするのが徹底した在庫管理です。手作りのハム・ソーセージは原価率が高いため、生産量の管理が重要です。しかし、生産量を絞って在庫が足りなくなると、今度は売り上げの機会を損ね、顧客満足度が低下します。
そこで吉岡さんは、前職時代に培った生産管理の手法をクロイツェルでも採用しています。
「生産管理にはローリング計画という手法を使っています。決まった期間内で生産量と在庫を確認し、次の期間の生産量を決める手法です。これをうちは1週間という期間でやっています。全商品どれだけ売れたかをPOSデータを元にエクセルで作ったプログラムに入力することで次の生産計画がスマートに立てられます」
さらに「どれぐらい在庫を持つかを測る安全率という指標も細かくみています」と言います。
例えば、安全在庫がゼロになればすぐに欠品になってしまいます。まとめて購入されたら安全在庫が無くなるので、急いで仕込む必要があります。一方、在庫が多すぎると今度は鮮度の問題が生じます。そのギリギリを見極めるためにも、安全率は重要な指標になります。
この手法を使うことでロスと機会損失をなくし、売り上げの最大化を目指しています。
名店を継いだ吉岡さんが大切にするのは、おいしさの追求と新商品の開発です。それを支えるのは微生物や菌への飽くなき興味と、前職で身につけたビジネススキルでした。
吉岡さんは先代が店を譲ったときと同じ50代後半になりました。しかし、まだまだ現役でハム・ソーセージを作り続けています。
27歳になる息子さんとはまだ事業承継については話していないそうですが、同じ東京農業大学の畜産学部に進学し、食肉加工の勉強をしたあと、食品会社で働いています。吉岡さんが店を継いだのが44歳。将来の話をするのはまだ少し早いかな、と思っているそうです。
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