コロナ禍で温め続けた女性限定サウナ企画 変化続けるホテルニューニシノ
鹿児島のサウナの代表的存在として知られる「ホテルニューニシノ」(鹿児島市千日町)。経営する「ニュー西野ビル」代表取締役で4代目の西野友季子さん(52)は、2020年9月から男性専用だった大浴場とサウナで「レディースデー」を始めました。人気の秘密はサウナだけでなく、この日しか味わえない料理が出される「湯上がり食堂」などのイベントにもあります。持ち前の企画力で次々挑戦する友季子さんが心がけていることを聞きました。
鹿児島のサウナの代表的存在として知られる「ホテルニューニシノ」(鹿児島市千日町)。経営する「ニュー西野ビル」代表取締役で4代目の西野友季子さん(52)は、2020年9月から男性専用だった大浴場とサウナで「レディースデー」を始めました。人気の秘密はサウナだけでなく、この日しか味わえない料理が出される「湯上がり食堂」などのイベントにもあります。持ち前の企画力で次々挑戦する友季子さんが心がけていることを聞きました。
目次
南九州最大の繁華街・歓楽街として知られる鹿児島市の天文館(てんもんかん)のアーケードを抜けた先の銀座通り。ここでホテルニューニシノは、鹿児島のサウナの代表的存在として古くから男性客に愛されてきました。
近年のサウナブーム、ドラマ化された漫画「サ道」の人気が後押ししてメディアの取材が増え、県外からの利用客も少しずつ増えています。
大浴場とサウナは男性専用のため、ホテルニューニシノの利用客の8割は男性です。サウナブームにより、コロナ前、20〜40代の利用客と50代以上の利用客の割合は3:7だったのが、今では7:3に逆転しています。
ホテルニューニシノの創業は1918(大正7)年。経営する「ニュー西野ビル」の4代目社長、西野友季子さんの父方の曽祖母・シオツルさんが始めた「西野旅館」が前身です。
初代シオツルさんは鹿児島県南九州市知覧町の出身です。1914(大正3)年 から、馬車で鹿児島市に出てきた知覧在住者が泊まる宿「知覧問屋」を役場から任されていたようです。
友季子さんが南九州市役所で調べると、さらに次のようなことがわかりました。
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「1918(大正7)年、曽祖母が知覧問屋を(役場から)買ったようです。1990(平成2)年8月10日付の南日本新聞夕刊の連載『かごしま昭和回り灯ろう』によると、西野旅館は2階建ての建物で、『知覧方面の乗合馬車の発着所になっており、知覧問屋とか馬車問屋と呼ばれた』とあります」
友季子さんがニュー西野ビルに入社したのは2009年のことです。
「大学とホテルの専門学校を卒業した弟が先に入社していましたので、私が入社しなくてもよかったのですが、そろそろ手伝ってみようかなとあまり深く考えずに入りました」
入社後はフロント業務を中心に、現場の仕事を少しずつ経験して覚えていきました。入社前に携わった情報誌制作の経験を活かして、外注していたポップや広告の制作も自社で行うようになりました。
「経営者の娘だから、と特別な目で見られるのは嫌だなと思い、フロント裏の従業員のスペースに席を置いてもらいました。現場を知りたいし、みんなとコミュニケーションを取ることから始めたいと思ったからです」
入社してしばらくしたころ、友季子さんは「スタッフそれぞれの好きなお店を出し合ってまとめてみましょう」と社内で提案したことがあります。
フロントには、「おすすめのお店を教えて」という利用客からの問い合わせが寄せられます。スタッフのおすすめを整理して情報提供すれば利用客に喜んでもらえると考えたのです。ところが、情報は思ったほど集まりませんでした。
「そのとき当時の支配人から『みんな楽しくないんじゃないですか?』と言われたんです。グサッときましたね。良かれと思って提案したのですが、現場のスタッフとの間の温度差を感じました。私はわりと思い立ったら行動するタイプです。頑張らなきゃという意気込みで突っ走ってしまって、スタッフのみんなに提案の目的や思いを伝えきれていなかったのかもしれません。コミュニケーションの大切さを考えさせられたできごとでした。今でもふと、この支配人の言葉がよみがえってくることがあります」
「だから新しいことを始めるときは、なぜそれをするのかをスタッフに説明することを心がけています。スタッフには社長室のドアに在室のマークがあるときは入ってきていいよと伝えているので、何かあれば意見を言いにきてくれるし、自分から現場に行って『何かない?』『先日のイベントで気づいたことはあった?』と聞くようにもしています」
友季子さんはその後、社内外で新しい取り組みを積極的に進めていきました。2011年には地元ホテルの宿泊者増加につなげられたらと、鹿児島県ホテル旅館組合青年部に所属する宿泊施設とともに、鹿児島県漁連と連携して「かごしま魚市場ツアー」を開始しました。
ホテルのオリジナルキャラクターの復活にも取り組みました。
ある日、クリーニング用の袋だけに残されていた髭のあるおじさんのキャラクターに気づいた友季子さん。父・憲保さんに聞いたところ「それはホテルのキャラクター」だとの答えが返ってきました。キャラクターをよみがえらせようと友人にデザインを起こしてもらい、ホームページや看板を皮切りにサウナグッズなどへと展開しています。
ほかにも、人気のデザインチーム「ランドスケーププロダクツ」にディレクションを依頼して2つの客室をリフォームすると、男性向けファッション誌に取り上げられたこともあります。
次々とアイデアを実行する友季子さん。
「売上や集客は重要ですが、それだけを追求すると現場も私も余裕がなくなってしまいます。一番大事なのは、お客様にニューニシノを知って楽しんでもらうこと。それがゆくゆくは売上や集客につながる、楽しいことをしていたら人が集まってくると考えて、いろいろな企画を立てて実行しています」と話します。
2016年、3代目社長で父の憲保さんに病が見つかりました。母の寧子さんがピンチヒッターとして社長となり、さらに次の代に引き継ぐ準備を始めました。寧子さんの提案は、弟の誠晃さんではなく、友季子さんを次期社長に、というものでした。
寧子さんはその理由を「友季子は15年も外で仕事をしてきて鍛えられていましたし、人とのつながりが豊富だったので」と話します。
友季子さんはこの提案を聞いてどう思ったのでしょうか。
「弟がいるのになんで私? と思いました。社長になることは考えてもいませんでしたし、私は裏方の仕事が好きだったので戸惑いました。でも母は、今は私のほうがいいと言うし、弟も了解したようだったので頑張ってみようと。ここまで曽祖母、祖父、父が築き上げてきた歴史を守っていきたい気持ちもありました」
2016年、友季子さんはニュー西野ビルの4代目社長に就任。憲保さんは翌年、76歳で亡くなりました。現在、母の寧子さんは会長として、弟の誠晃さんは専務としてホテルニューニシノを支えています。
「母は県外に車で行くほど元気で、今もホテルに頻繁に顔を出して周辺のごみ拾いからお取引先との打ち合わせまでしています。弟は経理担当として銀行との交渉をしてくれるし、設備の修繕も自分でできてしまうほど得意です。私は弟とともに経営にあたるほか、PRや 対外的な役割を担っています。家族で役割分担ができているので、いいチームになれていると思います」
2020年3月15日の日曜日、友季子さんはホテルニューニシノで初めて、大浴場とサウナの「レディースデー」を開催する準備を進めていました。
友季子さんは、これまで女性客がフロントで大浴場とサウナを利用できないとわかり、愕然とする様子を何度も見てきました。そのたびに申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
そんなことが何度もあり 「ニューニシノの温泉とサウナを女性のお客様にも入っていただけるようにしたい」と考えるようになっていきます。
2019年11月、レディースデーのきっかけとなるできごとがありました。
鹿児島のアートイベント「ash design & craft fair」にホテルニューニシノが参加した際、大浴場とサウナを混浴にして楽しむイベントを提案されたのです。
「アーティストの岡本亮さんから『せっかくだから温泉のこともアピールしましょう。混浴のイベントをしてみませんか』と提案いただいたときは、いきなり混浴なんかして大丈夫かな、と思いました。でもお任せしてみたら、とてもいいイベントになったんです。水着で男女が混浴してサウナを楽しんで、格好良くデコレーションされた食堂で飲食を楽しんでくれて。それで思い切って、レディースデーも企画してみることにしました」
2020年3月15日を「レディースデー」の日と決め、友季子さんは準備を進めていました。しかし、新型コロナの感染が拡大し、大々的な集客が難しい状況になりました。
そこで、当日は西野さんの親しい友人だけでプレイベントとしてひっそりレディースデーを実施しました。このとき友季子さんも初めて、家業のホテルの温泉とサウナを体験することができました。
「温泉は泉質も温度もいいし、2つのサウナも温度と湿度がほどよく落ち着けて、想像以上の気持ちよさを味わいました。プロの熱波師(ロウリュウの後にタオルを使ってあおぎ、熱風を送るパフォーマンスをする人)の五塔熱子さんをお招きしてアウフグース(ロウリュウの後に蒸気をタオルであおぐこと)をしていただき、湯上がりには鹿児島出身のメイクアップアーティスト・ヒラノマリナさんがプロデュースする化粧品を提供して使っていただきました。 お肌ピカピカになった女性たちがビールを飲みながら食堂でわいわい楽しんでいる光景は本当に素敵でした。状況が落ち着いたらまた開催しようと気持ちが固まりました」
その後、コロナ禍によってホテルニューニシノの4、5月の客室稼働率は15%にまで落ちました。コロナ前の月の平均客室稼働率は65%以上だったため、かなりの痛手だったことがわかります。その後も感染状況によって客室稼働率は上下し、最終的な2020年の客室稼働率は30%ほどになりました。
2020年9月、感染状況が落ち着いたのを見計らって友季子さんは本格的にレディースデーをスタートさせました。以来、毎月1、2回の開催を続けています。
女性が大浴場とサウナを利用できる時間は14時〜20時の6時間。この間に毎回40~60人ほどと、男性専用の通常時と遜色ない人数の女性客が訪れています。『月一のご褒美』として毎月訪れる常連客もいます。
2021年にテレビや雑誌でホテルやレディースデーのことが頻繁に取り上げられたためか、県外から女性客が訪れるようになりました。
現在、レディースデーでは友季子さんが熱波師となり、アウフグースをしながら自身も楽しんでいます。
「毎回プロをお呼びするのは経費の面で難しいので、他にする人がいないのなら自分がするしかないと思いました。YouTubeを見ながら練習したり、外のサウナ施設でアウフグースを受けて勉強したりしています。技術はまだまだですが、常連のお客様から『うまくなってきたよ』とお言葉をいただくとうれしいですね」
レディースデーに合わせて、鹿児島の飲食店や生産者とコラボレーションするイベントも開催しています。これまでに韓国料理、フランス料理、メキシコ料理など各国料理の店と協力して、脱衣所前の「湯上がり食堂」でこの日しか味わえないメニューを提供してきました。桜島大根やボンタン、黒豚、緑茶、焼酎、ジビエなど、鹿児島の特産品の生産者とのコラボも積極的に行っています。
「温泉とサウナだけでも楽しいのですが、そこに少しのスパイスを加えることでもっとお客様に楽しんでもらえたらと思っています。女性だけが大勢集まって過ごすことはなかなかありません。いろいろな職業の女性がレディースデーをきっかけにつながって、そこから何かが生まれたり、広がったりしていったらうれしいですね。出店してくださる皆さんにも、新たなお客様との交流やつながりを楽しんでもらいたいと思っています。現場のスタッフも、女性客が温泉やサウナを喜んでいる声を直接聞いて『忙しいながらもやってよかった』『お客様が多くてうれしかった』と言ってくれています」
2023年、西野旅館の創業から105年を迎えました。
ホテルニューニシノの客足は徐々に戻ってきています。政府が実施する全国旅行支援をはじめ、県や市の旅行支援もあり、最近の客室稼働率は約90%とコロナ禍前より好調です。それに加え、先代の時代からの従業員が多く、年齢層が高いこともあり、人手不足に悩むようになっています。
「全国旅行支援などの事務処理が非常にアナログなため、スタッフの負担が増しています。まずは、SDGsの観点からも連泊のお客様の掃除を減らしたり、アメニティを各部屋に置かずにフロントに集中させたり、サウナのタオルを三つ折りにしていたのをやめたり。そうした小さなことの積み重ねにより生まれた時間で別の仕事をして省力化・効率化を図ろうとしているところです」
鹿児島市は県庁所在地の中で日本一の泉源数を誇るまちです。しかし、後継者問題や設備の維持・改修に費用がかかることなどから年々街中の温泉が減っていることを友季子さんは危惧しています。だからこそ、街中で湧くホテルニューニシノの温泉をもっと地元の人たちに楽しんでもらえるようにしたいと考えています。
「女性も含めて、地元の人がもっと温泉を楽しめる場をつくっていきたいですね。鹿児島市内では今後、外資系を含め新規ホテルの建設計画がいくつもあります 。私たちは時代の波に乗って変化しながら歴史をつないでいきたい。簡単にはいきませんが、もっと温浴を充実させられないか。創業の地でニューニシノを守り続けていくにはどうすればいいか。難しくても、考えながら変化し続けて、これからも地元の人々に愛されるホテルニューニシノであり続けたいと思っています」
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