目次

  1. 社長2年目から構想を持っていたオリジナルプロダクツ
  2. 外部デザイナーとタッグ 新ブランドを立ち上げ
  3. 社員の子どもが「学校で自慢してくるわ」
  4. コロナ禍で海外進出ストップも「結果的に良かった」
  5. 世界最大級の見本市「アンビエンテ」に初出展
  6. 「Amazing!」「Wow!」飛び交うブース
  7. 海外の展示会「ビジネスカードの価値が重い」
  8. 交換したビジネスカード200枚 商談も2件成立
  9. Made in Japan、今なお信頼感

 ゴム材料商社として創業した錦城護謨は、戦後、メーカーとしてものづくりをスタートしました。今では家電製品から自動車、スポーツ用品、医療機器まで、年間約5000種類のゴム部品を製造・販売しています。

 さらに土木や福祉事業も展開し、社員数は287人、2022年度の売上は68億円にのぼります。

世界的な大会で水泳選手が使うスイミングキャップやシェア50%を誇る国内メーカーの炊飯器のゴムパッキンなど、多くのゴム製品や部品を製造している工場

 2002年に家業に戻った太田さんは、リーマンショックの真っ只中の2009年10月、36歳で代表取締役に就任しました。父から社長交代を告げられてから約1ヵ月しかなかったこともあり、「最初の1年は大変でしたね。“借りてきた社長”のようでした」と振り返ります。

 2年目から、太田さんは自分の考える経営を進めました。中でも力を入れたかったのは、オリジナルプロダクトの開発です。そこには、2つの理由がありました。

 「1つ目は、対外的に当社のことを知ってもらうためです。我々はBtoBの会社なので、作った部品がどの製品に使われているかを話せません。“陰で支える錦城護謨から見える錦城護謨へ“という思いがありました」

 「2つ目が大きな理由だったのですが、インナーブランディングのためです。当社は多くのゴム部品を作っているので、社員の中には自分が今作っているものが何に使われているのか分からない人もいました。だから、仕事が “作業”になってしまっていたんです」

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