大館曲げわっぱの歴史は古く、2000年も遡ると言われています。天然の秋田杉を使って木こりが曲げ物の器を作ったのが始まりで、江戸時代には武士の内職として栄えました。まっすぐな木の板を湯で煮て柔らかくし、丸太に沿わせて曲げていく「曲げ加工」が特徴です。美しい曲線に丸めて、きれいな弁当箱を組み上げるには高い技術が必要で、国の伝統的工芸品にも指定されています。
丸いやさしい形や美しい木目、杉のすがすがしい香り、手に持ったときの軽さなどが特徴で、近年、若い人たちの間でも人気が高まっています。特に弁当箱は人気があり、インスタグラムなどには、わっぱ弁当の写真があふれています。
曲げわっぱには食材を美味しそうに見せるだけでなく、美味しく保つ効果もあります。炊き立てのご飯を「おひつ」に入れると余分な水分を吸湿して、 中の湿度をうまく調整し、べとつかずパサつかず冷めてもふっくらとしたご飯を食べることができます。
柴田慶信商店の製品は、塗装を施さない「白木仕上げ」と呼ばれる、木地そのままの仕上げが特徴です。中性洗剤で洗えるウレタン塗装を施した製品も多く出回っていますが、同社は白木仕上げの製品にこだわっています(適材適所を踏まえ、カップ類など飲み物を入れる器には、一部ウレタン塗装を施しています)。
「先代である父が、ウレタン塗装の弁当箱に詰めた弁当を食べたとき、塗装の臭いで食べることができなかったのです。それから、『ご飯を入れる器は白木でなければ』と、こだわって製作しています」
「白木の製品は香りがいいだけでなく、ご飯の水分を程よく吸収してべちゃっとならず、時間がたっても美味しいんです。また、杉には抗菌作用があって、ご飯が傷みにくいんです。ウレタン塗装のものでは、こうはいきません」
自分たちでお客様の手に届けたい
先代である父の慶信さんが曲げわっぱの世界にはいったのが1964年。それまで営林署(国・公有林の管理・経営にあたった役所。1999年に廃止、森林管理署に改組)に勤めていましたが、曲げ物の歴史を友人から聞いて興味を持ち、退職します。その後、独学で製作方法を学びました。
曲げわっぱを買ってきては分解したり、国内外の様々な用途や形の曲げ物を集めたり、試行錯誤を繰り返しました。世界中から集めた曲げ物は百数十種類にものぼります。その一つ一つが「師匠」であると慶信さんは語ります。
そんな父の姿を見て育った昌正さん。遊び場は工場でした。
「小さな頃から『曲げわっぱを作ろう』と決めてましたね。継ぐとか継がないとか以前に。大学卒業後は父の勧めもあり、外で2年間働いて、24歳のときに工場に戻ってきました」
ところが、当時の経営状態は厳しいものでした。販売を問屋任せにしていたぶん、利幅が薄く、将来的に職人たちを雇い続けられるか、不安な状況でした。また、販路も自分たちで決められません。
「これでは、いくらいいものを作っても、お客様の手元に届かない」。
こうした状況を変えようと、2009年に日本橋三越本店内に常設店をオープンしました。先代が百貨店でたびたび行ってきた実演販売が、実績として認められたのです。
いっぽうで、出店準備の最中には、百貨店から撤退する会社が後片付けをしているところも目にしました。
厳しい現実を目の当たりにし、「我々もいつかは常設店を閉めざるを得ないかもしれない」と感じた昌正さん。その危機感から、さらなる店舗展開に踏み切ります。翌2010年には、浅草の雷門近くに、初の路面店となる浅草店をオープンしました。
「『家賃を何十万も払っていけるだろうか』という不安はありましたが、お客様に直接お届けするという夢が叶いました」
浅草という土地柄ゆえ、外国人観光客も多く訪れます。これまで曲げわっぱを知らなった人たちにも、店舗を通じて広くアピールすることができるようになりました。
お客様との嬉しい交流もたくさんありました。
東日本大震災直後に店を訪れた人から、「こういう時だからこそ、買いにきました」という温かい言葉をかけてもらい、「一生懸命やっていれば、応援してもらえる」ことを実感したそうです。
現代の生活に合う製品を
2010年、昌正さんは代表取締役に就任。36歳のときのことです。
先代は「(自分が)元気なうちに失敗すればいい。失敗したら2人で力を合わせればやり直せる」と昌正さんの背中を押しました。
「父の言葉はとても心強く感じました。将来の不安よりも、これからの展開が楽しみで、期待のほうが大きかったです」
時代は変化し、経営にはデジタルが欠かせなくなりました。昌正さんは新しいツールや技術を取り入れ、SNSでの発信などPR戦略にも力を入れていきます。
製品開発にも新しい風を取り入れました。
「現代の生活に合う製品を作りたい」と、手工業デザイナーの大治将典さんとともに、新しい曲げわっぱを開発。試行錯誤の末に、白木の特徴を生かしたシンプルなデザインの「パン皿」と「バターケース」ができあがりました。
パン皿は、焼きたてのトーストの蒸気を吸い、最後までカリッと美味しく食べることができる優れもの。バターケースは、冷蔵庫で保存してもバターを適度な固さに保つことができる、使い勝手のよい製品です。
「デザインに凝ったり奇をてらったりするのではなく、杉の木の効能と使いやすさを考えたシンプルな製品です。余分なものを削ぎ落して生まれました」
この製品開発には、先代が収集した曲げ物が大きく関係しています。
慶信さんがチベットの民家で手に入れた「バター入れ」は、親子3代で使用されたものでした。丈夫で長持ちする曲げ物が、新しい日用品のヒントとなったのです。
こうして完成したパン皿とバターケースは、2011年にグッドデザイン賞を受賞。メディアにも取り上げられて売上を伸ばし、新たな定番商品の一つとして定着しました。
その後も、「タンブラー」や「臍帯(さいたい)箱」など、従来の曲げわっぱの枠にとどまらない商品を次々と開発していきます。2021年には、樹齢約200年の天然秋田杉を使った「シャンパンクーラー」を製作し、全国伝統的工芸品公募展に出品。内閣総理大臣賞受賞という快挙を成し遂げました。翌年も、「手洗い鉢と壁掛け鏡」が同展で入賞。こうして昌正さんは、柴田慶信商店の技術力と存在感を、着実に広めていきます。
地元にオープンした交流の場
2019年、大きな取り組みがスタートします。
JR大館駅からほど近い2階建てのビルをリノベーションし、複合施設「わっぱビルヂング」をオープンしました。
1階は、柴田慶信商店のショップとギャラリー。その隣には、コーヒーやスイーツが楽しめるカフェ。2階は、シェアオフィス、コワーキングスペース、コミュニティサロンとなっています。
「いろいろな年代、目的の人が気軽に楽しめて交流できる場所です。地元の賑わい創出の場として活用してほしいと計画しました」
実際にこのビルができてから、近隣に飲食店や観光施設ができて、賑わいが生まれたそうです。国内だけでなく海外から大館に足を運んでくれる観光客も増え、交流人口は増加しました。
1階のショップ&ギャラリーでは、さまざま取り組みを展開しています。
数々の曲げわっぱが並ぶショップの隣には、製作体験などができるワークショップスペースを設けています。木槌やのこぎりなどの職人道具を使い、弁当箱やパン皿などを作ることができ、子どもたちのグループや海外からの観光客など、これまでに多くの人が製作体験をしています。
先代の慶信さんが集めた国内外の曲げ物を鑑賞できる「世界の曲げ物ミュージアム」も併設しています。チベットのバター入れや、ドイツの貴族の帽子入れ、フランス・ナポレオン時代のマスなど、珍しい曲げ物が並んいます。
同社の公式サイトには、「この曲げ物たちは、柴田慶信にとっての師匠であり、デザインや創造の大きなヒントをくれる先生にもなりました。弟子にもつかず、曲げ物の技術を習得するには、先人たちの作った曲げ物は柴田慶信にとっての道しるべとなりました」と記されています。
独学で学んだ慶信さんの師(世界の曲げ物)が、訪れた人を楽しませています。
海外の方にも直接、手に取ってもらいたい
海外に向けた取り組みにも力を入れています。
2012年に訪問したフランス・パリでは、レストランでの製作実演のほか、曲げわっぱを使った実食イベントを開き、現地の人たちに実際に商品を使ってもらいました。
美しく設えたBENTOと器の香りに、パリっ子も魅了されました。
その後も、イタリア・ミラノサローネへの出展や、アメリカ・サンフランシスコでのワークショップなど、海外での活動を精力的に行っています。
「いいものを作っても、それを知ってもらうのは難しい」
昌正さんは自ら海外に出向き、多くの人に直接、曲げわっぱの魅力を伝えています。
大館の活性化に向けて
経営についての課題について尋ねると、「前進あるのみなので、将来が楽しみです」と昌正さん。あくまでも前向きです。
現在、浅草店は移転のため一時閉店していますが、大館曲げわっぱの魅力を伝える施設を都内で新たに計画しているそうです。
「地方の小さな工場で一生懸命作ったものを、東京や海外で多くの人に手に取ってもらい、大館のことを知ってもらって、ひいては大館に足を運んでもらいたいと思っています」
思いは自社の商品を通して、地元の活性化に及びます。
「日本でも、まだまだ『大館曲げわっぱ』を知らない人は多くいらっしゃいます。海外ではなおさらです。でも、『知らない』は伸びしろ。多くの人に知ってもらえるよう一生懸命伝えていきます」
伝統工芸を受け継ぎながら、新たな試みに果敢に挑む昌正さん。次の一手に向けて、わくわくしながら取り組んでいます。