目次

  1. ニーズに合うパン粉を製造・販売
  2. 顧客の悩みと望みから逆算
  3. 修業時代に学んだこと
  4. 「人生で一番うまいとんかつ」を
  5. 経営塾講師の目の色を変えた一言
  6. ポジションを明確化して発信
  7. 「作る×売る×サービス」を提供
  8. コロナ禍で事業承継を決意
  9. テイクアウトに強いパン粉を武器に
  10. 弟と開発した「黒いパン粉」

 中屋パン粉工場は、中林さんの祖父・幸雄さんが1955年に中屋商店として創業。近隣の商店街で総菜パンを販売しました。周りの飲食店から「パンの耳が欲しい」という要望が相次ぎ、幸雄さんはパン粉製造に特化した会社を設立します。現在は従業員34人で、年間約2070トンのパン粉を製造。直近の年商は3億8千万円です。

 同社のパン粉づくりは、専用のパンを焼くところから始まります。「原材料、製法、パン粉の大きさの違い、パン1斤の耳を何面カットするのか、生パン粉か乾燥パン粉か。全ての条件をかけ合わせると理論上は4千種類を作れます」

 その中から顧客ニーズに合う約50種類のパン粉を製造。中でもパンの白い部分のみを使用した「ホワイトフレッシュ特製生パン粉」は、豊富な種類をそろえ、顧客は理想の味や食感、揚げ色を多彩に表現できます。

 取引先はとんかつ店や給食センター、総菜店など約900社で、97%が直販です。「メーカーが販売まで一貫して担うことで、顧客に最適なパン粉を提案できます」

パンを焼くところから製造を始めています(中屋パン粉工場提供)

 創業以来不変の経営理念は「自社のパン粉でお客様の悩みの解決と望みを実現すること」。「とんかつをもっとおいしくしたい」、「パン粉の選び方がわからない」といった顧客の悩みや要望を丁寧にヒアリングし、解決につながるパン粉を製造・販売します。

 「顧客ターゲットは、スキルとモチベーションが高い飲食店オーナーと料理人です」

中屋パン粉工場のパン粉を使ったとんかつ(同社提供)

 パン粉に高い意識を持つ顧客はとんかつ店が多く、取引先でも高い割合を占めます。「とんかつを1番おいしい状態で提供する。このゴールから逆算してパン粉を作ります」

 中林さんは幼いころから家業を見て育ちました。「2代目の父(現会長)や周りから継ぐように言われた記憶はないけれど、長男だからいつかは継ぐと思っていました」

 音楽が好きで、大学時代はライブハウスで働きながら大手飲食チェーン店のアルバイトを掛け持ちします。音楽業界への就職も考えましたが「音楽はやり切った感があった」ため、卒業後は椿屋珈琲などを展開する東和フードサービスに入社。「いつか家業を継いだ際に役立つかもと思いました」

中林さんが小学5年生の時、チラシの裏に書いた「経営計画」(同社提供)

 中林さんは同社の喫茶部門で約4年間勤めた後、2005年からとんかつ店で1年間下積みをしました。「当時からとんかつ店の顧客が多く、ビジネスモデルを知りたかった。収益化の仕組みだけでなく、調理技術や素材も学びました」

 06年、家業に入社するとまずアルバイトとして経験を積みます。「朝5時からパン粉を造って少し仮眠をとり、8時から配送に回る日々が1年ほど続きました」

 入社して2~3年が経過すると、中林さんは経営状況が芳しくないことに気付きます。「赤字ではないけれど、利益もほぼない状態でした」

 要因は安い価格設定と取引先の固定化です。当時の取引先数は450社で今の半分でした。中林さんはルートセールスも飛び込み営業も行いましたが、営業経験がなかったこともあり、売り上げは伸びません。

中林さんは自社のパン粉の強みを再定義しました

 30代半ばに差しかかった16年ごろ、代替わりを意識し「そろそろもうかる会社にしないとマズい」と危機感を強めます。アクションのきっかけは、東京・高田馬場の取引先のとんかつ店に、妻を連れて行ったことでした。

 持病があり食の細かった妻が特ロースカツを完食し、「今までの人生で一番おいしいとんかつ」と言われました。そのとき中林さんは「一生をかけてやる仕事はこれだ」と決意したのです。

 「うちのパン粉で、誰かにとっての『人生で一番うまいとんかつ』を日本中に作り出したい」

 中林さんは営業や経営の基本を学び直すため経営塾に入ります。ただ、講師の前で毎回プレゼンテーションしても「パン粉へのこだわりを熱心に話しているのに、聞き手はいつもつまらなそうな顔でした」。

 そんなある日、プレゼンに顧客の話を織り交ぜたところ、聞き手の表情が一変します。

 「取引先にはミシュランガイドのビブグルマンに選ばれたとんかつ店が複数あります。『ミシュラン掲載とんかつ店の4割がうちのパン粉を使っている』と言ったら、講師陣の目の色が変わりました」

 10年代、同誌にとんかつ店が初登場すると、同社のパン粉を使うとんかつ店が掲載され続けました。しかし、中林さんは「わざわざ客先や経営塾で言うことでもないし、恥ずかしい」という抵抗感から、特にアピールしていなかったのです。

 プレゼンで自社の強みに気づいた中林さんは、ブランディングの大切さを実感します。「飲食業界でのポジションを明確化し発信しなければ、顧客には届かない」

 早速、営業トークで有名店との取引実績を話すと、相手のリアクションが明らかに変わりました。

 「過去に門前払いされた飲食店も話を聞いてくれるようになり、徐々に注文が増えました。パン粉の値上げを提示しても『有名店と同じメーカーのパン粉なら』と納得してくれました」

 中屋パン粉工場は値上げと新規顧客獲得に成功。取引先は飲食店を中心に年間約40件ずつ増えていきます。

 中林さんには「単に値上げするだけでなく、付加価値を提供できるメーカーになりたい」という思いがありました。

 かつて企業の喫茶部門で働いたとき、コーヒー豆の仕入れ先だった大手メーカーから、コーヒーの淹れ方や素材の知識を定期的に教わりました。「メーカーはただの物売りではいけない。『作る×売る×サービスする』の3本柱を提供できると強いと思い、家業に生かしたかった」

 中林さんは3本柱の実現に向け、顧客へのヒアリングを重ね、食材の勉強に励むうち、「とんかつ店よりも僕らのほうがとんかつに詳しくなっちゃった」といいます。

 「以前はお客様のニーズやウォンツを満たすパン粉を目指していました。でも、おいしいとんかつは、パン粉だけではできません。油、温度、火入れ、肉の選定、筋切りなど全てが大事。どんな料理人のパン粉のリクエストにも応えられるよう、食材を勉強し、知識を蓄え、その結果として提案ができるまでになりました」

ずっしりと積まれたパン粉

 油切れのよいパン粉を探している、パン粉に合う油脂の選び方がわからない、揚げ物の衣がはがれてしまう…。同社のホームページではそんな悩みに答える商品の情報を提供しています。

 中林さんの顧客伴走型提案は、とんかつ店を新規開業する経営者や料理人に刺さりました。オープン前からメニュー開発に携わる店も増え、軒並み繁盛店となります。

 「今やミシュラン掲載とんかつ店の8割がうちの顧客です。中には開業前から関わった店もあります。ここまで顧客と密な関係を築けたパン粉メーカーは、僕らだけかもしれません」

中林さんは提案型のスタイルで顧客倍増を実現しました

 19年度には年商約3億3千万円を達成。顧客数は入社当初から倍増しました。20年東京五輪開催を控え、インバウンド需要を期待していましたが、コロナ禍で状況は一変します。

 「まずは大手飲食チェーンからパン粉の仕入れがストップし、大手にならうように個人店も続々と休業。毎日のように仕入れを中断する電話がきました」

 同社の取引先は9割が飲食店です。「飲食店にターゲットを絞ることでブランディングには成功しましたが、コロナ禍では逆に窮地に陥りました」

 中林さんは「これは時代の転換期。僕がかじを取って乗り切る」と決心。20年、3代目の代表取締役に就任しました。

 感染拡大が第1波、第2波と続くうち、中林さんはあることに気づきます。

 「とんかつ店はランチタイム中心に収益を上げるスタイル。メニューも定食がメインで、酒類の売り上げには依存しません。飲食業全体がコロナの影響を受けても、とんかつ店は比較的安全ではと思ったのです」

 予想は的中し、昼時のテイクアウトや在宅勤務者のデリバリー需要が急増。とんかつをメニューに加える居酒屋や飲食店も増えました。そこで打ち出したのが「テイクアウトに強いパン粉」です。

 「常時販売する約50種類の中には、料理の持ち歩き時間や湿度による変化を計算して作ったパン粉がありました。この商品はパン粉自体の味が強く、揚げ色も濃く出ます。食べるまで間が空いても、衣の色がしっかりして見栄えもいい。甘みのある衣は単品で食べても印象に残るため、テイクアウト料理に向いています。このような特性をプッシュし、弁当や総菜用に売り込みました」

 首都圏の一斉休業を受け、山口県の鮮魚店から「お総菜メニューを増やすから、いつもより多くパン粉を仕入れるよ」と言われるなど、地方の顧客にも助けられました。「本当にありがたかったです。お客様に助けていただき何とか乗り切れました」

23年8月、パッケージをリニューアルしました(同社提供)

 20年は当面の運転資金と一定数の注文は確保しながらも、週の半分は休みという状況でした。「雇用不安から、従業員の雰囲気が暗いのも気がかりでした」

 製造ラインに空きがあるのを好機と捉え、弟で工場長の良太さんを中心に新商品「黒いパン粉」の開発を進めました。現場でアイデアを出し合い、開発に取り組むことで、従業員の表情も次第に明るくなったといいます。

 「黒いパン粉は過去にも注文があり、ニーズがあることはわかっていました。しかし発色や形状などで課題が残り、いつか完成品として世に出したい思いがありました」(良太さん)

 前は通常の製造ラインを使ったため、白いパン粉に黒いパン粉が混じり、クレームが出ることもありました。これを避けるため、黒いパン粉専用の設備を導入。何度も試作を重ねて完成した「GOD SPEED YOU! BLACK PANKO」を21年から販売しています。

 鮮やかな黒色は竹炭で表現。揚げても黒いままなので、料理人が揚げ具合をコントロールできるよう、糖度はひかえめです。素材の柔らかさとのコントラストが際立つ、ザクッとした食感の香ばしいパン粉です。

試行錯誤の末に完成した「黒いパン粉」

 中林さんが顧客にサンプルを配布すると、アイデアが続々と寄せられます。「黒いパン粉を使ったとんかつのみを出す取引先もあります。お客様と話すうち、メニューや店のコンセプトを表現するために、色付きパン粉を使いたい人が少なくないと知りました」

「黒いパン粉」を使ったとんかつ(同社提供)

 黒いパン粉は、アニメやゲームのコラボカフェのメニューにも使われています。良太さんは「パン粉がいつか、食材から食品として認められること」を目標に、カラフルなパン粉の開発を進めています。

 正一さんは「これからもお客様の悩みの解決と望みをかなえるものづくりを続けたいです。利益はその結果として付いてきます。もっと労働条件を良くして従業員にも還元したいです」と力を込めました。