東酒造(ひがししゅぞう)は、鹿児島市にある従業員20人の酒造会社です。創業者の東喜内(ひがし・きない)さんが焼酎の卸売業として1915(大正4)年に創業し、1949年から焼酎製造業に転換。以来、焼酎やリキュール、灰持酒(あくもちざけ)の製造販売を続けています。
灰持酒とは、日本酒と同じ製造法で米と米麹からつくられる日本古来の醸造酒です。火入れ(加熱処理)をしない代わりに、灰汁(木灰を熱湯に溶かし、木灰が沈澱した後の上澄み液)をもろみに加えることで酒の保存性を高めています。
灰持酒は料理酒とみりんの特性を合わせ持つ酒です。鹿児島の郷土料理として知られる「さつまあげ」や「酒ずし」の材料として、また正月に飲むお屠蘇として欠かせないものでしたが、戦時中に製造が途絶えていました。
東酒造の「高砂の峰」は、米由来の天然のアミノ酸が豊富で、さらに加熱処理をしない生酒(なまざけ)のため、酵素が活きた状態で入っている料理酒です。そのため、魚や肉にふりかけるとタンパク質をアミノ酸に分解して食材のうま味を引き出し、臭みを軽減する効果があります。
1994年に初代が102歳で亡くなると、その長男の妻・匡子(まさこ)さんが2代目社長に就任しました。2001年には、「高砂の峰」の約1.5倍のアミノ酸含有量がある「黒酒(くろざけ)」を開発。食材のうま味を引き出し、臭みを軽減する機能性が評価され、地元だけでなく全国の食品会社や飲食店でも使われるようになりました。
2000年初頭には第3次焼酎ブームが到来し、鹿児島県の酒造メーカーは活況を呈します。東酒造にも全国から焼酎の注文が殺到して事業規模が急拡大し、2006年には鹿児島県内に工場を新設しました。
しかし、焼酎ブームは2000年代後半には陰りを見せ始めます。
「必要とされるのならやってみよう」34歳で入社
4代目の福元文雄さん(47)は、3代目福元万喜子さん(74)の次男です。
文雄さんが大学を卒業するころは金融制度改革が進み、インターネット証券が出始めた時期。金融の仕事に興味を持った文雄さんは外資系資産運用会社に就職し、その後、証券会社に転職して東京で12年ほど働いてきました。
ところが34歳のとき、万喜子さんからかかってきた電話が、文雄さんのキャリアを変えました。後を継ぐ予定だった長男が会社を離れるため、家業を継いでほしいと言われたのです。
「私は大学で醸造の勉強をしたわけではないし、お酒が特別好きなわけでもありません。どれだけ役に立てるか、不安があったのは確かです。ただ、東酒造は曽祖父をはじめ、家族が懸命に守ってきた会社です。必要とされるのならやってみようと考えました。ちょうど今後のキャリアを考えていたときだったので、母からの打診を一つのきっかけや運命としてとらえることができたのだと思います」
全国へ営業 「おたくの焼酎が欲しい」の声も
2010年に文雄さんは帰郷し、東酒造に入社します。2000年代初頭に起こったブームは沈静化し、売上は毎年数%ずつ下がり続けていました。従業員が減り、営業担当者も不在の状態でした。
「一気に押し寄せた焼酎ブームでは、商品のブランディングやPRをしなくても商品がどんどん売れていましたから、それを自分たちの実力と過信してしまっていたのかもしれません。それゆえ問屋さんや酒屋さんに頼りっぱなしで、『東酒造の焼酎でなきゃ!』というファンを自分たちで増やす努力をしてこなかった。会社の現状を見て、東酒造のファンを増やすための営業活動が急務だと感じました」
文雄さんは全国各地に長期出張し、現地でレンタカーを借りて取引先を回り始めました。出荷の実績はあっても、一度も顔を合わせたことのない取引先を一軒ずつ訪ねて試飲や説明を行い、取引先との人間関係を築いていったのです。
東酒造の酒造りに対する考えや商品のよさを理解してくれる人が増えるにつれ、「おたくの焼酎が欲しい」と注文が増えたり、取引が復活したりということも増えていきました。
「全国を回ってみて、お酒を売るにはものすごく大きなエネルギーがいるんだなとわかりました。酒屋さんの店頭に立って試飲してもらい、説明を聞いてもらう。そうして1本1本の売上を地道に積み上げることでしか売上を増やすことはできないからです」
「何にでも合う」より銘柄のキャラクターを重視
文雄さんはブランド力の向上にも力を入れ始めました。焼酎ブームに乗って増えすぎた商品数を整理して、「七窪(ななくぼ)」や「克(かつ)」といった銘柄を中心に商品を集約。飲む人が感情移入できるブランディングを行い、CMやインスタグラム、イベントなどを通じて情報発信をしていきました。
市場を活性化させるためには、焼酎に興味がない人やアルコール離れが指摘される若者をも引きつけなければなりません。そこで文雄さんは焼酎への「入口」をたくさんつくり、焼酎に親しむハードルを下げることを心がけています。
例えば、「七窪」ブランドの焼酎「NANAKKUBO Blue」は猫のイラストを使ったラベルを使用。愛猫家が焼酎に興味を持つ入口となっています。
「焼酎につながる入り口をたくさん用意した上で、イベントでの振る舞い酒を積極的に行っています。とにかく一度飲んでもらって、東酒造とその商品を知ってもらう。この取り組みなくして、売上は伸びていかないと考えています」
「おいしいか、おいしくないか。それがすべて」
ブランド力向上の取り組みと並行して、「わかりやすい酒質」の追求も大事にしています。
「芋や麹の種類、仕込みや蒸留の方法にいくらこだわっていると言っても、それを味の違いとしてお客様に伝えるのは至難の業。お客様にとっては最終商品がおいしいか、おいしくないか、それがすべてです。
伝わらないこだわりよりも、誰が飲んでもおいしいと思える酒質、お酒に詳しくない人がテイスティングしても『これは東酒造の焼酎だ』『七窪だ』とわかる酒質を追求することが大事です。お客さんに伝わる酒質、つまりわかりやすい『おいしさ』が売上の数字をつくっていくんじゃないでしょうか」
個々の商品のストーリーや味を際立たせた上で、入口はあくまでも広く、親しみやすく。味は玄人好みというより、万人がおいしいと感じる味を追求する。そうすれば、入口を覗いてくれた顧客が自分ごのみのお酒を選べるのではないか。文雄さんはそう考えています。
コロナ禍の家飲み用で成長 ブランドで選ばれる酒を目指す
文雄さんの地道な営業活動やブランディングが奏功し、2019年ごろから少しずつ売上が上がり始めています。スーパーや量販店の焼酎コーナーは全国的に縮小傾向にあるそうですが、東酒造の取り組みを認めたバイヤーが置いてくれるようになったのです。
2020年、コロナ禍に突入すると全国の飲食店が休業し、東酒造でも業務用の焼酎の出荷が一気になくなりました。しかし、コロナ禍前からの地道なファンづくりによって、東酒造の焼酎は家飲み需要で選ばれ、「七窪」ブランドはコロナ禍前の113%、「克」ブランドは300%の売上を記録しています。
2022年7月、文雄さんが4代目社長に就任しました。現在は指名買いされる商品の開発と営業が売りやすくなるブランディング、マーケティングに力を注いでいます。
今後は、地名や芋の種類といったスペック(仕様)に頼らず、『東酒造の七窪』というブランドで選ばれるよう、さらに商品の完成度を高めていくつもりです。
近年、芋焼酎の原料となるサツマイモに「サツマイモ基腐病(もとぐされびょう)」が発生し、その被害面積は年々拡大しています。「七窪」の原料である鹿児島県産のコガネセンガン(サツマイモの一品種)は今のところ問題なく確保できていますが、将来、原料が手に入りにくくなり、県外産の芋を使うこともあるかもしれません。
「仮にそうなったとしても、東酒造の「七窪」のわかりやすい味とキャラクターが失われることのないよう、絶えず酒質を磨いていきます。また、芋以外の原料を使った焼酎も柱として育てていきたいと考えています」
2024年春には灰持酒のリニューアルを予定しています。
「『高砂の峰』を『黒酒』ブランドのラインナップとして販売することを予定しています。『黒酒』に統一することで商品認知をさらに上げ、業務用だけでなく、一般ユーザーへの普及も目指していきたいと考えています」
厳しい焼酎市場でも「球を投げ続けたい」
東酒造は、焼酎ブームが終わった後の売上の落ち込みから完全復活したとはまだいえません。しかし、文雄さんが取り組んできた営業活動とブランド戦略の効果は確実に出てきています。「失敗しながらでも球を投げ続けたい」と文雄さんは未来を見据えています。
「今はいろいろ打ち手を試して必死にもがいている状態です。油断すればすぐに売上は落ちる。それぐらい焼酎市場は厳しいのが現状です。けれども、ピーク時の売上を考えれば、今は伸びしろしかないわけです。幸いなことに、施策の効果が出て売上がついてきていますから、これからもさまざまな打ち手を試しながら、東酒造の焼酎と灰持酒を深く根づかせていきたいと考えています」
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