目次

  1. 「家の主治医」を掲げて
  2. 米国で森林研究の道へ
  3. 家業の高齢化に心を痛めて
  4. デザイン力と提案力が課題に
  5. 無垢材のスピーカーづくりに着手
  6. 口コミで広がったスピーカー
  7. スピーカーがもたらした波及効果
  8. 祖父からの軸を受け継いで

 埋金木工所は1951年、埋金さんの祖父が建具屋として起業しました。建具とは障子や欄間のことで、緻密なミリ単位の技術を必要とします。祖父は大工や工務店の下請けとして注文を受ける日々でした。

 1990年代に、宏光さんの父・義明さんが家業を引き継ぎます。純粋な日本建築はだんだんと減り、建具の需要は少なくなっていました。義明さんは一念発起し、下請けから住宅リフォームを中心とした建築業へと大きく業態転換します。

 埋金木工所の技術は新築住宅ではなく、リフォームにこそ発揮できました。例えば、家主から老朽化して不安定になった床の相談を持ちかけられたら、原因を突き止めて元から修理し、その先も長く住める家にします。

 埋金木工所は「家の主治医」という看板を掲げ、家族経営ながら、年間約7千万円以上の売上高を上げています。

埋金木工所のショールーム(同社提供)

 木工所の業績は安定し、着実に事業は大きくなりました。義明さんは当時の住宅業界では取り扱いが少なかった天然素材に着目し、建材の木や土、紙、材木は九州産にこだわりました。石油化学製品を一切使わないため、シックハウス症候群や化学物質過敏症などの発生を防いでいるといいます。

埋金木工所の施工例。設計士である埋金さんの弟・卓司さんの力もあり、様々なデザイン提案ができるようになりました(同社提供)

 埋金さんは事業を新しくして、がむしゃらに働く父の姿を記憶しています。

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