「デザイン偏差値40」から奮起 山信食産はくずもちブランドを百貨店に
東京都江戸川区の山信食産は、小麦でんぷんを発酵させた久寿餅(くずもち)の製造販売を手がけています。3代目社長の小山信太郎さん(47)は英語教師から家業に転身。リーマン・ショックで売り上げが半減したのを受けて、業務用から一般向けに販路を広げ、ハート形の久寿餅や和シェークなどをヒットさせました。百貨店への出店を機に久寿餅の新ブランドを立ち上げ、常設店を開くなどして経営を回復基調に乗せています。
東京都江戸川区の山信食産は、小麦でんぷんを発酵させた久寿餅(くずもち)の製造販売を手がけています。3代目社長の小山信太郎さん(47)は英語教師から家業に転身。リーマン・ショックで売り上げが半減したのを受けて、業務用から一般向けに販路を広げ、ハート形の久寿餅や和シェークなどをヒットさせました。百貨店への出店を機に久寿餅の新ブランドを立ち上げ、常設店を開くなどして経営を回復基調に乗せています。
目次
ピンクの外壁、大きなタンク、吹き上がる蒸気。山信食産は社会科見学の小学生に「ハウルの城みたい」と例えられます。毎日1万セット以上の久寿餅を製造し、スーパーや和菓子店などへの業務用が7割、工場直売や催事などでの小売りが3割です。消費期限が約2日と短い生久寿餅が、評判を呼んでいます。従業員数は15人です。
くずもちは大きく2種類に分かれます。一つは関西がルーツで葛粉が原料の「葛餅」。もう一つは、麩(ふ)の製造過程で出る小麦でんぷんを発酵させ、蒸して作る「久寿餅」です。こちらは関東の名産となりました。
山信食産では730日以上発酵させた小麦でんぷんが原料です。アクと酸味を取りのぞくため、工場でタンクに移し、約7日間かけて攪拌(かくはん)と水洗いを繰り返します。熱を加えてとろみを出し、型に流し込んで蒸し上げます。温度を細かく調整し、口当たり滑らかで歯切れがいい乳白色の久寿餅が完成します。
手間ひまをかけても消費期限はたった2日。それでも作りたてを味わってほしいと、小山さんは2015年10月、生の久寿餅を扱うオリジナルブランド「江戸久寿餅」を立ち上げました。
「久寿餅が何でできているか、99%のお客様がご存じありません。催事でも10年以上ご説明していますが、まだまだ認知度が低い。僕ですらかつては葛粉で作っていると思っていたくらいですから」
山信食産は1955年、小山さんの祖父・信清さんが焼麩の製造販売業として創業し、久寿餅、ところてん、あんみつに幅を広げました。
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2代目の父・信光さんは久寿餅を真空包装し、2次加熱殺菌して10日まで日持ちする技術を考案。工場の自動ライン化を進め、OEM(相手先ブランドによる生産)も始めて、久寿餅の納品業者としてはトップになりました。
できたての久寿餅を食べて育った小山さん。周りから「未来の3代目」と言われましたが、両親からは一度も継げと言われたことはありません。
大学時代はバックパッカーとして約20カ国を巡り、卒業後は母校の高校の英語教師になります。
「何事も続けることが大事」、「家族を大切に」。教員時代、小山さんがよく生徒に伝えた言葉でした。
「お父さんが、そろそろ久寿餅屋をやめると言っている」。祖母からそう聞いたのは29歳の時です。父は内部留保が十分なうちに会社を閉める考えだったそうです。
「教え子に『家族を大切に』と言っているのに、50年も続いた家業を継がなくていいのかと悩みました」
「生徒に誇れる背中を見せたい。やるからには百貨店に出せるブランドに」。百貨店の食品売り場や催事を歩き、家業に入る決意を固めました。
小山さんは30歳で山信食産に入り、父と卸先を営業で回りました。「取引先は長年付き合いのあるところで、納品数も安定していました。僕は変化を出したくて提案しますが、『いいね』と言われてもその後進まず、やきもきすることも多かったです」
製造技術を学ぶと、衛生面や作業効率が気になり、父や当時工場長だった叔父と衝突することも増えたそうです。
仕事に慣れてきたころ、リーマン・ショックなどの影響で経営危機を迎えます。「取引先の和菓子店が百貨店から撤退したり、廃業したりしました。年商は2億円から1億円に下がり、新しいことをしなければ未来はないと考えました」
小山さんは2010年に3代目社長になると、同年から一般消費者向けの販売に目を向けます。できたての久寿餅のおいしさを広めたいと思ったのです。
「そのときは母の日が近かったため、ギフト用商品を開発することにしました。山信食産のブログでアイデアを募ると、友人たちが拡散に協力し、100件ほどコメントが寄せられました。その一つが『ハートの久寿餅』でした」
久寿餅は三角形が定番でしたが、小山さんはかっぱ橋道具街でシリコン型を購入してハート形を完成させます。中央のくぼみに黒みつや、きなこをかけて食べるようにしました。
特別感を出すため、江戸川区内の有名木箱メーカーに飛び込みで頼み、限定100個の桐箱を用意。母の日に合わせ、サイトに注文フォームを作ると瞬く間に完売しました。
「母に喜んでもらえた」といったコメントを社員と共有。業務用だけを扱っていた山信食産は、エンドユーザーが喜ぶ声を初めて聞いたのです。
「教員時代は生徒からダイレクトに反応がありました。久しぶりの反応がうれしく、手ごたえを感じました」
友人から依頼され、結婚式の引き出物用に作った紅白のハート久寿餅も評判を呼びました。
11年の東日本大震災発生直後、小山さんは道行く人を少しでも明るくしたいと、工場の外壁の色をグレーからピンクに塗り替えます。工場の駐輪場で週1回、生久寿餅を売り始め、翌12年には最寄りの都営地下鉄船堀駅でも週1回、販売スペースを設けました。
「ある記事で、このエリアの『おもたせ1位』に大手ドーナツチェーンが選ばれて悔しかった。いつか地元の名菓になると決めました」
船堀駅前に買いにくる常連客に、ある有名百貨店で働く男性がいました。小山さんが「うちも百貨店で売りたい」と言うと、男性からこう返されます。
「この商品なら、うちの百貨店に入るよりエベレストに登る方が簡単だよ」
このころの生久寿餅は真空包装し、刺し身容器のようなパックで販売していました。「味には自信がありましたが、やはり見た目がやぼったい印象です。今思えばその理由も分かりますが、頭にきてスタッフに『塩の代わりにきなこをまけ』と言ったくらいです」
はっぱをかけられた小山さんは13年、牛乳アレルギーだった息子でも味わえる「クズクズシェイク」を編み出します。豆乳をベースに、自家製の黒みつ、特注のきなこ、粒状にカットした久寿餅を加えた和シェークで、メディアでも話題になりました。
「エベレスト」発言をした常連客は変わらず通い続け、小山さんと軽口をたたきあう仲になっていました。小山さんは14年、その常連客から声がかかり、有名百貨店の食品担当幹部と会うことになります。
久寿餅の商品価値が認められ、母の日催事への出店が決まりました。それでも担当者からは、元教師の小山さんに伝わりやすい言葉で、あえて今後の課題を指摘されたといいます。「(山信食産の)デザインを偏差値に例えるなら40。うちの催事では60が必要で、有名和菓子店だと75です」
小山さんは百貨店を訪れる客の目を引くよう、透明カップにラッピングしたパッケージでハート形の久寿餅を販売。1日平均で10万円以上を売り上げました。全国的に名の知られていない企業、しかも生菓子としては好調だったといいます。
催事で雇う「マネキンさん」と呼ばれる販売員からも後押しされました。
「自分のファンを持つマネキンさんもいて、僕らに付いてくれました。マネキンさんのファンという社長夫人から、夫の古希祝いで大口注文も受けたほどです。マネキンさんからは『一般向けに久寿餅を売るなら、山信食産と別のブランド名にした方がいい』とアドバイスされました」
小山さんは山信食産60周年の15年、生久寿餅の新ブランド「江戸久寿餅」を立ち上げました。ブランドのディレクションを依頼したデザイナーの堀内肇さんと打ち合わせを重ね「粋で、キュート」というコンセプトを掲げます。
包装紙は、久寿餅伝統の三角形にポップな要素を取り入れ、ロゴは堀内さんの師で書家の田村空谷氏が仕上げました。
17年には松屋銀座のバレンタイン催事に出店。居並ぶ和菓子店は名店ばかりで、レベルの違いを見せつけられたといいます。
「チョコレートを練り込んだハートの久寿餅で、中央にはあんこを入れていました。すると、(他の出店者が)あんこの炊き方はもっとこうした方がいいと丁寧にアドバイスしてくれるんです。『来年はもっとレベルを上げて来いよ』と」
和菓子店の若社長たちからは「常設店舗を持て」と背中を押されました。しかし、消費期限が2日と短い生久寿餅を常設店で提供するのは高リスクです。特にギフト需要の高い百貨店での出店は難しいことも理解していました。
それでも小山さんは決意を固め、物件を探し始めた矢先、新型コロナウイルスが大流行します。
「百貨店が空き店舗だらけになり、東日本大震災のような暗さを感じました。でも、ピンチはチャンス。少しでも多くの人に久寿餅をアピールしようと、日本橋高島屋に3年契約で入りました」
オープンすると、常連客がこぞって買いに来てくれ、不定期の催事と週1回の直売だけでは、買えない客が多くいることも分かりました。特にクズクズシェイクは常設店でも人気に。業務用販売の卸先だけでなく、他の百貨店からの催事要請もさらに増えました。
コロナ禍が落ち着き、外国人客も増えてきました。ビーガン対応店舗の検索アプリ「ハッピーカウ」で、江戸久寿餅は東京のアイスクリーム部門の上位に入っていたためです。
契約の関係で日本橋高島屋の常設店は24年1月に閉じましたが、勢いは止まりません。同2月の松屋銀座のバレンタイン催事では、福岡市の有名菓子店「アトリエ キュイエール」に監修を依頼し、久寿餅の原料である発酵小麦でんぷんを使ったビーガンチョコレートの「シンクズモチ」を限定発売しました。
常設店の再開を望む声は続々と届き、今後はインバウンド客を集めやすいエリアでの出店を計画しています。「黒みつやきなこは、欧州ではまだ珍しい食材です。クズクズシェイクなら卸先の商品とも競合しないので、スタンド形式での出店を考えています」
2代目の父は日持ちする久寿餅を開発し、業績を伸ばしました。かつて衝突した叔父は千葉県で果樹園を始め、フルーツ久寿餅づくりに協力しています。
そして3代目は久寿餅を多様な形に変化させ、一時は1億円に落ちた年商を1億3千万円まで回復させました。「父も僕も久寿餅の歴史を壊してきました。伝統は大切にしつつ、新しいことにチャレンジしていきたいです」
江戸時代から愛されるおやつを世界へ。挑戦は続きます。
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