目次

  1. ルーツは鞄の一大産地 1980年代からスクールバッグへ
  2. 「やれるところまで」と家業へ
  3. 経営改善はまず「整理整頓」から
  4. 本業でも卸先と取引条件を交渉
  5. 新商品ニーズは思いがけない一言から
  6. 「さよなら紙袋」をヒットさせた3つの行動
  7. 改めて気づいた国産品質「守り続けるために」

 広島市の原爆ドームから西へ800m。1897年創業の片岡商店のルーツは、日本有数の鞄の産地である兵庫県豊岡市です。創業者の片岡又平が日清戦争後、豊岡市から軍港としてにぎわっていた広島に進出。兵隊が荷物入れに使う柳行李などを製造販売していたといいます。

戦前の片岡商店
戦前の片岡商店(片岡商店提供)

 戦後、旅行かばん・袋物・雨具卸業として業務を再開し、1980年ごろから、学校向けに、軽量で収納量多い防水ナイロン製スポーツバッグを販売するようになりました。

 片岡勧さんは、人材会社やフォークリフトの製造販売会社を経て、ブロガーやWEBサイト制作のフリーランスとして活躍する傍ら、実家の片岡商店も手伝っていました。

 そこで見えてきたのが、原価が上がっても値上げしづらい学校の備品という特性と、少子化により次第に利益を出しづらくなっている構造で、赤字が続いていました。

 2020年秋、このまま続けるべきか、廃業か、事業譲渡か…。今後の片岡商店を話し合う家族会議が開かれました。「もしかしたら片岡商店がなくなってしまうかもしれないと思うと、惜しい、もったいないという気持ちが急に生まれてきたんです」

 「3人きょうだいの長男なので自分がやらなければと」と話す片岡さん。事業を引き継ぐ決意をしたのは、現社長である父のこともあったのだといいます。

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