目次

  1. 大学3年で祖父に誘われ家業入り
  2. 「そこまで知らんでええ」
  3. 価格競争に背を向けて生んだ新商品
  4. 固定ファンはつかんだが...
  5. 引き継ぎもないまま急きょ社長に
  6. 特注対応を強みに取引増大
  7. 旧式の織機依存を脱却する新商品
  8. 職人の急逝も乗り越えて

 神藤タオルは1907年、日本のタオル産業発祥の地とされる大阪府南西部の泉州地区で創業しました。タオルを織り上げた後で不純物を洗い落とし、漂白するためにさらす「後ざらし」という「泉州タオル」伝統の製法を継承し、地元の中核企業の1社として事業を続けています。

 神藤さんは主に川崎市で育ち、中学・高校の時は大手都市銀行勤務だった父の転勤に伴い英国で暮らしました。父が神藤タオルを継がなかったこともあり、正月や夏休みに家族で帰省する時以外に、泉州やタオル業界について意識することはほぼ無かったといいます。

 就職活動を意識し始めた大学3年生の夏ごろ、5代目社長の祖父・昭さんが神藤さんのもとを「話がある」と訪ね、ストレートにこう伝えてきました。「将来はどうするんや? お前がうちの会社を継がんのなら、会社をたたむ準備をしないとあかん」

 その時点で特に将来やりたいこともなかった神藤さん。「わかった。そっちに行くよ」と答えました。「神藤」という自分の名前が入った会社がなくなることが「もったいない」と感じたことと、昭さんが特に生活に困っている様子もなかったことから、「会社が続けば普通に暮らせるだろう」と考えての回答でした。

 大学を卒業し、大阪市中心部から電車で1時間ほどの泉州の地に移り住んだ神藤さん。大阪弁とも少し異なる泉州なまりは当初、なじむのに苦労しました。

 昭さんからは「まずは製造の流れを理解しなさい」と言われ、工場で働き始めました。一緒に働くことになったのは、当時60代後半だった工場長や40代のベテラン職人ら3人。営業や検品の担当者も含めると総勢12人前後の職場では、みな将来の後継ぎである神藤さんに対し、業務について懇切丁寧に教えてくれました。

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