神藤タオルは1907年、日本のタオル産業発祥の地とされる大阪府南西部の泉州地区で創業しました。タオルを織り上げた後で不純物を洗い落とし、漂白するためにさらす「後ざらし」という「泉州タオル」伝統の製法を継承し、地元の中核企業の1社として事業を続けています。
神藤さんは主に川崎市で育ち、中学・高校の時は大手都市銀行勤務だった父の転勤に伴い英国で暮らしました。父が神藤タオルを継がなかったこともあり、正月や夏休みに家族で帰省する時以外に、泉州やタオル業界について意識することはほぼ無かったといいます。
就職活動を意識し始めた大学3年生の夏ごろ、5代目社長の祖父・昭さんが神藤さんのもとを「話がある」と訪ね、ストレートにこう伝えてきました。「将来はどうするんや? お前がうちの会社を継がんのなら、会社をたたむ準備をしないとあかん」
その時点で特に将来やりたいこともなかった神藤さん。「わかった。そっちに行くよ」と答えました。「神藤」という自分の名前が入った会社がなくなることが「もったいない」と感じたことと、昭さんが特に生活に困っている様子もなかったことから、「会社が続けば普通に暮らせるだろう」と考えての回答でした。
昭さんからは「まずは製造の流れを理解しなさい」と言われ、工場で働き始めました。一緒に働くことになったのは、当時60代後半だった工場長や40代のベテラン職人ら3人。営業や検品の担当者も含めると総勢12人前後の職場では、みな将来の後継ぎである神藤さんに対し、業務について懇切丁寧に教えてくれました。
ただ、聞けば何でも教えてくれたわけではありません。ある時に神藤さんが職人に製造機械の分解清掃について尋ねたところ、「そこまで知らんでもええ」と言われました。
職人は、いずれは神藤タオルの経営を担うことになる後継ぎが知っておくべき業務知識の範囲は「ここまでで大丈夫」と判断していたのだと、神藤さんは振り返ります。
昭さんは普段から細かい指示を出さなかったため、職人たちが現場で自主的に考えて判断する風土がありました。昭さんは職人たちと深い信頼関係を築き、現場のことは基本的に任せていたのです。
価格競争に背を向けて生んだ新商品
昭さんの経営スタイルは、現場の創意工夫を生み出し、新商品開発にもつながっていました。
神藤タオルの看板商品の一つが2000年代に開発した「インナーパイルタオル」(フェイスタオルは税抜き2千円、バスタオルは同4500円)です。両面のガーゼにパイル(丸くループ状に織った糸)を挟み込む特殊な構造のタオルで、優しい肌触りと厚みがあるのに軽いことが特長です。
インナーパイルは、神藤タオルのベテラン職人が、普通の平たいガーゼタオルではなく、ボリュームのあるものをつくれないかと考案。段ボールの断面からヒントを得て独自に開発しました。40年以上前から稼働している「シャトル織機」という旧式の機械に改造を施し、商品化に成功しました。
固定ファンはつかんだが...
独自の商品を開発した背景には、神藤さんが入社した2000年代に中国やベトナムなど海外製の安価なタオルが日本に大量に輸入され、市場での競争が激化していたことがありました。
国産と海外製との品質差の訴求やコスト削減などで対抗せざるを得ない中で、昭さんはそれでは長期的に勝負できないと感じていたのです。神藤さんが振り返ります。
「先代は業界の流れに追従するのではなく、『多少カネがかかってもいいから、値段と品質を下げずによそがやっていない新しいことを考えろ』と口を酸っぱくして言っていました。そうして社員たちに促していた創意工夫でできあがったのがインナーパイルです」
ただ、当時はそれなりの重さがあってしっかりしたものが「いいタオル」という風潮が残っていました。旧式の織機で1日数十枚程度しか作れないという事情もあり、インナーパイルは当初、雑貨店などで一部の固定ファンを獲得したものの、大量に売れるという状況ではありませんでした。
引き継ぎもないまま急きょ社長に
神藤さんは工場のみならず商品検品や営業の部門も経験し、入社から数年かけて神藤タオルの事業の全体像を学びました。入社5年目の27歳になると昭さんから「お前もそろそろ役職つけてもええかな」と言われ、専務に就任します。といっても会社経営に関する教育や研修はほぼなく、引き続き営業が仕事の中心でした。
同じ頃に昭さんがガンに冒されていることがわかり、入院することに。80代でも元気に社内外を動き回っていた昭さんとは、それまで代替わりについて話すことは皆無でした。
病床で神藤さんが「そろそろ引き継ぎする方がいいのでは?」と持ちかけたところ、ようやく「そうやな、復帰したら引き継ぎするか」と言われました。昭さんは復帰する気まんまんだったのです。結局、具体的な引き継ぎについて話題にしないまま、その1カ月後に他界。享年87歳でした。
神藤さんは入社から6年目の2014年、28歳で社長に就任しました。ところが、昭さんのデスクを探しても会社の全体像を記す資料などはなく、財務は経理担当者、顧客や売り上げに関することは営業部長、商品のことは工場長と、全て現場に情報が集約されていました。
それぞれの部門の責任者に教えてもらいつつ、積極的に自社のことやタオル業界について学ぶことで、次第に社長の仕事を担えるようになっていきました。
「先代が何でも現場に任せていたからこそ、何とか代替わりができたと言えます。これが自分で指示を出して判断するような経営スタイルだったら大変でした」
また、昭さんの個人資金に一部頼っていたものの、幸い金融機関など社外からの借り入れは無い「無借金経営」でした。
特注対応を強みに取引増大
社長就任と前後して、神藤タオルは従来の問屋を通じた自社商品の流通だけでなく、タオルメーカーからの委託製造(OEM)を始めていました。自社製品の価格を下げず、問屋からの発注が次第に減っていたため、代わりにOEMに活路を見いだしたのです。
神藤さんはまず、OEMによる売り上げ増をめざし、縫製や検品などの人手を増強するなどして、滞りがちだった納品までの工程をスムーズにしたり、製造や検品にあたる従業員を新規採用したりして、より多くの注文に対応できる生産体制をつくりました。
さらに、付加価値の高いインナーパイルの売り上げをもっと増やそうと模索し始めました。これは神藤さんが営業担当だった時代からの課題でした。
ただ、旧式の織機でつくるインナーパイルはサイズの誤差が生まれやすく、「商品誤差〇%以内」といった規格を設けているデパートなど小売店への販売が難しい実情がありました。
取り組んだ工夫の一つが、タオルにタグを縫い付けることでした。作業工数をなるべく減らすことでコスト削減を図ることが当たり前のタオル製造業界にとって、タグを縫い付けるという作業は手間がかかることから、対応する業者はあまりありませんでした。
しかし、神藤タオルでは、ある問屋からタグ付けの相談が来た際に対応することを決め、縫製の機械も導入しました。特注品への対応力で差別化を図ったことで、問屋からは「神藤タオルはややこしい希望にも柔軟に対応してくれるから助かる」と喜ばれ、この問屋を介した取引が次第に増えていったのです。
この問屋はインナーパイルについても「サイズがぶれてもかまわない。これをもっと多くのお客様に届けたい」と気に入ってくれ、大量に扱ってくれることになりました。
旧式の織機依存を脱却する新商品
インナーパイルの取り扱いは増えましたが、旧式の織機に頼っていたため大量生産ができないという課題は残ったままでした。しかもその織機はすでに生産が終了していた型で、壊れたらもうインナーパイルは作れなくなってしまいます。
そこで神藤タオルは2010年半ばから新商品の開発に乗り出しました。コンセプトは「柔らかくてボリュームがあり、織機を選ばずに生産できるガーゼタオル」です。
これまでと全く異なる織り方となり、難しい商品開発が想定されましたが、ベテラン職人は様々なアイデアを出してくれました。そして試行錯誤を続け、半年かけて開発したのが「2.5重ガーゼタオル」(ハンドタオルは税抜き800円、バスタオルは同2200~4400円)です。
3枚重ねたガーゼの真ん中の生地だけ密度を半分にすることで、優しい手触りを残しつつも薄さと軽さを実現。インナーパイル用の織機の次に古い機械を調整しながら使うことで、柔らかい風合いを出すための糸の調節ができるようにしました。
「ベテラン職人は、2.5重ガーゼの開発にかかわらず、日頃から様々な新しい生地のサンプルづくりや古い織機のアレンジを行っていました。先代が『新しいことを考えろ』と発していたメッセージに応えようとしていたからです。そんな土壌をベースに、職人が長年積み重ねてきたアイデア・知見が生きたのだと思います」
職人の急逝も乗り越えて
販路も製造体制も整え、市場に投入しようというタイミングで、想定外の出来事が起こりました。
開発を進めてきたベテラン職人が末期がんだったことがわかったのです。次期工場長の候補にもなっていたほど頼れる存在でしたが、病気の判明から1カ月ほどで亡くなりました。
直後は途方に暮れていた神藤さんは新たにタオル職人を採用することにしました。当時の工場長はインナーパイルの製造にほぼかかりきりで新商品にまで手が回らず、また一から職人を育成していては時間がかかり過ぎると判断したのです。
幸い、長年タオルづくりに携わっている泉州のベテラン職人を見つけることができ、2.5重ガーゼタオルの安定生産体制を何とか作ることができました。
2011年に発売した2.5重ガーゼタオルは、ふんわりと柔らかい独特の肌触りでヒット商品になりました。今ではインナーパイルなどとともに主力商品となっています。
昭さんの後を継ぐ前後から、ベテラン職人たちの発想と技術力を引き出して新商品を開発したり、従来の問屋に頼った商流だけではない販路を開拓したりした神藤さん。そしてさらなる挑戦にも意欲を見せています。
「2.5重ガーゼタオルもインナーパイルも、職人の長年の知見と発想、創意工夫を生かすことで生まれたと言えます。これからも先代の『新しいことをやる』という遺訓を胸に刻み、従来の発想にとらわれないで人々に愛される商品づくりに挑戦していきたいです」
※後編では、神藤さんが自社ブランドを立ち上げて、有名店や海外などに販路を広めながら、会社を利益体質へと変えていったプロセスを掘り下げます。