栗原さんの父親は1993年、農協職員から独立して農業を始めました。栗原さんは両親が営む農園を当たり前のように見て育ちます。兄はパン職人を志し、栗原さんも料理人の道に進むつもりでした。「農家を継げとも言われず、農家だからと引け目を感じることもなく、やりたいことはやらせてもらいました」
高校卒業後、東京の服部栄養専門学校に進み、レストランでアルバイトをしました。この経験が農業への関心につながります。「実家から(店に)野菜を取り寄せることになり、食材の品質が料理のおいしさを左右することを実感しました。生産者としての責任や可能性を、初めて考えるようになりました」
父に家業を継ぐ決意を伝えると、「お前が30歳になったら社長を交代する」と宣言されました。栗原さんは2006年、茨城県立農業大学校に進むと同時に栗原農園で働き始めました。
当時の売り上げは約5千万円。栗原さんが家業に戻るころ、野菜の需要の高まりもあって、父は借り入れを増やしハウスを増設。3年から5年おきに投資していました。父から「1人2千万円の売り上げが必要」と言われ、規模拡大の必要性を感じます。
この時、栗原さんは20歳。「農家の子」から「農業経営者」へのタイムリミットは10年でした。
一般的な経営手法は通用しない
家業に入った当初の従業員数は16〜18人。栗原さんは信頼関係を作るため、従業員とのコミュニケーションを重ねました。次第に、朝礼や評価制度、キャリアパスの設計などを積極的に取り入れます。
しかし、栗原さんはその効果に疑問を感じるようになりました。「中小企業の一般的な経営手法を導入しても意味がないわけではありませんが、生産性に欠け、必ずしも成功につながるわけではないことに気づきました」
その後、有望な社員の退職をきっかけに、これまでの手法を見直す必要性を感じ、形式的な制度より実質的な問題解決に注力するようになりました。
例えば、毎日の朝礼をやめ、日々の業務の中で必要なコミュニケーションを取るようにしました。栗原農園の規模では、日常的な伝え方にした方がいいと感じたのです。「職場では自然に顔を合わせる機会があります。その時に改めて業務の共有や会社の理念、改善点などを伝えています」
試行錯誤する文化を育てる
栗原さんの新たな経営アプローチの基礎となったのは、ビジネス書も出し、経済界とのつながりも深いお笑い芸人・西野亮廣さんの考え方でした。
西野氏が提唱する「ヒューマンエラーではなくシステムエラー」という考えに強く共感。栗原さんはシステムの改善に焦点を当てる方針にしました。
「問題は人が変わっても起きる。人を責めるのではなく、そうならないために仕組みで問題を解決することが重要だと気づきました」。個人を責めるのではなく、問題の根本原因を探り、再発防止のシステム改善に注力するようになったのです。
現在は、問題が発生した際に全員で解決策を考え、試行錯誤する文化を育てています。栗原さんは「答えを知っていても、最初から自分が主導することはしません。まずは皆で考え、決めていく過程を大切にしています」。
仕組みを変えて約5年、今では変化に抵抗のない現場に成長しました。「気づけばパートさんたちが、自分たちで現場の仕組みを改善しているということもあります」
週休3日や有休完全消化を推進
栗原さんが30歳になった2016年、予定通り社長に就きます。経営効率化のため、生産者が増加傾向だった長ネギなどの栽培をやめるなど、選択と集中も行いました。
主力商品である小ネギの生産には水耕栽培を採用しています。「水耕栽培は天候に左右されにくく、計画的な生産が可能です。農薬の使用量も抑えられ、安全・安心な野菜を提供できます」
選択と集中を進める中で、生産性向上のカギは、品質の高い野菜を作ることだと考えました。「例えば、傷のないきれいな野菜を作ることで、選別や梱包の作業時間を大幅に短縮できます。これは労働時間の削減にもつながります」
病気や虫の発生を少なくするための栽培環境の改善や肥料管理、栽培方法と品種の改良に取り組みました。毎年のように登場する新しい品種の試験栽培を行い、最適な品種を選定しています。
社長就任後、パート従業員の週休3日制の導入や、有給休暇の完全消化を推進。残業代も1分単位で支払うなど、従業員が働きやすく、業務に集中できる環境づくりに努めています。
繁忙期と閑散期のシフト調整、機械化による作業効率の向上、従業員が自ら栽培の仕組みを変えることによる生産性アップ、コミュニケーションによる人員の柔軟な配置などを実施しました。
「農業は天候に左右されるため、どうしても労働時間が不規則になりがちです。でも、それは言い訳にすぎません。工夫次第で働きやすい環境は作れるんです。変えることをいとわない風潮が生まれ、結果、離職率は下がりました」
コロナ禍で開発したネギキムチ
2020年からのコロナ禍では、飲食店への出荷が完全にストップ。自社配送の強みを生かし、スーパーへの出荷を増やして売り上げを維持しました。それでも栗原さんは、このままではいけないと思考をめぐらし、加工品の開発に乗り出します。
「加工品はいつかやりたいと考えていました。小ネギは生で食べるのが一番なので、おかずで食べられるキムチなら小ネギと相性がいいはずと考えました」
生野菜では2〜3日の賞味期限も、加工品のキムチなら1〜2週間は保ちます。「小ネギ農家だからできる、化学調味料無添加のキムチ」が作れて、販路も拡大できると光が見えてきたのです。
栗原さんは飲食店出身の従業員とともに、小ネギを使ったキムチの開発に着手し、国内外のキムチや調味料を取り寄せ、試行錯誤を繰り返すこと1年。2022年4月、小ネギの加工品「本格手作りネギキムチ」の販売を開始しました。
人気アカウントとのコラボ実現
栗原さんは自ら髪をネギの緑色に染め、TikTok(ティックトック)での発信を開始。最初は周囲の反応も冷ややかでしたが、「結果を出せば誰も文句を言わなくなる」と信じ続けました。
経営の合間に眠る時間を削って独学でSNSマーケティングを学び、動画の撮影や編集も自ら行いました。農作業と動画制作の両立は大変でしたが、「これで俺は会社を守るんだ。やるからには振り切らないといけない」という気持ちでした。
栗原さんは、TikTokでフォロワー数41万(2024年8月時点)の人気アカウント「キムチの家」を見つけました。新潟・佐渡島にあるキムチ製造所で、キムチの製造工程をポップな音楽に乗せて発信するなどして爆発的な人気を得ています。「TikTokでキムチが売れるという事実に驚き、可能性を感じました」
「まずは1年」という期限を定め、栗原さんは試行錯誤を繰り返します。事務所に撮影スペースを設け、機材を調達。農作業や事務処理を終えると撮影したり、週3〜4の頻度でライブ配信をしたりしました。
栗原さんは「キムチの家」をベンチマークに、小ネギの栽培過程やネギキムチの製造の様子、ネギキムチを使った料理レシピの動画などをこまめに発信し続けました。動画をアップしながら企画、台本、動画編集の工夫を凝らしていくと、次第に動画再生数が増えていきました。
ある日、その努力が実を結びます。ライブ配信中に「キムチの家」のアカウントからコメントがつきました。配信後、コンタクトを取り、韓国にも足を運び信頼関係を築きました。
そしてついに2024年4月、「キムチの家」とのコラボレーションが実現し、40万回再生されました。ネギキムチなどのオンライン販売が大きく伸び、月商100万円を達成したのです。
今では栗原さんのアカウントも2万5千フォロワー(同)を抱えるまでになりました。「SNSは農業にとって大きなチャンスです。生産者の顔が見える、ストーリーが伝わるという強みを生かせる媒体だと思います」
逆風も「正常化のプロセス」
栗原農園も原材料高や円安などの影響を強く受けています。電気代は2倍になり、重油も1.5倍から2倍に上昇。人件費も毎年上がっています。
状況を打破しようと、補助金を活用した設備投資を積極的に進めています。2022年には補助金だけで1千万円ほどを獲得し、生産性向上に寄与する野菜の梱包機を導入しました。「補助金の活用は、農業経営者にとって重要なスキルの一つ。積極的に情報を集めて、生産性の高い機械を導入するなどして変化に対応しています」
インフレを見据えた経営戦略として、値上げを含めた適切な価格設定を検討しています。
「私たち30代はデフレしか知らないからこそ、インフレについてしっかり勉強する必要があります。値上げは避けられません。取引先との交渉や、消費者への丁寧な説明、生産性向上によるコスト削減も進める必要があります」
帝国データバンクによると、2023年度の農業関連業者の倒産は81件を記録し、2000年度以降で最多を更新しました。高齢化や後継者不足、物価高などが重なり、経営継続が困難な農家も多いですが、栗原さんは「正常化のプロセス」と捉えています。
「需要と供給のバランスが崩れていた部分が調整されていると思います。供給が減れば、自然と価格は上がり、残った農家の経営は安定する可能性があります。生き残るためには、新しい付加価値を生み出し続けなればいけません」
売り上げ規模は3倍超に
栗原さんが家業に入ってから、売り上げ規模は3倍超となりました。中でもネギキムチは1千万円ほどの売り上げをあげるほどに成長しました。今後は生産品目の拡大よりも、小ネギの生産とネギキムチを主力にして品質向上と生産性アップを図りながら、選択と集中を続ける方針です。
海外への展開も将来目標です。「今、利益が出ている部分は従業員に任せ、すぐに利益が出ないけど未来があるところは自分自身がコミットしていく。仕入れ販売の強化や、日本の農産物の品質を、SNSで直接海外の消費者に伝え、新たな市場を開拓したいです」
農業の本質である「安心安全」の作物を育てながら、従来の農業のイメージを覆す栗原さんの挑戦は、次世代の経営者たちの励みとなりそうです。