目次

  1. コンクリート瓦の製造が起源
  2. 規格品しか製造できない体制だった
  3. 自由に造形できるコンクリートに魅力
  4. 自社製品の開発に取り組み 営業部門も新設
  5. 土砂の流入を防ぐL字溝などを開発
  6. 公共工事だけでなく民生品にもチャレンジ
コンクリート瓦を製造していた当時の様子
コンクリート瓦を製造していた当時の様子

 小河原セメント工業(茨城県水戸市)は、小河原さんの祖父母がコンクリート瓦の製造事業で、起業しました。当初は戦時中ということもあり、国から配給されたセメントを材料に製造を行っていた程度でしたが、戦後になると一気に需要が増加。

 その波に乗り、近くでコンクリートブロックなどを製造する企業も買収し、法人化。以降は瓦に限らず、縁石、U字溝、マンホールといった社会インフラ、公共工事で使われるコンクリート製品の製造・販売で業容を拡大していきます。

手がけるコンクリート製品
手がけるコンクリート製品

 現在では細かな製品も含めると約1000種類ほどの製品を取り扱い、従業員約50人、売上高約14億円にまでに事業を拡大しています。

 ただし、小河原さんは小河原セメント工業を継ぎたいとは正直思っていませんでした。それでも、特に興味のある分野がなかったことなどもあり、父親の紹介で群馬県の同業者に就職します。

経営に対する考えなどを語る小河原さん
経営に対する考えなどを語る小河原さん

 そんな経緯で働き出した会社は、仕事の内容も業績も、父親の会社とは異なっていました。1つ目は、現場の状況に最適な製品を開発できる技術力を持っていたことです。

 具体的には、構造計算の知識やスキルです。こうしたスキルがあれば、対象となる現場でコンクリート製品に求められるサイズや強度が、適切であるかどうかが分かるからです。

(続きは会員登録で読めます)

ツギノジダイに会員登録をすると、記事全文をお読みいただけます。
おすすめ記事をまとめたメールマガジンも受信できます。