目次

  1. 35歳で社長就任
  2. マネジメント力不足で味わった試練
  3. 若き「右腕人材」を採用
  4. 肩書よりも役割で評価
  5. コロナ禍で医療用ガウンを製造
  6. 東海地方のメーカーと量産体制
  7. 新人をリーダーに抜擢
  8. ユーザーの顔が見えるものづくりを
  9. 「滴の中で輝く人へ」をビジョンに

 人の意識が変わるのは「見るものが変わったとき」です。幕末の黒船や戦後の焼け野原を目の当たりにして、日本人の意識は変わりました。企業も同じです。命を守るために必要なものが手に入らず困っている人が現れたら、もしトヨタ自動車の社員があなたの会社で一緒に汗をかいて生産性が何倍も上がったら、意識は変わるのではないでしょうか。

 舟橋さんはコロナ禍でそんな体験をして意識と行動が変わり、進化を遂げました。

 船橋は1921年に創業しました。名字と社名の漢字が違うのは、創業者の舟橋勝治さんが「BOAT(舟)ではなく、たくさんの人を乗せるSHIP(船)であって欲しい」という思いを込めたからです。

船橋は古くからレインウェアを製造しています
船橋は古くからレインウェアを製造しています

 レインウェアは警察、消防、建設や通学者、防水エプロンは給食センターや食品加工所などで働く人が主なユーザーです。年間生産枚数は約5万枚(輸入品含む)で年商は約6億円、従業員数は33人(パートを含む)になります。

 舟橋さんは三重大学卒業後、繊維商社に就職。先代の父・浩さんが病気を患い、27歳で家業に入ります。父から「社員が納得する実績を出したら社長を交代する」と言われ、「自分で新規開拓したお客さまが全社No.1になったら」という条件を提案。それを達成し、2003年に35歳で社長となります。

船橋のレインウェア
船橋のレインウェア

 若くしてトップに立った舟橋さんは、大きな試練を2度味わいます。1度目は就任から4年後。年上の工場長や営業部長ら幹部4人が全員辞めてしまったのです。原因は意見の衝突でした。

(続きは会員登録で読めます)

ツギノジダイに会員登録をすると、記事全文をお読みいただけます。
おすすめ記事をまとめたメールマガジンも受信できます。