目次

  1. 受験の理由は「恐怖心」
  2. 増資に役だった財務・会計
  3. 経営者に響く解答とは
  4. 多業種の課題を「疑似体験」
  5. 合格後に深まった協業の質
  6. 後継ぎこそ診断士の勉強を

 須藤牧場は大正時代、須藤さんの曽祖父が創業しました。約100頭の乳牛を飼育し、牛乳、アイスクリーム、飲むヨーグルトなど乳製品の製造・販売まで手がける6次産業化に積極的です。千葉県内の直営店ではソフトクリームや生シェイクなどを販売しています。

 須藤さんは20歳で家業に入り、農場HACCP認証の取得やアトツギ甲子園への挑戦などを進めました。自身が企画したイベント「生シェイク祭り」では、館山市内の飲食店と連携し、須藤牧場のアイスを使ったオリジナル生シェイクを提供。アイスの売り上げ増や地域振興につなげました。

約100頭の乳牛を飼育しています
約100頭の乳牛を飼育しています

 須藤さんは2023年5月に代表取締役に就任しましたが、経営を体系的に学んだ経験はなく「もやもやしていた」といいます。中小企業診断士受験を思い立ったのは、試験から1年前の2023年8月でした。

 背景にあったのは酪農の危機的状況です。農林水産省によると、2023年の乳用牛飼養戸数は1万2千戸で、2017年と比べて約4千戸も減りました。

 「須藤牧場の売り上げを伸ばしたとしても、社会にインパクトを与えないと酪農という業界自体が無くなるという恐怖心がありました。M&Aや産学連携、輸出、海外での牧場運営という手段があるなか、経営の専門資格で力を得たいと思いました」 

 2022年ごろ、事業再構築補助金を申請した際、中小企業診断士の無料サポートを受けた経験も大きかったといいます。

 「その方はうちの経営をご存じなかったのに、事業計画書だけで本質を理解し、(補助金の)審査員に分かりやすく伝えるアドバイスをいただきました、診断士はすごいと思いました」

名物の生シェイク
名物の生シェイク

 中小企業診断士試験は年1回で、1次試験(選択式)と2次試験(記述・口述)があります。1次、2次を合わせた合格率は約5%前後です。

 生き物を扱う牧場は朝が早く、不規則になりがちです。須藤さんは就寝前の2時間を勉強にあてました。「勉強は1日も休みませんでした。頭のいい人より、勉強をルーティン化できる人が受かると思います」

牧場の仕事の合間を縫って勉強しました
牧場の仕事の合間を縫って勉強しました

 1次試験は、企業経営理論、財務・会計、運営管理、経済学・経済政策、経営法務、経営情報システム、中小企業経営・中小企業政策で構成されます。

 なかでも、簿記などの知識が問われる財務・会計は難所の一つです。「それまでは損益計算書も会計士さん任せで何となく見ているだけ。過去問には太刀打ちできませんでした」

 それでも、2023年秋、須藤牧場に増資の話が持ち込まれた際、「財務・会計」の勉強をしていたことが役立ちました。

 「増資のための事業計画書作成では、財務・会計の知識をフル活用しました。収益性や効率性、有形固定資産回転率(設備投資の売り上げへの貢献度を測る指標)などを分析すると、家業の中身がよりわかるようになりました」

 須藤さんの勉強法は市販の問題集を買って、ひたすら過去問だけを解くというもの。そのほか、診断士試験関連のYouTubeチャンネルを六つほど登録しました。

 「各チャンネルのアドバイスから共通項を見つけ、合ったものを取り入れました。YouTubeが無ければ、受からなかったかもしれません」

 須藤さんは2024年8月の1次試験を突破し、10月の2次試験に臨みます。

 2次試験は、事例Ⅰ(組織・人事)、事例Ⅱ(マーケティング・流通)、事例Ⅲ(生産・技術)、事例Ⅳ(財務・会計)の4科目で構成されます。それぞれ経営課題を記した与件文があり、4問~5問に答えるというパターンです。

 イメージを伝えるため、須藤さんが実際に受験した2024年の2次試験の事例Ⅰを抜粋します。

《与件文》
 A社は、1975 年創業の物流サービス企業で、従業員数は120名、売上高は30億円である。創業者はトラック1台から事業を立ち上げた。地元での地道な経営が功を奏し、徐々に売上高を伸ばし、トラック台数を増やすとともに営業所を開設した。しかし、A社が創業当時、営業区域が規制により限られており、1顧客にトラック 1台 (貸切り)で対応する必要があった。他の荷主との混載ができなかったため、積載効率が悪く収益性が低かった。また、当時の主要顧客は中小零細の事業者であり、長期的な契約ではなくスポット取引が中心であり、取扱品の種類も顧客によってさまざまであった。
(中略)
 2代目経営者は、今後、A社が3PL事業者として事業展開を行う上で、中小企業診断士に相談を求めている。
《設問》
 第1問(配点20点)
 A 社の 2000年当時における⒜強みと⒝弱みについて、それぞれ30字以内で答えよ。
第2問(配点20点)
 なぜ、A社は、首都圏の市場を開拓するためにプロジェクトチームを組織したのか。また、長女(後の 2 代目)をプロジェクトリーダーに任命した狙いは何か。100 字 以内で答えよ。
(後略)

出典:一般社団法人日本中小企業診断士協会連合会 令和6年度2次試験「事例Ⅰ」

 須藤さんは1次試験を受ける前の2023年12月から、2次試験対策を進め、市販の参考書をもとに15年分の過去問を解きました。

 勉強を重ねるうち、経営者目線で気付いたことがあります。

 「(各科目で)高得点だった受験生が書いた解答の方が、経営者に響くという実感がありました。仮にその業界では一般的な改善提案だったとしても、業界外の診断士から見ても有効であるということが分かるだけで、 経営者は次のステップに進めます」

 試験時間は各科目80分。各設問の解答欄は最大150字程度という制限もあり、具体的すぎる施策を書き込む余地はありません。

 「初対面で具体的なアクションプランをぐいぐい出されると、経営者は引いてしまいます。2次試験は改善策を声高に訴えるより、経営者が嫌悪感を抱かない解答を目指すべきではないでしょうか」

須藤さんの勉強記録
須藤さんの勉強記録

 2次試験の過去問を解くなかで感じたことがあります。

 「以前は、家業の経営課題は人口減少下で6次産業に取り組む酪農家特有のもの、という変な悲壮感がありました。でも、過去問を解くうち、須藤牧場の悩みは他の業種にも共通していることが分かりました」

 例えば、事例Ⅱや事例Ⅲでは、自社ブランドを使って異業種と連携し、展示会で販売するといったパターンが頻出します。それは、まさに須藤牧場の課題とマッチしていました。

 「過去問でたくさんの業種の事例に触れたことで、新しい事業の進化と探索の精度が上がりました。酪農業界だけを勉強していては得られないものでした」

 須藤さんは事業再構築補助金の申請や増資の受け入れなどで、事業計画書を作成し、2次試験直前には、厚生労働省の業務改善助成金も申請しました。「こうした書類を作った経験が、2次試験にも役立ちました」

 家業に入って10年。須藤さんはたくさんの補助金やコンテストに応募し、落選も味わいました。

 「読みづらい文章だったり、聞かれていたことに答えていなかったり、補助金の目的を読み取れていなかったり。落ちた書類は、いわゆる2次試験の『ダメ解答』でした。2次試験と補助金の採点基準は近いと感じたので、今後も役立つ実感があります」

異業種の経営課題に触れたことが、家業にも役立ちました
異業種の経営課題に触れたことが、家業にも役立ちました

 須藤さんは2次試験に一発合格しました。2024年度の合格者の内訳は、もっとも多い民間企業勤務が68%で、自営業者(経営コンサルタントや税理士などの士業を除く)はわずか2%です。

 そんな須藤さんにはすでにポジティブな影響がありました。

 中小企業診断士として国に登録するには、「実務従事・実務補習」という経営診断の実務経験(15日間分)が必要です。須藤さんが2025年2月、SNSで試験合格を報告し、診断先を募ったところ8社から申し込みがありました。須藤牧場の取引先が中心ですが、縁の無かった企業も含まれているそうです。

 「診断の主な内容は財務診断やマーケティング、売り上げ支援です。須藤牧場の製品を扱う企業がほとんどなので、どうコラボレーションを進めるかも話し合いました」

 協業は前から積極的でしたが、合格後はその質が変わったといいます。

 「今までは須藤牧場の牛乳やアイスを使ってカフェオレを作りたい、といった内容が中心でした。合格後はお客さんが何を望んでいるかや、須藤牧場と新規事業を実験したいという相談になり、経営の奥深い話ができるようになりました」

 須藤さんは診断士合格を受けて、4月と5月に「大人の社会科見学」という企画を立ち上げました。

 参加者には農場体験やソフトクリーム試食を提供するだけでなく、須藤さん自身が酪農業の情勢や経営課題を話します。経営者や中小企業診断士らから応募があり、4月は募集定員いっぱいの15人が参加しました。参加者からは「数字と感情の両方から酪農を見られて面白かった」などの感想が寄せられたそうです。

 「参加者には私がさらけ出せる情報をすべて伝えたい。経営者の知的好奇心をくすぐる牧場に特化して、観光牧場とは違う価値を出したいです」

 須藤さんは後継ぎ経営者にこそ、中小企業診断士の勉強を勧めたいといいます。

 「初代や2代目が腕一本で家業を押し上げ、カリスマになったケースは少なくありません。私自身、腕の立つ職人肌の父にあこがれとコンプレックスがあり、10年間あがいて、父のようになるのは無理と思い、経営戦略や意思決定で強みを出そうとしました」

 「ただ、先代のような技術力が無くても、マーケティングやブランディングなど他の領域に関心のある人は少なくありません。そういった後継ぎが中小企業診断士になれば、まさに鬼に金棒ではないでしょうか」