目次

  1. 安い焼酎を朝まで飲んでいた
  2. 最初はジャーナリストとしての好奇心
  3. 徹底的に酒を極めたい
  4. 酒蔵の後継ぎ同士で意気投合
  5. 「おやじと相当もめました」
  6. 「伝統とは何か」問い続けて
  7. 事業承継はハードランディングであれ

新政酒造

 1852年に創業。ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝氏と酒造りを学んだ5代目佐藤卯兵衛が、6号酵母を生み出し、蔵の発展につなげる。今は秋田県産米と6号酵母を用いた、昔ながらの生酛純米造りにこだわり、「No.6」などの名酒を送り出している。

――子どもの頃は、家業にどんな思いを抱いていましたか。

 蔵から歩いて5分くらいの場所に住んでいたので、(先代社長の)父が蔵で仕事をする姿は見たことがありませんでした。僕も蔵の中に入った記憶はゼロです。8代目を継ぐ、という意識は一切ありませんでした。

 90年ほど前に、すごい酵母(6号酵母)を見つけた人(5代目佐藤卯兵衛)がいたとは聞いていましたが、実感はありません。中高生くらいになると、会社の経営も下り坂になり、普通のサラリーマンの息子という意識が強かったと思います。

新政の酒米を栽培している田んぼ(撮影:松田高明)
新政の酒米を栽培している田んぼ(撮影:松田高明)

――東大を卒業した後、実家には戻らず、フリージャーナリストとしての道を歩みます。その頃、お酒へのこだわりはありましたか。

 ゼロです。30歳を過ぎるまで、酒は酔えればいいと思っていました。お金がないから、大手居酒屋チェーンで、安いボトルの焼酎をウーロン茶で割って、友達と朝まで飲んでいました。

――そんな状態から、30歳を過ぎて日本酒に目覚めたきっかけは何だったのでしょうか。

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