スギノマシン

 1936年、杉野林平氏が大阪で杉野クリーナー製作所を創業し、配管内を清掃するチューブクリーナの製造を始める。太平洋戦争で工場を富山県魚津市に疎開。1971年に社名をスギノマシンに変更。産業用機械を続々と開発し、北陸有数のメーカーに成長した。

機能的なデザインに興味があった

 1936年に創業したスギノマシンは、ボイラー配管内部に付着したスケールを取り除くチューブクリーナが出発点でした。今では、超高圧の水で自動車や航空機の素材を切断するウォータージェットカッタをはじめ、医薬品や化粧品向けの微粒化技術など、幅広い商材を提供しています。創業以来赤字は無く、取引先は自動車、航空機、食品、エネルギーなど常時5千社以上です。

 杉野さんは、創業者の四男だった父親の次男。一度富山を離れて就職しますが、2001年にスギノマシンに入社します。「父は授業参観にも来られない絵に描いたような仕事人間で、会社への強い思いは理解していました。父や色々な人から会社を手伝ってくれと言われ、これが私の責務だと思いました」

スギノマシン副社長の杉野岳さん
スギノマシン副社長の杉野岳さん

 元々は父親もデザインが好きで、会社の新聞広告を主導し、デザイナーの案に自ら修正を入れるほどでした。杉野さん自身も「地下鉄の路線の色分けに、機能性と美しさを感じていました」。入社当時からスギノマシンにも機能的なデザインを採り入れられないか考えていましたが、10年以上思いを温めていました。

 「機械のデザインやカラーリングに力を入れるなら、1円でも安くして下さいという世界です。私自身がなぜデザインが必要なのかが腹落ちできていないのに、社内に提案できるわけがありませんでした」

カリスマ経営からの脱却目指す

 きっかけになったのは、大手の工業デザイン会社から「スギノマシンの機械は、ユーザーにとって使いやすくなっていない」という指摘を受けたことでした。

 例えば、ウォータージェットカッタで研磨剤が飛散して機械が泥だらけになり、メンテナンスに支障をきたすことがありました。また、機械を使う際に足場の高さが合わず、顧客自身が踏み板を作って調整するケースもありました。

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