創業113年のあさい農園が「スマート農業」へ 5代目が始めたトマト栽培
三重県津市にある「あさい農園」の5代目社長、浅井雄一郎さん(39)は、大規模ハウスにロボット技術を採り入れてトマト栽培を行うなど、スマート農業の旗手として注目を集めています。創業113年のあさい農園は植木生産が主力でしたが、浅井さんが12年前に家業に戻ってから、トマト栽培を始めました。「第2創業」の軌跡や、新型コロナウイルスが影響を与える時代の1次産業の未来について聞きました。
三重県津市にある「あさい農園」の5代目社長、浅井雄一郎さん(39)は、大規模ハウスにロボット技術を採り入れてトマト栽培を行うなど、スマート農業の旗手として注目を集めています。創業113年のあさい農園は植木生産が主力でしたが、浅井さんが12年前に家業に戻ってから、トマト栽培を始めました。「第2創業」の軌跡や、新型コロナウイルスが影響を与える時代の1次産業の未来について聞きました。
1907年、津市で創業し、サツキツツジの生産を開始。1975年に法人化した。創業101年目の2007年から完熟チェリートマトの試験栽培を始め、事業を大きく拡大した。2017年には、中小企業庁の「はばたく中小企業・小規模事業者300社」に選ばれた。2018年に日本農業経営学会の実践賞、2020年に農業情報学会の農業イノベーション大賞を受賞。従業員数(パート含む)は単体で約100人、グループ全体で400人を超える。
――子どもの頃は、家業とどのように関わっていましたか。
子どもの頃から、植木の生産や積み込みなどを手伝っていました。両親はいつも忙しく、父親と仕事でふれ合えるのはうれしかったですね。長男だったし、祖父からは「雄一郎が継ぐんだよ」と言われ、その気になっていました。でも、中学や高校ではむしろ農業から離れたい気持ちが膨らんで、大学は農学部も受かっていたけど、甲南大学の理学部(当時)に進みました。
祖父も父親も若い頃、海外に技術を学びにいき、国際感覚に優れていました。僕も大学に入って、農業への関心がまた芽生え、1年生の夏に父親の勧めで米国の種苗会社にインターンに行きました。
ーー米国の会社では、どんな経験をしましたか。
家族経営が大多数だった日本の農業とは、規模が全く違いました。僕は無菌室の中でピンセットを持って苗を培養したり、広大な敷地をバギーに乗って水をまく作業に触れたりしました。多様な人種が働いていて、週末になると、社長が肉を焼いてみんなでバーベキューを囲みました。
世界の農業を見て回りたいという気持ちが、この時に芽生えました。大学時代は世界中をバックパックで旅して、欧州やアジアなど世界の農業現場を訪ね歩きました。ノートに「自分だったらこんな農業経営がしたい」というアイデアもつづりました。
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ーーそれでも、大学卒業後は家業に戻らずに一度就職したんですね。
社会人になるときも、父とは特に進路相談はしていません。このまま家業に入っても、何もできないことは分かっていました。コンサルティング会社に入り、農協や製薬会社などの案件を手がけた後、環境系のベンチャーでリサイクルやエネルギー関連の事業開発などに関わりました。
その後、仲間と一緒に、全国の若手農業者のネットワークをつくる農業ベンチャーも立ち上げました。経営も経験して自信がつき、「家業に戻ったら何でもできる」と思い、28歳の時、あさい農園に戻りました。しかし、今思えばなめてましたね。厳しい現実が待っていました。
ーーその時、経営はどのような状況だったのでしょうか。
バブル期に全盛だった植木業は、落ち込みに歯止めがかからず、売上高は最盛期の10分の1程度に落ちていました。同じことを続けても無理だと直感し、農業ベンチャーで経験があったミニトマトの栽培を始めました。お金はかけられないから必死でした。植木の仕事を終えた後の夕方、自分でビニールハウスにさび止めのペンキを塗って、トマトの試験栽培を始めました。設計から勉強して、何度もハウスを建てて、研究を重ねました。
父はトマト栽培に関して、賛成とも反対とも言いません。でも、陰ながら応援してくれました。地元スーパーの社長の庭の剪定を請け負っていましたが、父から話を聞いた母が頼んで、その社長さんに僕が育てたミニトマトを食べてもらいました。それがきっかけとなり、取引につながったということもありました。
ーー家業に戻って間もなく社長に就任しました。責任ある立場で、新しい事業を立ち上げるプレッシャーはありませんでしたか。
30歳になる頃、父から「後はお前と弟に任せるので好きにやりなさい」と言われ、社長を託されました。背水の陣という覚悟を決めました。経営者1人でできることは限られています。社員を増やし始めて、銀行とも話をしながら、中期経営計画を作り、トマト栽培を事業の柱に育てようとグランドデザインを描きました。経営者を務めながら、三重大学の大学院でトマトの品種を研究し、博士号も取得しました。
ーーあさい農園ではオランダから生産管理システムを採り入れ、研究実績のある外国人社員も採用し続けています。パート社員も積極雇用しています。
先行投資をして、仕事と利益を生み出さなければ、雇用も維持できません。オランダは施設園芸の先進国です。トマトを育てるハウスに生産管理システムを導入し、内部のセンサーで温度や湿度をデータで管理しています。2013年には三重県松阪市に、地元の食用油メーカーや三井物産と、「うれし野アグリ」という合弁会社を作り、地元の間伐材由来のバイオマスエネルギーなど地域資源を活用したトマトの生産に乗り出しました。
人材も国内にとどめるつもりはありません。本社に隣接する研究ハウスの管理は中国出身の研究員が担当し、ベルギーやスウェーデン出身の正社員もいます。世界中とビジネスを行うので、新型コロナウイルスの影響が拡大する前までは、アジアやアフリカから多くの研修生も受け入れていました。海外からの視察も増えました。社長就任から10年で、グループの年商は約50倍に伸びました。
ーー2018年には、大手自動車部品メーカーのデンソーと合弁会社「アグリッド」を設立し、大規模な農業用ハウスでのトマト栽培に乗り出しました。
三重県北部のいなべ市に大規模な農業用ハウスを建設し、ヒトとロボットが協働する新たなトマト生産モデルの開発に取り組んでいます。栽培面積は4.2ヘクタールになります。今年3月に初出荷を迎え、今は100名ほどのスタッフが頑張ってくれています。新しいハウスなので、出荷先が用意されているわけではありません。コロナの影響で、新規の商談を進めることができず、厳しい船出となりましたが、とてもおいしいトマトが収穫できており、これから全国に出荷先を広げていきます。今秋より本格稼働の予定です。
研究開発型の農業企業のあさい農園と、ものづくりでは世界トップクラスのデンソーが、規模は違えど同じレベルで汗をかいて化学反応を起こす。そして、日本の施設園芸が、世界を驚かせる技術やソリューションを開発するのが、アグリッドの使命です。中小企業は、自分たちだけでできることは限られています。志を同じくする相手と組むことが大切だと思っています。
ーートマトだけではない、新しい挑戦もされているそうですね。
昨年より、三重県南部の玉城町で、約8ヘクタールの規模でキウイフルーツの栽培を始めました。キウイ販売で世界最大手のゼスプリ社(ニュージーランド)と提携しました。10年ほど前、三重大学で指導を受けていた先生と一緒に、ゼスプリの本社や研究所を視察しました。ゼスプリはキウイの生産農家が出荷組合として作った会社で、独自のバリューチェーンを構築しながらグローバルにキウイを販売して成功しており、あさい農園もベンチマークにしていました。
3年ほど前にゼスプリと再会する機会があり、キウイ生産の話をいただきました。今年の春になって新芽が出て、キウイフルーツ園地らしくなってきました。2022年秋には収穫が始まる予定です。
ーーキウイ生産は耕作放棄地を利用しているそうですね。日本の耕作放棄地は拡大の一途をたどっています。
耕作放棄地の課題解決、そういう視点が大事だと考えています。
今回の農地は半世紀前に基盤整備され、地権者約50人が柿を作り始めたのが始まりでした。柿は町の特産になりましたが、50年が経過した現在は後継ぎがいなくなり、8割以上が耕作放棄地に戻ってしまいました。
このタイミングでキウイ栽培の声がかかり、町の協力も得て農地を集約し、あさい農園がお借りしました。キウイ生産の寿命は40~50年と言われています。次の時代、その次の時代まで見据えて、次の時代の人たちがちゃんと農業をできる農地として継承していきたいと思っています。それが、キウイ生産を始めた理由でもあります。
今回のキウイ園地に投入した堆肥3000トンは、三重県中南部の畜産農家から分けてもらいました。また、300トンの牡蠣殻石灰は、三重県鳥羽市浦村にいる僕の友人の牡蠣生産者の牡蠣殻が入っています。山も海も里も皆つながっていて、皆の連携によって持続可能な社会を実現していく、地域の資源循環のモデルケースを、三重県の地で仲間と一緒に実現していきたいと思っています。
ーーコロナ禍は食の現場も直撃しています。あさい農園ではどんな影響がありましたか。
割合は多くありませんが、レストランや業務向けの出荷が止まり、直売所も4月以降休止しています。嗜好品である植木も打撃を受けました。休校の影響で出勤できなくなったスタッフもいて、一時的には人手不足に陥りました。しかし、生きるか死ぬかというレベルに追い込まれている事業者の方に比べれば、大きな影響とは言えません。
社内では3月くらいから本格的な感染防止策に動きました。食品を扱う会社なので、一番怖いのは風評被害です。出張はすべて取りやめ、来客の受け入れも原則禁止としました。しかし、生きている植物を扱う限り、完全なリモートワークは不可能です。タイムカードを押したら、できる限り人と接触せず、黙々と作業をしてもらうようにしました。スタッフには申し訳なかったですが、緊急事態宣言が出ている間は、車の中でお弁当を食べてもらっていました。
ーーコロナの影響で、日本の1次産業の形は変わっていくのでしょうか。
ウィズコロナ、アフターコロナという次の時代に向けて、それぞれができる範囲で前向きなアクションを起こしていくことが大切だと感じます。三重県の漁業、畜産、果物などは、野菜よりも大きなダメージを受けています。僕は三重県で親交の深い漁師さんから、出荷先が無くなった養殖の伊勢真鯛100匹を買って、社員に配りました。ローカルで一緒に汗を流してきた仲間だからこそ、困った時に相互扶助で助け合いたいと思っています。
都市部から地方へのUターンやIターンは、確実に進むと思います。事実、農業に特化した採用エージェントからは、就職を希望する登録者が一気に増えてきたと聞いています。危機の時こそ、生活者もより安全で、生産者の顔が見え、持続可能な食品を求めるようになります。生産者と生活者との強固なネットワークを作るため、ブームに終わらせず、安心して食べてもらえるような情報発信をし続けたいです。
ーー後継ぎ経営者、または後継ぎになろうかどうか迷っている人たちへのメッセージをお願いします。
昨年、ナフィールド(Niffield)という70年近い歴史がある国際的な農業奨学金制度の日本法人ナフィールド・ジャパンを仲間と4人で立ち上げ、次世代の農業を担うリーダーを育てるために活動を開始しました。次代を担う彼らにアドバイスを送るとすれば、覚悟を持って挑戦するのであれば、悩む必要はないということです。世界中で起こっている様々な変化を敏感に感じ、自分自身としっかり向き合いながら、自分にしかできないオンリーワンの農業経営のスタイルを見つけていってもらいたいと願っています。
僕は家業に戻った時、会社が傾いていました。はい上がるしかなかったというのが原点です。持たざる者の強さがあるから、トマト栽培で背水の陣を敷けました。元々、ものすごい資産を持っていたとしたら、絶対にできませんでした。農業に限らず、家業に戻るか悩んでいる人がいれば、帰省したときにでも、家業を見つめ直し、それを必要としているお客さんがどのように救われているのかを深掘りして見てほしいと思います。
あさい農園の社長は、このまま長く続けない方がいいと思っています。候補も育ってきているので、変われるタイミングがきたらすぐにでも変わります。僕じゃないと回らないという発想が、組織の柔軟性を失わせます。社長を降りた後は、研究開発に専念したい気持ちもありますし、その時、自分に与えられた役割を素直な気持ちで担い、良い仕事をしたいと考えています。
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