平尾化建

1949年創業。元々はプラスチック建材を扱う問屋として設立され、平尾社長の父・壽郎さんが、くさび足場の施工に業態転換した。関西だけでなく、関東、四国、九州に20カ所以上の営業所がある。

父の教えは「鶏口牛後」

――後を継ぐことは子どもの頃から意識していましたか。

 私は4人きょうだいの末っ子の三男なので、全く考えていませんでした。京都で、のほほんとした大学生活を送っていた頃、平尾化建の経営が悪化して、独立していた父が救済に乗り出しました。それまでの問屋業から、足場業に業態変換して立て直しました。

――大学卒業後はどんな道に進んだのですか。

 進路を相談した時、父からは「鶏口となるも牛後となる事なかれ」と言われ、大手と迷った末、一口餃子で知られる「点天」に入りました。店舗間競争で一番になるより、店で一緒に働くアルバイトから「ここで働くのが楽しい」と言われる方がうれしかった。自分は上昇志向がそこまで強くないのが分かりました。

 次に美容や健康などを手がける名古屋市の「MTG」に転職して経営企画を担当し、色々なことを学びました。前々職と前職を通じて、職場の仲間が少しでも気持ちよく働ける環境を作ることが、自分自身の仕事の核と考えました。社長業だったら、どんな業種でもそれが実現できると思ったのです。結婚することもあって、社会人になって約5年で、平尾化建への入社を決めました。

後継ぎのキャリアは職人から

――平尾化建では、どんな仕事からスタートしましたか。

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