ホッピービバレッジ

 本社は東京都港区。1905年、餅菓子を納める「石渡五郎吉商店」として創業。戦後間もない1948年、コクカ飲料として、ホッピーの製造販売を始めました。居酒屋を中心にロングセラー商品となり、1970年には東京都調布市に工場を新設しました。1995年に現社名となり、2010年に石渡美奈さんが社長に就任。積み重ねてきた商品力を生かしながら、積極的なブランディングなどで売り上げを急成長させました。

父は入社に反対、1年かけて説得

――まずは、会社を継ぐことになった経緯を教えて下さい。

 私は一人っ子で、物心ついた時には、自分は後継ぎという意識がありました。でも、当時は女性が第一線で働くという社会環境ではありません。具体的に自分が後を継ぐイメージがわきませんでした。「将来何になるの?」という質問が一番苦手でしたね。「学校の先生」などと言っていましたが、本当の気持ちではないという思いがありました。

 当時はお婿さんを探して後継ぎになってもらえばいいと思っていました。20代で、ある男性と結婚したのですが、私のことを大切にしていただいて、将来は社長を継ぐとも言って下さいました。でも、大変申し訳ないことに、私がその男性を思うよりも、会社の後継ぎとして見てしまう意識が先に来てしまい、破局してしまいました。20代半ばで自分探しの人生が始まり、広告会社に入社しました。今思うと、あの頃が一番きつかったです。大きな森の中に1人置き去りにされ、出口がわからない感じでした。

ーーそこから、どうして家業に入ることになったのでしょうか。

 1995年に(先代社長の)父・光一が地ビールの製造販売をスタートし、初めてリアルに家業へ興味を持ちました。私は広告会社で仕事が好きな自分に気づきました。一生働くなら、父の会社に入社するのが一番早いと思って、父に「入れてほしい」と頼みました。真っ先に喜んでくれるかと思ったら、反対されました。

石渡さんは「ホッピーミーナ」として自ら広告塔となっています(ホッピービバレッジ提供)
石渡さんは「ホッピーミーナ」として自ら広告塔となっています(ホッピービバレッジ提供)

 そこで、1年間かけて父を説得しました。まず、広告会社の仕事をあまり好んでいなかった父を安心させようと、東京ガスに転職しました。父の話を聞きたくて、忠犬ハチ公のように毎晩、帰ってくるのを待って、ごはんを一緒に食べました。その日、会社で起こったことを聞き出しました。知りもしないのに生意気なことを言ってしまい、大げんかすることもありましたが。

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