西山酒造場

 美しい山々と川に囲まれた自然豊かな土地で、清酒蔵として創業。代表銘柄の「小鼓(こつづみ)」は、3代目蔵主の西山泊雲(本名:亮三)が、弟の泊月とともに俳句に傾倒し、高浜虚子に師事した縁による、俳人高浜虚子によって命名された。この繋がりから、文化人を中心に小鼓の名が全国へ広がった。竹田川の伏流水である、蔵内の井戸水「椿寿天湶(ちんじゅてんせん)」を使用した清酒は、やわらかな味わいが特徴で、料理を引き立てる食中酒として愛飲されている。

止まった時間を動かすことが使命

 酒蔵の長男として生まれ、いずれは後を継ぐ身でしたが、大学卒業後には全く別業種の読売テレビに就職。営業マンとして5年間勤務し、ナショナルブランドの大手企業なども担当しました。そして、様々な企業と関わるなかで、自社を守るためには「常に変化すること」こそが、重要だと気づかされました。

西山酒造場の主屋

 伝統産業の多くは、「昔ながら」という言葉が先行し、変わらないことが重要であると認識されがちです。もちろん、「お客様への想い」や「こだわり」など、自社の柱となる、変わるべきではない、尊重すべきものもあります。しかし伝統とは、時代の変化に伴い、変わっていくことで、次世代に受け継がれていくものです。

 変わることを恐れないのは、次世代の特権。故郷の止まった時間を動かすことが、自分自身の使命だと感じたのです。そして今から18年前に、故郷の酒蔵へ戻りました。

日本酒を好んでいる人の割合は

 皆さんは、日本人口1.265億人のなかで、「日本酒を好んで飲んでいる人」が何割なのか、ご存知でしょうか。実は、8%程度で、今もなお減少傾向にあります。アルコールの国内需要が減少していく中、日本酒を取り巻く環境は衰退の一途をたどっています。変革は、必要不可欠です。

酒税が課された清酒の出荷量の推移(国税庁の令和2年3月の酒のしおりから引用)

 酒蔵へ帰った当時から、この問題は顕著に表れていましたが、製造現場には「伝統を守ること=変わらないこと」という考えが深く根付いていました。このままでは自社の伝統が途絶えてしまう、そう思い立ったが吉日、積極的に現場に顔を出し、時に対立しながらも、現場の職人たちと対話を重ねました。そして少しずつ、しかし確実に、自社の変革は始まりました。

製造現場の意識を変えるには

 まずは、酒造りの中心となる製造現場の意識を変えることから始まりました。

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