「特徴が弱いすり鉢」を変えた4代目の窯元ブランドにバイヤー殺到
品質には自信があるのに新商品がヒットしない……。そんな日々を乗り越え、百貨店やセレクトショップのバイヤーから注文が殺到するすり鉢メーカーが島根県にあります。ホームセンターで9割のシェアを誇る企業が、専門窯元ブランドを立ち上げることで自社の強みが明確に伝わるようになりました。
品質には自信があるのに新商品がヒットしない……。そんな日々を乗り越え、百貨店やセレクトショップのバイヤーから注文が殺到するすり鉢メーカーが島根県にあります。ホームセンターで9割のシェアを誇る企業が、専門窯元ブランドを立ち上げることで自社の強みが明確に伝わるようになりました。
東京ビッグサイトで2018年2月に開かれた展示会で、ボウルのような形をした深型のすり鉢が注目の的になっていました。出展ブースの机には、名だたる有名店の名刺が積み上がっていきます。
出展したのは、すり鉢が専門の元重製陶所の4代目元重慎市さん(36)です。「すり鉢状」という言葉が一般化しているほど、市販されているすり鉢の形は一定で、色も茶色のものがほとんどです。一方で、新ブランド「もとしげ」のすり鉢は、すった食べ物があふれないよう上部が内側に少し曲げてあり、汁物も移しやすいよう注ぎ口が付いています。デザインにもこだわり、そのまま食卓で器として使えるように落ち着いた色で仕上げました。
展示会の期間中に、百貨店やセレクトショップなど、目利きのバイヤーが「ぜひ商品を置かせてほしい」と元重さんを次々訪れました。3日間で、40社との取引が決まりました。
製陶所は、元重さんの実家から車で数分の場所にあります。子どものころから、遊びに訪れることはあったものの「将来、すり鉢を作るイメージはありませんでした」。
父と後を継ぐかどうか話をしたことも、ただ一度きりです。大阪大学大学院で機械工学を学んでいたとき、訪ねてきた父が食事をしながらこう切り出しました。「継いでも継がなくてもいい。大きな借金はないから、継がないならたたんでしまえばいい」
同級生は有名企業に就職していきます。元重さんは深く考えることなくパナソニックを選び、工場向けの生産ラインを設計する仕事に就きました。
転機は28歳のとき。自分の考えと上司の指示が異なり、納得しないまま仕事を進めることができなくなりました。
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「本質的にサラリーマンに向いていない」
それまでの人生を振り返ると、何かに本気で向き合った経験が一度もないことに気付きました。成績が良かったので進学校に進み、偏差値を見て合格できそうな大学に入り、就職先も周囲と同じような進路を選びました。
生産ライン設計の仕事は、ユーザーまでの距離が遠く、やりがいを感じにくかったといいます。ここにきて「人生を真剣に考えなかったツケがまわってきた」と、悶々とする日々を送りました。
自分は何のために生きているのだろう――。そう考えたとき、家業の元重製陶所が胸に浮かびました。
家業を改めて見ると、工場があり、生産ラインも確立されています。消費者に直接届き、ユーザーの顔が見える製品だと気づきました。
「自分には他の人にはないアドバンテージがある」と、家業が初めて魅力的に見えました。年商7兆円を超える大企業から、年商6500万円の家業へ。2015年に大阪からUターンを決めました。
元重製陶所は父の代で、機械を中心とした設備投資で大量生産体制を確立していました。営業先はホームセンターに注力。すり鉢の底に滑り止めのシリコンゴムを付け、高品質で手ごろな価格の製品が受け入れられ、ホームセンターの拡大とともに会社の業績も伸びていました。
しかし、元重さんは、すり鉢のこれからの市場性に危機を感じていました。食生活の変化と核家族化により、周囲を見渡すと、同世代のキッチンにすり鉢はほとんどありません。
社長である父も市場全体の需要の減少を感じていたため、大根などをすりおろすおろし器を開発し、市場投入の準備をしていました。
「実績を作らなければ社内で受け入れられない」。そう考えた元重さんはまず、おろし器の量産化に取り組みました。生産ラインを構築し、大量生産に成功すると、新商品をホームセンターに納入して販売を始めました。
リピートの発注を待ちましたが、数カ月たっても追加生産の依頼はありません。従来の品の売り上げも下がり、苦しい状況が現実味を帯びてきました。
「元重には伝統と、どこにも負けない技術がある。一度でも使ってもらえれば良さが伝わるはずだ」。そう考えた元重さんは、すり鉢の魅力を広めようと、ホームページやブログですり鉢を使ったレシピを公開するなど、情報発信を始めました。
また、「赤ちゃんを抱っこしたまま使えるすり鉢がほしい」という友人の言葉をヒントに、「離乳食用すり鉢」の開発にも取り組みました。底を大きくして安定感を出し、擦りつぶした食材がこぼれないよう、上部を少し内側に曲げました。友人には高評価を受けたものの、ヒットには至りません。
「大根おろしも、離乳食用のすり鉢もホームセンターだけでは限界がある」。そう考えた元重さんは、島根県内のセレクトショップに販路を求めました。セレクトショップ向けに白黒の落ち着いた色でまとめたすり鉢とおろし器を作り、離乳食用のすり鉢とともに販売を始めました。
しかし、売り上げは思ったように伸びません。
取引のなかった百貨店へ、新商品を持参して営業に行ったものの、「特徴が弱い。ホームセンターの色違いは置けない」と相手にしてもらえませんでした。
どんなすり鉢なら買ってもらえるのか――。思い悩んだ元重さんは、自社ブランドで成功している工芸メーカーの社長に手紙を書き、教えを請いました。
2017年7月。熱心に話を聞いてくれた社長は、ゆっくりと口を開きました。「勉強不足だね。君は何もわかっていない。まだ商品を売ろうとしているね」。元重さんはハンマーで叩かれたような衝撃を受け、袋小路に迷い込んだような心境に陥りました。
売上は伸び悩む日々が続いていました。それでも、商品には絶対の自信がありました。「品質はどこにも負けない。手に取ってもらう方法を考えればいいはずだ」。
10月に入り、いつものようにすり鉢を作っていた元重さんは、会いに行った社長の著書に「商品を売るのではなく、ブランドを作るという考え方で仕事をする」と書いてあったことを突然思い出しました。
それまでは、おろし器やすり鉢を別々の商品として売ろうとしていましたが「すり鉢・おろし器専門の窯元ブランドを作る」と決めました。懐疑的な社内の反応を押し切って、元重さんが企画、製造、販売までを一手に引き受ける別ブランド「もとしげ」を立ち上げ、販路をセレクトショップや海外に絞りました。
たとえば、使いやすいおろし器は、すでにたくさん売られており、元重製陶所がいくら高品質なものを作っても、売り場では、ほかの商品に埋もれてしまいがちでした。
そこでひらめいたのが「すり鉢・おろし器専門窯元」というブランドでした。「専門窯元」を掲げることで他社との差別化を際立たせました。
離乳食用すり鉢をベースに、器として使える形にこだわったすり鉢を完成させ、父の作ったおろし器とともにブランドの主力商品に仕上げます。その結果が、2018年2月、東京ビッグサイトで開催された展示会での人気につながりました。
入社当初は「後継者は第一に実績を求められる」と考え、空回りも多かったといいます。振り返ると、専門窯元のブランドを支えているのは、これまでの実績でした。いま、最も大切にすべきことは「これまで事業を継いできた先人たちに最大限の敬意を払うこと」だと感じています。
ただし、父と意見が合わないことは少なくありません。元重さんは「もとしげ」の商品を新たなスタンダードにしたいと考えています。一方の父はホームセンターの販売をさらに拡大すべき、と考えているそうです。
「それぞれの方向に事業が伸び、最終的に会社が成長すればいい」。
苦しい時期を乗り越えた元重さんには、後継者の誇りが芽生えていました。
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