会議で発言しないと「価値ゼロ」ブラックモンブランの社長が学んだこと
九州でおなじみのアイス「ブラックモンブラン」を製造販売する竹下製菓の竹下真由さんは、34歳で5代目となりました。前職のコンサル時代、先輩から言われた「会議の場で一言も発しないと、あなたの価値はゼロだよ」という一言を胸に、社員の意識改革を進めているといいます。
九州でおなじみのアイス「ブラックモンブラン」を製造販売する竹下製菓の竹下真由さんは、34歳で5代目となりました。前職のコンサル時代、先輩から言われた「会議の場で一言も発しないと、あなたの価値はゼロだよ」という一言を胸に、社員の意識改革を進めているといいます。
――小さな頃は、ご実家の隣がまだ工場だったそうですね。
アイスの工場はすでに今の小城にあったんですが、製菓の工場はまだ実家の隣にありました。
だから気づいたときには、うちはお菓子・アイスをつくって、お店に並べて、買ってもらって生活しているんだなと感じていました。
「後を継ぐ」ことは特別なことではありませんでした。いつから意識していたかは難しいのですが、祖父や父と一緒にお菓子やアイスを「つくりたいな」とはずっと思っていました。
事務所もありましたし、家に帰るときは、親じゃなくて最初に従業員が「お帰り」と言ってくれて家の中に入っていくようなかたちでした。カギもかかってませんでした。
――自宅で食べるお菓子も竹下製菓のものだったのでしょうか?
祖父や父は、おいしそうなものや面白そうなものがあれば、たくさん買ってきて勉強していましたね。私も小さな頃からアイスは好きでした。
でも、今でもそうなんですが、買うのはポテトチップスやおせんべい、塩気の多いものが多い気がします。
仕事で甘いものばかりたくさん試食するので、おいしいんだけどつらくなってくるんです。何でうちはスナック菓子を作ってないんだろうとよく思ってました(笑)
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――東工大の大学院を卒業したあとは、外資のコンサル会社「アクセンチュア」に入社されました。家業の外で働きたいと思った理由は何ですか?
大学で勉強したとはいえ、社会人1年目で家業に入っても、学んだことや得てきたものを生かせないんじゃないかと感じました。
もちろん家業で長く働くことで得られることもあると思います。ただ、外のいろんな会社で働いて経験する機会って、もうこのタイミングしかありません。
また、就活する人の気持ちが分からないと、自分が採用する時に相手の気持ちが分からないとも考えて、就職サイトに登録して就活をしていました。
「外で頑張ってみたい」と父に言ったら、戻ってくると思っていたみたいでがっかりはしていました。「最大で5年だと思っているから」とも言われました。
――当初は、ものづくりの会社に就職しようと考えていたそうですね。最終的にコンサルのアクセンチュアを選んだ理由は?
学生の「こうだろう」というイメージと、実際の企業って違いますよね。まずはいろんな業界を絞らず、受けてみようかなと思っていました。
日系企業よりも早く始まっていたのが外資系。受けるときまで「コンサルとは何か」も知りませんでした。会社名が「あ」から始まるので、リクナビで一番上に表示されていたから押したんです(笑)
でも、面接を受けていたら、最終面接担当者がすごく素敵で。とても忙しそうでしたが、「最大5年」と決めている中で私に必要なのは、がむしゃらに働くことだなと思いました。
私、易きに流れるんです……。定時退社できる会社に入ったら、絶対その後に勉強せずに遊んで終わってしまう。日系企業とも仕事をするし、グローバル企業の最先端のやり方も知れる。「倍の経験を積めるよ」というアドバイスも響き、東京にいる期間は頑張ろうと決めて入社しました。
――コンサルで学んだことで生きていることはありますか?
プレゼンや年上の人と話す機会も多く、物怖じせずに話せるようになったのは大きかったですね。佐賀に帰って後継ぎの立場になり、年長者の方や役職のある方と話す機会も多いからです。
先輩から「会議の場で、一言も発しないと価値ゼロだよ」と言われたことは今でも覚えています。本当にその通りだなと思いました。
プロがたくさん同席している中で「自分は何でこの場にいるんだろう」「価値が出せることは何だろう」って常に考えるようになりました。
――会社で出会った同期の方と結婚を決めて、2011年に家業へ戻られました。
父が「早く戻ってきてほしい」という雰囲気だったので、結婚が決まり、丸4年でアクセンチュアを辞めることにしました。
マネージャーや管理職までやりたい気持ちもあったんですが、自分にできないことは夫に経験してもらおうと、自分だけ先に戻りました。
――竹下製菓では、まずどこに配属されたのでしょうか?
現場を見られるように、それまでなかった部署「経営企画室」の「社員」として戻りました。
弊社ではホテル事業もやっているので、半分ぐらいはホテルのレストランで昼夜と給仕をして、残りは製菓部門で働くかたちでした。
工場のシフトに完全に入るのは難しかったんですが、働いている従業員の細かな声を拾うために、もっと工場の中で手を動かして仕事をするべきだったという心残りがあります。
――入社時に心がけたことはありましたか?
謙虚であろうということですね。
教えてもらわないといけない立場なので、教えてもらえるように、教えたいと思ってもらえるように頑張ろう、ということでしょうか。
――先代からの従業員とのコミュニケーションは難しくありませんでしたか?
私はそんなに悩むことはなかったです。小城市の工場にも遊びにいっていたので、子どもの頃を知っている人もいて、「昔はこの階段で遊びよったよ、覚えとらん?」とか声をかけてくれる人もいました。
どう思われているのか気にしすぎてもしょうがないと考えていました。でも、あいさつは自分からするというのは心がけていますね。
――家業へ戻ったときに、ブラックモンブランというロングセラー商品があるからこその危機感をおぼえたとうかがいました。
多くの方にブラックモンブランを知ってもらっているので、従業員は「ブラックモンブランの会社で働いている」ことを誇りに思ってくれている一方で、「会社がつぶれる」こととは無縁というか、安心してしまっている雰囲気というか……それを感じました。
――その雰囲気を変えるために取り組んだことは何ですか?
新しいことをやる時は、手を挙げてもらったり、こちらから「やってみませんか」と声をかけてみたり、粘り強くやっています。無理やりやらせてできるものでもありません。でも、徐々に自ら「こんなことをやりたい」と思ってもらうようにしたいです。
また、年1回の経営発表会で、私たちの代になってから「質問タイム」を広く設けるようになりました。
これまでは、経営層や部門長が一方的に話し、目標に掲げていた数字へのフィードバックもあまりなく、質問で手を挙げる人も少なかったんです。そんな感じで4~5時間も会議をやっていたら絶対に眠いじゃないですか。
「自分たちが取り組んでいくことなんだから、手を挙げて質問や意見を言って下さいね」と伝えて、発表時間と同じぐらいの質問タイムをつくっています。
そして2020年の経営発表会からは、全員を当てることにしました。誰かが手を挙げたり話したりすると言いやすくなりますよね。だいぶみんな意見が言いやすくなったようです。「自ら進んでやる」につながる一歩なんじゃないかと思っています。
これは、コンサル時代の「会議にいるのに意見を言わないのは、いる意味がないよね」という言葉につながっています。
会議を聞いていたら何かを思うはずだし、言いたいことが出てくるはず。そのために言いやすい環境は整えてあげるべきなんじゃないかと思ってやっています。
――竹下さんは、社長就任前には新商品開発室長を経験され、新商品開発にも力を入れていました。新商品開発のアイデアの源は何ですか?
まわりのもの全てをよく見ることだと思います。興味の無いことでも、機会があったら一通りは試してみるようにしています。新しい食べ物なら食べてみるし、いろんなところに足を運んでみる。インプットをたくさんするということでしょうか。
――東京に出張したときは、必ずデパ地下へ寄るそうですね。
東京のデパ地下は最先端のものが集まっていると思うので、甘いものを買って食べます。
持ち帰れるものは開発のメンバーに渡して「参考にして」と伝えたり、会社の人たちと食べたりします。
――竹下さんが過去に開発した「これで朝食アイス」は、どうやって生まれたのでしょうか?
グラノーラが流行っていた時期に出したアイスです。各アイスメーカーがグラノーラを使ったアイスを出していたので、使うだけじゃ面白くないと思いました。
これまでも、竹下製菓の新商品って、おいしいんだけど埋もれてしまってあまり売れないということが多かったんです。今までやっていないことをやろうと、「マーケティング」に視点を置いて作った商品でした。
「世界初」とうたうために「朝専用アイス」と分類してみたり、パッケージをブラックモンブランに似せることで、「おっ?」「パクり?」と思ってもらったり。「実はオマージュですよ」という遊び心ですね。
――インプットしたことが生きているんですね。
祖父の影響はかなり大きいと思います。祖父がブラックモンブランを作ったのは、アルプスのモンブランを見て、「この白い雪山にチョコレートをかけて食べたらさぞおいしかろう」と思ったことがきっかけです。
旅行するとか、旅先や地方の独自の食文化を食べてみるというのはヒントになりますね。
――コロナや豪雨災害の影響はどんなところに表れましたか?
人の動きがないので、お土産ものは全く動かなくなりました。
ゴールデンウィークに向けてブラックモンブランをチョコバーにしたお土産ものを仕込んでいたので、在庫が山になりました。
お買い得品としてパッケージをつけずに販売したり、あとは医療従事者や子ども食堂へ寄付したりしました。
――運営していたホテルの客足は戻ってきましたか?
4~5月ごろは、本当にびっくりするような人気のなさで、「このまま続いたら終わるな」という感じでした。
その頃に比べたら戻った部分はあります。地域でイベントが開催されず、オンライン商談など相手先へ出向かないことも増えましたが、機械のメンテナンスや工事など、移動する必要のあるビジネスの方も一定程度いることが分かりました。
2019年に佐賀を襲った豪雨では、高台にある工場は大丈夫でしたが、付帯設備には水が入ってきてしまい、修繕が発生しました。
佐賀自体が色んな地区でひどいことになっていて、従業員の家も浸水被害に遭いました。みんなが無事だったことは何よりでしたが……。
やはり雨だとアイスは売れません。今年は長雨だったので、なかなか厳しいですね。
アイスとお菓子との両輪をまわすなど、ある程度、ポートフォリオを持っていた方がいいなと思います。
――最後に、家業を継ぐかどうか迷っている後継ぎにメッセージをお願いします。
自分が主体になって取り組めるというのは、楽しいことも多いです。大変なことなので慎重に決めるべきだと思いますが、迷っているんだったら、お父さんお母さんと働いてみて体感するのがいいのではないでしょうか。
どうしても打ち込めない、違うなと思ったら、すっぱり引いて、違う世界にいった方がいいと思います。まずは一回トライしてみることがいいんじゃないでしょうか。
1981年、佐賀県生まれ。東京工業大大学院・社会理工学研究科を卒業後、2007年にアクセンチュアへ入社。コンサルとして働いた後、結婚を機に2011年に家業の竹下製菓(佐賀県小城市)に入社。経営企画室で製造ラインの改善などに取り組む。商品開発室長を経て、2016年、34歳のときに代表取締役社長(5代目)に就任。娘2人、息子1人のママでもある。
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