社長から「新しいことを」「口出ししない」

――八ッ橋の魅力を知ってもらおうと、2011年に鈴鹿さんが始めた新事業「nikiniki」について教えて下さい。

 2010年ごろ、社長から「何か新しいことをやってみないか」と提案されました。「自分が口出しをすると、今までと同じものしかできないから口出ししない」と言ってくれました。

 もっと八ッ橋を地元の京都の方に愛してもらいたいと思ってきました。「お土産として観光客の人が食べるもの」「私たちが食べるものじゃないでしょ」と言われるのが悲しかったんです。だから、新しい事業では、京都の人に食べてもらえるものにしようと考えました。

カレ・ド・カネールの「シナモン アズール+ブルーベリー」。甘く炊いたきんぴらゴボウと合わせたことも。鈴鹿さんは「生八ッ橋の原材料はお米なので、ごはんのおともでも合うんだなと思いました」。(聖護院八ッ橋総本店提供)
カレ・ド・カネールの「シナモン アズール+ブルーベリー」。鈴鹿さんは「生八ッ橋の原材料はお米なので、ごはんのおともでも合うんだなと思いました」。(聖護院八ッ橋総本店提供)

「八ッ橋」を前面に押し出さない

 「八ッ橋」という名前を前面に出して、それだけで「お土産の八ッ橋」と離れられてしまってもいけないので、「nikiniki」という別ブランドを立ち上げました。
 生八ッ橋を使ったお菓子で、コンフィやアイスやカスタードクリームと合わせられるカレ・ド・カネールや、色と形にこだわった季節の生菓子と、バリエーションを持たせて興味を持ってもらおうと考えました。

 季節の生菓子の日持ちは1日限りで短いですが、ショートケーキを買うような感覚で買ってもらえたらと、「日持ちを長くしよう」と考えるのはやめて作りました。

――もともとの始まりは、お母様の思い出の味でもあったとうかがいました。

 小学生の時、母が5年ほど「カネール」という名前のカフェをプロデュースしていました。凝ったデザートを出していて、生八ッ橋とリンゴのコンフィをあわせてミルフィーユ状にしたお菓子や、アイスをのせた生八ッ橋など、今でもハッキリ思い出せるようなおいしさでした。生八ッ橋のこういう食べ方を皆さんにもしてほしいと思っていたんです。

 ただ、カレ・ド・カネールは水分があって、5分置いておいたら底が抜けてしまいます。その場で食べてもらうか、家で組み合わせてもらうしかありません。でも、このおいしさを1回知ってもらったら、生八ッ橋を「素材」としてアレンジしてもらえると考えました。

カレ・ド・カネールは、甘く炊いたきんぴらゴボウと合わせたことも(聖護院八ッ橋総本店提供)
カレ・ド・カネールは、甘く炊いたきんぴらゴボウと合わせたことも。鈴鹿さんの友人は生八ッ橋をアレンジして、ダースチョコを包んで食べたらおいしかったそうです。「八ッ橋はかしこまったお菓子ではないので、好きに楽しんでもらったらいいな」と話します。(聖護院八ッ橋総本店提供)

――1日しか日持ちせず、ここでしか食べられないレアな感じが「行きたいな」という気持ちにさせますね。

 話題をひいて、それでおしまいというお店にしたくなかったんです。
 季節の生菓子という商品は、季節ごと、イベントごとに変えています。1カ月に1度来て下さる方が、見たことのないお菓子が必ず店頭にひとつある。必ず新作を1カ月に1個出そうと思ってやっています。

 おかげで、結婚式の引き出物に使いたいという声もありました。京都で育って京都で結婚式を挙げるから、「京都に昔からある八ッ橋のお菓子で」と選んでもらえました。

nikinikiが聖護院八ッ橋の広告宣伝に

――もともとは「赤字覚悟」で出したお店ともうかがいましたが……

 覚悟と言うほどでもないんですが、社長からは「nikiniki自体が、聖護院八ッ橋の広告宣伝のお店になってほしいから、広告などは出さずに八ッ橋の入り口になるお店にしてほしい」と言われました。

 手の込んだ商品で日持ちは1日限り、人件費もかなりかかります。採算面でいうと聖護院八ッ橋とは全く違ったものになります。「それでもいいから思うものをつくってほしい」という社長からの激励だったのだと思います。

――もう少しで事業を始めてから10年になります。手応えはいかがですか?

 結果として、広告宣伝の役割を果たしてくれたし、今では採算も取れてよかったと思っています。
 ありがたいことにテレビなどでも取り上げていただきました。八ッ橋の歴史や、こんなお店を出していることを知ってもらう機会になりました。

 八ッ橋のニッキの味が苦手という方も、イメージで言っていることがあるんですよね。
 nikinikiのような色や形をしていると抵抗感がないのか、「八ッ橋っておいしい」と言ってもらえて。これが私たちの望んでいたことでした。
 若い方がよく来られるので、これをきっかけに、聖護院八ッ橋も買ってみようかなと思ってもらえたらうれしいです。

色とりどりのカレ・ド・カネール。コロナ前は立ったままカウンター前で食べられました。鈴鹿さんは「海外の駅や街中で、立ったままお酒と一緒にスナックをつまんでいる姿を見た社長のアイデアです。八ッ橋をそういうお菓子にしたいという気持ちだったそうです」と話します。「毎日のようにいらっしゃる方や5種類全部食べたというお客様もいらっしゃいました」
色とりどりのカレ・ド・カネール。コロナ前は立ったままカウンター前で食べられました。鈴鹿さんは「海外の駅や街中で、立ったままお酒と一緒にスナックをつまんでいる姿を見た社長のアイデアです。八ッ橋をそういうお菓子にしたいという気持ちだったそうです」と話します。「毎日のようにいらっしゃる方や5種類全部食べたというお客様もいらっしゃいました」

買わない人にものぞいてもらう

――お店を出す時は、これまでとは違ったイメージにしようと考えたのでしょうか?

 新しいイメージにしようと思いました。本店は古い建物で重厚感があっていいんですが、大学時代の友人は「本店は入りにくい」「駅で買ってるよ」と言っていました。
 だから、nikinikiのお店ではドアをなくし、カウンターがすぐにあります。買わない人にものぞいてもらおうと思いました。

 今はコロナの影響でイートインを中止しているのですが、カレ・ド・カネールはカウンターに立ったまま、バーで一杯ひっかける感じで、ぱくっと食べてもらっていました。

――イートインの中止というお話もありましたが、コロナの影響はどのぐらいありましたか。

 「地元の方に食べてもらいたい」と言っても、やはり八ッ橋は観光客に人気のある商品なので、5月の緊急事態宣言の時は売っているお店がほとんど閉まり、影響が大きかったですね。
 でも社長の方針で、地元のお客様を大事にしようと本店だけは開けておくことになりました。一回も休まずにやっています。

 9月の連休ぐらいから、京都にも人が戻ってきて、10月のGo Toキャンペーンで東京の方も入ってきたので、人の動きが変わったかなと思います。マスクをして着物体験をしている人や、修学旅行生もいらっしゃいました。

300年超の歴史 どんと構えていたが…

――緊急事態宣言で売り上げが落ちたときは、どう乗り切ろうと経営陣で話したんでしょうか?

 不安はありましたが、うちの会社も続いて300年以上なので、「こういうときもあるでしょう」「戦争の時よりはましでしょう」とどんと構えていたんですよ。でも一瞬、いつまで続くのか分からず「ひどいかもしれないな」と危惧したことはあります。

 今までは京都に来て下さる方を重視するかたちで、ネットショップには力を入れていなかったんですが、ネットで売るアイテムを増やしました。その販売数が上がりましたね。通販でも京都の雰囲気を味わってもらおうと考えました。

nikiniki、東京への進出は?

――人気を集めている「nikiniki」の東京進出を考えたことはありますか?

 以前は、京都に来てほしいのでほとんど「ない」と言っていましたが、コロナを経て、「行きたいけれど行けない人もいる」という可能性にも気づきました。何かの形で味わってもらえる機会があればいいなとは思います。

 ただ、東京に出るとしたら日持ちの問題をクリアしないといけません。また、東京に出すから形をシンプルにしようとか、そういうことは絶対にしないと決めています。出せる方法ができたら可能性としてはあるかな、という感じです。

職人の技が光る「季節の生菓子」。10月はアマビエ(右下)がハロウィンのコスチュームを着ています。鈴鹿さんは「私のデザインです。こうしてたまに私が描いたデザインを渡してつくってもらうと、職人の再現率が高くて驚くことがあります」と言います。(聖護院八ッ橋総本店のインスタグラムhttps://www.instagram.com/shogoinyatsuhashi_official/より)
職人の技が光る「季節の生菓子」。10月はアマビエ(右下)がハロウィンのコスチュームを着ています。鈴鹿さんは「私のデザインです。こうしてたまに私が描いたデザインを渡してつくってもらうと、職人の再現率が高くて驚くことがあります」と言います。(聖護院八ッ橋総本店のインスタグラムhttps://www.instagram.com/shogoinyatsuhashi_official/より)

――鈴鹿さんはお子さんを出産して、仕事に変化はありましたか?

 娘が生まれてもうすぐ2年になりますが、幸い時間の融通がきくので、子どもを預けている間の「短時間で集中」という働き方をしています。
 それをきっかけに、社内でも男女問わず、そんな働き方ができるようにしたいという話を進めています。自分が経験しないと分からなかった部分もありますね。

 デスクワークができることは家でしたり、出産直後は会社に子どもを連れていって、部屋で寝かせながら仕事をしたり。コロナでリモートワークが進みましたが、先にそれをさせてもらっていたようなかたちでした。

 これから課題になるのは、宴会などお付き合いの部分をどうしようかな、ということです。ただ、昨年は5日間の海外出張にも行きました。その間は夫や母が子どもを見てくれて、助かっています。

――ご家族みんなで子どもを見られるというのもファミリービジネスのよさというのもあるかもしれませんね。

 母が広報の仕事をしていたので、それで私も会社に出入りしていたんだろうな、と思います。娘も今、会社に連れていくと遊んでくれる人のところへばーっと駆けていくんです。
 将来、できれば後を継いでくれたらうれしいなと思うので、そうやって会社になじんでくれるのがいいかなと思います。

季節の生菓子を手に持つ鈴鹿さん。長女も生八つ橋が大好きで、鈴鹿さんは「甘いものをあげる年ではないんですが、nikinikiの季節の生菓子が好きなんです。中のあんこ以外は全部食べてますね」と笑います
季節の生菓子を手に持つ鈴鹿さん。長女も生八ッ橋が大好きで、鈴鹿さんは「甘いものをあげる年ではないんですが、nikinikiの季節の生菓子が好きなんです。中のあんこ以外は全部食べてますね」と笑います

老舗の歴史の重みよりも感じることは

――家業を継ぐかどうか迷っている後継ぎの方へメッセージをお願いします。

 継ぐと決断するとき、まず思ったことは、「自分の会社のお菓子と社員さんたちが好き」ということでした。自分の好きなものに関わることができる、そして好きなものを扱う会社をマネージできるというのは、恵まれた環境だと思うんです。
 だからこそ、恵まれた環境に育っていたら、そのチャンスを生かしたらいいんじゃないか?やりたいことをやってみよう、という気持ちで「継ぐ」と決めました。

 自社の商品や会社自体を好きでなければ、つらいことも多いし大変だと思いますが、好きなものがあったら、乗り越えていけることは多いんじゃないかと思います。

 よく私は「老舗の歴史が重くないですか?」と聞かれるんですが、それは全く感じません。歴史に裏打ちされているからこそ、冒険もできてありがたいと思うことはありますが……。
 社員の顔を見るようになって、その方々の生活を担っていることが、それよりも重いことだと感じます。だから、会社を働きやすくしていきたいし、最低でも続けていかなきゃいけないという使命感が芽生えました。

 好きだなと思ったら「会社が残るために頑張ってみよう」と考えるのも、「違うな」と感じてすっぱり違うことをしようとするのも、それぞれの道かなと思います。

鈴鹿さんインタビュー前編【「人事制度改革は最低10年」聖護院八ッ橋総本店の後継ぎが時間をかける理由】